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世界樹の記憶《リアラ》  作者: 鈴木 厳流彩


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27章

1節 



 朝の光がカーテン越しに差し込む部屋の中。テーブルの上には、パンとスクランブルエッグ、そして温かいハーブティー。


 「……あの。」


 ぽそりと、向かいに座る少女が言った。


 「ごはん、おいしいです……。」


 「よかった。」


 思わず笑みがこぼれる。昨夜よりもほんの少しだけ、リディエルの声が大きくなった気がした。


 椅子に座って食事をとる彼女のローブは、やっぱりというか、改めて見ると明らかに小さかった。

 裾は膝より上で止まり、袖も手首が半分ほど露出している。肩回りも突っ張っているのか、動くたびに布地が引きつっていた。


 「……これ、やっぱりサイズ合ってないですよね?」


 そう口にすると、リアラがそっと頷いた。


 「ええ。降臨服は……降誕の際に、自動で纏う装束ですから」


 「降臨、服……?」


 聞き慣れない単語に、俺は眉をひそめる。


 リアラは静かに説明を始めてくれた。


 「降臨者が最初にこの世界へ姿を現す降誕の際、その身に備わる“基本装備”のことです。戦闘服であったり、礼装であったり、役職によって様々ですが……すべて、その降臨者にとって最も象徴的な姿で与えられるものです」


 なるほど、だからリディエルの服も、あのまま……。


 「でも、それって……破れたりしたらどうするんですか?」


 「簡単な破損や汚れは、自己修復されます。ただ……。」


 リアラはリディエルの肩のあたりを見つめる。


 「こうして、成長によって身体が変わった場合や、大規模な破損が生じたときは、自動修復では補いきれません。その場合は、《大工房》の手を借りることになります。」


 「《大工房》……?」


 またしても初耳だった。


 「大都市には、“降臨者専門”の工房が設けられているのです。そこでは降臨服のサイズ調整や、魔法の刺繍や防具としての補強など……特別な装備への加工に熟達したスタッフが常駐しているのです。」


 「そんな施設が……。」


 俺は素直に驚いた。というか、リアラがあの神官服のままでずっと過ごしてきたのも、きっとそれしか持ってないからだと思っていた。


 「リディエルの降臨服も、きっと今のままじゃ動きにくいよな。行こうリディエル。今日、《大工房》に寄ってみよう?」


 そう口にしてから、ふと気がかりが胸をよぎった。


 リアラに渡した、新しい服のことだ。


 俺の勝手な思いつきで、あんなものを与えてしまった。

 もしかして、降臨者としては良くなかったのかもしれない。


 「……リアラさん。」


 「はい?」


 「昨日の服……その……無理に着てもらってるわけではないので。降臨服があるなら、そっちを着たいっていうのも当然だと思うし……。」


 言いながら、自分でも何を言ってるのか分からなくなった。


 だけど、リアラはすぐに微笑んでくれた。


 「ありがとうございます。でも……。」


 ゆっくりと胸元に手を当てる。


 「この装備は、わたくしにとって、かけがえのない贈り物です。」


 「え……?」


 「降臨服は、確かに役目に見合った装いです。でも、誰かが“わたしのために”選んでくれた装備というのは、初めてでした。」


 リアラの瞳が、やさしく俺を見る。


 「この服を身に着けると、胸がふわっと温かくなって……まるで、自分が“誰かに必要とされている”と、思えるのです。」


 その言葉に、胸がぎゅっとなる。


 「降臨者には、自分で装備を選ぶ権利など、無いといっても過言ではありません。新しい装備は、戦い方だけでなく、生き方そのものを変えることもある。だから……この服を、ありがとう、ございます。」


 リアラはぺこりと頭を下げた。


 それを見て、リディエルがきょとんとこちらを見上げていた。


 まだ事情はよく分かっていないのだろうけど、なんとなく雰囲気で察したらしい。


 「……あの、ありがとう、ございます。」


 ちいさな声が、そっと俺の胸に落ちた。


 よし。


 まずは、リディエルの服を整えに行こう。


 そして、リアラの言う《大工房》って場所で、少しずつ……この世界を、知っていこう。


 朝の日差しが、カーテン越しに、柔らかく俺たちを照らしていた。





第二節


 《大図書館》の並びにある《大工房》に着くと、すでに何組もの転生者と降臨者たちで賑わっていた。


 鎧の合わせをしている少年と片耳の獣人、真剣な眼差しで魔杖を選んでいる女性、そして昨日の腕相撲大会で見かけた何人かの姿も。


 ……だが……あいつの姿は、ない。


 俺は無意識に周囲を探していた。

 リディエルの“元”マスター。

 昨日の腕相撲大会で、リディエルの権利を俺に奪われた男。だが今のところ、その気配はなかった。


 「では、お預かりいたしますね。けっこう傷みがひどいので……少しお時間をいただきます」


 《大工房》の女性職人がそう言って、リディエルの降臨服を慎重に持ち去る。丈も袖も合っておらず、土埃が染み付き、袖にはほつれと泥の層が重なっていた。降臨服の中でも、ここまで汚れるのは珍しいらしい。


