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世界樹の記憶《リアラ》  作者: 鈴木 厳流彩


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24章



冒頭



 勝利のあとに残ったのは、歓声でも栄光でもなかった。


 ただ、静かな時間と、少しだけ増えた選択肢。


 ノクティヴェイルは、今日も何事もなかったかのように続いている。


 人は眠り、船は港を出て、宿は客を迎える。


 そして俺たちは、「物語の中心」から、また「旅人」に戻った。


 それが、少しだけ寂しくて。


 けれど、どこか心地よかった。


 残念ながら、ロマーリアで手に入れた豪華客船での夢のような五日間は、船の上で起きたあの事件によって、中途半端な形で終わってしまった。


 それでも、今の俺たちには選べる余白があった。


 リアラが勝ち取ってくれた優勝賞金のおかげで、俺たちの懐も、心も、ずいぶん温かい。


 賞金を受け取ったその日。


 サザンクロス・ベイ最高級のリゾートホテルでゆっくり過ごそうと、俺はリアラに提案した。


 彼女は一瞬、驚いたように目を見開いたが、すぐに静かに頷くと、俺と並んでその場所を目指した。


 その時の光景を脳裏に思い描きながら、ゆっくりと目を見開く。


 隣に佇まう彼女が、まるで「続きをどうぞ」という風に頷いた。


 俺の口は再び、リアラと過ごしたあの懐かしい2ヶ月の物語を紡ぎ出した。



一節



 「おかえりなさいませ。ようこそ、ラグーン・シェル・ホテルへ」


 玄関ホールの扉が音もなく開く。吹き抜けの天井には海を模したガラスのシャンデリア。床は波模様の青と白の大理石。見上げても見下ろしても、贅沢が目に刺さる。


 サザンクロス・ベイでも指折りの高級宿。俺たちが泊まっていい場所なのか、ちょっと不安になる。


 案内役の受付嬢が微笑みながら、特別階のエレベーターへと誘導してくれた。その途中、リアラが小声で話しかけてくる。


 「……なんだか、現実じゃないみたいですね。わたし達が、こんな場所に泊まれるなんて……。」


 「優勝のおかげですよ、リアラさんの!」


 「いいえ……チームの皆さんがいてくださったからです。」


 素直に謙遜されると、反論のしようもない。


 エレベーターが静かに止まり、渡り廊下を抜けた先の部屋は、まるで一軒家かってくらい広かった。木の香りがふわっとして、窓の外には夜の海がゆれている。


 午後五時。

 部屋でひと息つく間もなく、俺たちは夕食会場へ。


 「いってきますっ!」


 リアラが小声で言って、バイキングの料理取りスペースに向かっていった。


 このホテルのバイキングは、料理を取るのだけ共用で、食べるのは完全個室。人目が気になる転生者にはありがたい。


 ……と思っている間に、戻ってきたリアラの手には、てんこ盛りの皿が山のように積まれていた。


 「ふふ……がんばりました。全部、おいしそうです。」


 机に次々と並べられていくスモーク魚介、ホタテのグリル、ハーブの効いたサラダ。色も香りも、今までに感じたことの無いものばかりだった。


 「……ほんと、頑張りすぎじゃないですか?」


 「クルーズ船のぶんも、取り返さないと……ですね♪」


 楽しそうな笑顔の中に、ちょっとだけ悔しさがにじんでいる。あのとき、三日目にして降りざるを得なかったのが、よほど悔しかったらしい。


 「……じゃあ、乾杯。優勝と……今夜に」


 グラスを軽く鳴らすと、リアラは照れたように笑った。


 食後。

 俺たちは、部屋にある露天風呂へ。


 バルコニーに備え付けられた湯船は、まさかの混浴。白い石に囲まれて、湯けむりがふわふわ揺れている。


 リアラは薄手の湯浴み布を身にまとって、湯船の縁にちょこんと座っていた。肩まで湯に沈んだ指先が、お湯をそっと撫でる。


 港には、いくつもの船の明かり。空には星。

 静かな波の音と風の音が、耳の奥をくすぐっていく。


 「……綺麗ですね、マスター。全部。」


 ほんの少しだけ掠れた声。頬は湯の熱で赤く染まり、視線はどこか遠くを見ていた。


 「こんな夜が、ずっと続けばいいのにって、思ってしまいます……。」


 ゆっくりとこちらを向いて、リアラは微笑む。


 その笑顔は、ちょっとだけ切ない。


 でも、それでも。


 何も言わなくていい夜だった。

 隣にいてくれるその温もりだけで、もう、十分だった。



二十四章二節



 翌朝。


 「……ん……」


 慣れない羽毛布団の感触と、シルクのようなシーツに包まれて目を覚ますと、窓の外はすっかり明るかった。


 時計を見る。


 「……うわ、7時50っ……!?」


 寝癖をなびかせて飛び起きたのは、俺だった。

 慌てて隣を見ると、リアラがまどろみのなかで小さく息をしている。


 「リアラさん! バイキングがっ!朝の!7時から9時までらしいです!」


 「……え……は、はいっ!すぐ、準備を……ふぇ、あれ、服、どこ……?」


 ガバッと跳ね起きたリアラが、髪の先をぶるんと振ってタオルを手に取る。寝ぼけた表情から次第に現実へと切り替わっていく様子が、ちょっと面白い。


 結論から言えば、間に合わなかった。


 パジャマのまま廊下をダッシュしたところで、ホテルの複雑な構造に完敗した俺たちは、スモークベーコンの香りだけを背に、名残惜しげに朝食会場をあとにすることになった。


 チェックアウトは11時。


 その時間も、意外とギリギリだった。


 「……結局、昨日の夕食が最後のごちそうでしたね……」


 「でもあれ、リアラさん3日分ぐらい食べてませんでした?」


「そ、そんなに食べてないですっ!」


 頬を染めてぷいとそっぽを向くリアラ。

 高級ホテルらしく、チェックアウトもスマートだった。


 「お部屋代は、召喚器でご精算いただけます」


 柔らかい声でそう告げられ、召喚器をかざす。


 ピッ。


 ほんの一瞬で、宿泊費が精算された。


 「確認いたしました。ご利用ありがとうございました」


 スタッフの丁寧な一礼と共に、すべてが終わる。


 さすがに、お金を払う瞬間だけは、ちょっと現実に引き戻されるのだった。




三節



 ホテルを出た足で向かったのは、通りの角にある小さなカフェだった。


 朝食を逃した俺たちにとっては、まさに命綱。というか、リアラの目が