 そのあいだ、貸し出し用の簡易下着に着替えたリディエルは、リアラに手を引かれて《大工房》の奥の小部屋へ。

 俺も一緒に腰を下ろし、湯気の立つ香草茶を口に運ぶ。


 少し緊張しながら、リディエルがぽつりと口を開いた。


「……わたし、こんなにしてもらったの、はじめて。」


 伏し目がちに、湯飲みを握りしめる小さな指。

 頬の痣は、すでに跡形もない。昨夜、リアラの回復魔法がそのすべてを癒していた。


 「畏まることなんてありませんよ、リディエルちゃん。」


 リアラがすぐに微笑みかける。優しい声が、少女のこわばった心にそっと触れるように。


 「それに……ここに来て、いろいろあったのは、きっと運命みたいなものです。ね、マスター?」


 「あ、うん。俺も……そう思います。」


 俺も照れくさそうに頷いた。

 痛めた右腕も、彼女の魔法ですっかり良くなっている。昨日の喧騒が、まるで夢みたいに静かに遠ざかっていく。


しばらくの沈黙のあと、リディエルが少しだけ顔を上げた。


 「……あの。えっと……。」


 「はい?」


 「私……なんて呼べば、いいんでしょうか……?」


 もじもじと俺を見て、目を伏せる。

 そして、リアラの顔をそっと見た。


 「……マスター、って……呼んでも、いいですか……?」


 その言葉に、俺は一瞬、息を飲んだ。

 どこか誇らしげに、リアラが笑う。


 「ええ、もちろん。そう呼びたいのなら、それで構いませんよ。ね、マスター?」


 「はい。」


 俺たちの答えに少女はぎこちなく微笑み、俺の顔をちらりと見上げた。


 小部屋の扉が控えめにノックされたのは、その時だった。


 「お待たせしましたー。お直し終わりましたよ、リディエルさんの降臨服。」


 《大工房》の女性職人が顔をのぞかせ、手にした柔らかな青のローブが、静かに揺れていた。




三節



 《大工房》の女性職人が運んできたのは、さっきまでのボロボロだった服とはまるで別物だった。


 「……すごい……。」


 リディエルが目を見開いてつぶやく。

 紺と空色を重ねたような深い青のローブは、裾に淡く金色の刺繍が施されていた。

 星と魔法陣、そして植物の葉のような模様が、繊細な糸で描かれている。

 肩から垂れるケープ部分は半透明の布地で、魔術織糸らしく、角度によってかすかにきらめいて見えた。


 「着替えをお手伝いしますね、リディエルちゃん。」


 リアラが優しく声をかけると、リディエルはこくんと頷き、奥の仕切りへと入っていく。


 俺は部屋の隅で背を向けていたが、布ずれの音とリアラの穏やかな声が聞こえてくる。


 「……袖の長さもぴったりですね。もう寒くないですよ。」


 「……うん。あったかい、です……。」


 やがて、すこし照れたような足音が近づいてくる。


 「……マスター。」


 振り返るとそこには、修繕され美しく生まれ変わった降臨服に身を包んだリディエルが、恥ずかしそうに立っていた。


 ケープの留め具には真鍮色の装飾があり、胸元の小さなブローチがゆらりと揺れる。

 腰には革の小さなポーチが固定され、足元は柔らかそうなブーツに交換されていた。

 魔力を通す布地のせいか、全体的に軽やかで、それでいて品のある雰囲気を持っている。


 「……すごく、似合ってるよ。」


 俺が素直に言うと、リディエルの頬がぱっと赤くなった。


 「……あの、ありがとう……ございます……。」


 リアラはそっと、その小さな背に視線を落とし、まるで願い事のように静かに微笑んだ。


 「きっとこの服も、リディエルちゃんにまた新しい魔力を通してくれるはずです。昨日までのことを洗い流して、これからの歩みに変えてくれるような、そんな力を。」


 リディエルは小さく頷いた。

 どこか心の奥で、何かが少しずつ解けていくような、言い換えるなら、冷たい冬の風がそっと春の匂いに変わっていくような昼下がりだった。




四節 


 降臨服の会計を済ませようとした時だった。

 ふと視線が引き寄せられたのは、《大工房》の隣にある武具屋のショーケース。その奥、ガラス越しに並んでいた一対の武器が、やけに目を引いた。


 「……扇、か?」


 黒と青の金属で精緻に造られた、戦闘用の折りたたみ扇。

 鋭い刃を思わせる骨組みに、風を切るような流線模様。まるで、風の舞を操る踊り子が戦場を舞うかのような凛とした気品と、危うさを併せ持つ意匠だった。


 二枚一対。価格はそれぞれ400ゴールド。

 手に取ってみると、驚くほど軽い。

 けれど確かに、“風すら裂けそうな”鋭さを感じる。


 「……この軽さで、斬れるのかな……?」


 指先に伝わる感触に、思わずそう呟いた。


 なんとなくだけど、この武器がリアラに似合う気がする。


 「リアラさん。ちょっと、これ……持ってみてもらっていいですか?」


 「え? わたくしに……?」


 呼びかけに応じ近付いてくるリアラに、俺はそっと扇を差し出した。


 彼女は一瞬だけ戸惑いの表情を浮かべて、それを受け取る。


 その瞬間。


 「……っ!」


 リアラが小さく息を呑み、目を見開いた。


 扇を開き、軽く手首を返す。

 その動きだけで、空気が一瞬震えた気がした。


 「この感触……懐かしい。ずいぶん……久しぶりです。」


 どこか遠くを見つめるような目だった。

 彼女は静かに、そして確かに“思い出して”いた。


 かつてリアラは、“青き豊穣と風を司る神”に仕えていた神官だった。

 神に捧げる祈りと舞。それらを戦技へと昇華させた、その信徒達だけに伝えられる技法。


 だがこの世界に“降誕”したその時。


 最初に仕えた転生者による《セフィロ・コンバートメント》の調整によって、その技のすべては、力ごと封じられた。


 忘れていたのではない。

 ただずっと、使うことを許されなかっただけだったのかもしれない。


 「まさか、こんなところで……力の記憶が甦るなんて!」


 リアラの声が、わずかに震えていた。


 俺はその表情を見つめながら、ふと思った。


 「……リアラさんは、もう“誰かに与えられた役割”だけの人じゃないんだと思います」


 「え……?」


 「この武器が呼んだのも、過去の誰かではなくて。今の、“リアラ・ヘル”に似合うって思ったから……。」


 少し気恥ずかしくて、目をそらしながらそう言った。

 でも、リアラはふっと目を細めて、笑った。


 「……ありがとうございます。」


 その言葉は、小さくても、まっすぐに心に響いた。


 隣で見ていたリディエルが、こっそりと、でも嬉しそうに微笑んでいるのが見える。


 扇がリアラの手にぴたりと馴染むのを見ながら、俺は迷わず言った。


 「これ、買っていきましょう!」


五節


 降臨服の修繕とサイズ直しが100G、新しい扇の武器が800Gで、合計900G。

 俺は召喚器をかざして、支払いを済ませた。その後の手持ちは25520ゴールド。もう生活に困ることはない……はずだ。


 そのあいだ、店の奥にいたリディエルの耳が、開け放たれたドア越しに届く会話を拾っていた。


 「……聞いたか?あの白いドラゴン、また霧の谷に現れたらしいぜ。」

 「ヴァルムの村は、あの谷のさらに奥だったよな。……危なくて近づけないわ。」


 白いドラゴン。霧の谷。ヴァルムの村。


 並べられただけのその言葉が、まるで鍵のように、少女の奥深くに封じられていた何かをこじ開けた。


 リディエルは、ぴくりと肩を揺らす。

 細い指がぎゅっと自分のローブを握りしめ、震える唇から、かすかな声が漏れた。


「……ママ、だ……。」


 ぽつりと、まるで夢の中で何かを見つけたように、優しく、寂しげに。


 その瞬間、少女ははっとして、自分の口を両手で塞いだ。

 大きな過ちを犯したかのように、瞳が恐怖に染まっていく。


 しまった。聞かれたかも。怒られる。怒鳴られる。叩かれるかもしれない。

 ………そしてまた、あの時のように。


 「ご、ごめんなさい、ごめんなさいっ……!」


 リディエルは足元に崩れ落ちるようにしゃがみ込み、頭を両腕で抱えた。

 その姿は、ただの防衛ではなかった。傷ついた小動物が、次の痛みに怯えて身を縮めるような、あまりにも悲しい本能のかたまりだった。


 リアラは何も言わず、すぐに駆け寄った。

 しゃがみ込み、そっと肩に手を置く。驚かさぬように、でも確かに、包み込むように。


 「大丈夫です、リディエルちゃん。もう、誰もあなたを怖がらせたりしません。」


 やわらかな声。冬の陽だまりのような温かさが、震える肩をゆっくりと包み込む。


 リディエルの体は小刻みに震えていたが、その震えは少しずつ、少しずつおさまっていった。

 それでも顔は伏せられたまま、かすれるような声が、胸の奥から絞り出される。


 「……前のマスターは……ママの話をしたら、怒って……『忘れろ』って……だから、だから……。」


 恐る恐るこぼされたその告白に、リアラは何も言わず、ただ静かに頷いた。


 「大丈夫です。あなたの大切な気持ちは、ここでは否定されません」


 それは、過去の誰もくれなかった言葉だった。

 リディエルの目に浮かんだ涙が、ひとすじ、頬を伝ってこぼれ落ちる。


 俺は、ゆっくりと周囲を見回し、店の外の光の方を見ながら言った。


 「決まりですね。午後は旅の準備と“霧の谷”の情報を集めに行きましょう。」


 リアラが顔を上げ、小さく頷く。その手は今も、リディエルの背をやさしくさすっている。


 直された青いローブの裾が、午後の光の中でかすかに揺れた。

 少女の目にはまだ不安の影が残っていたが、その奥に、ほんのわずかに、震えるような小さな決意が灯っていた。




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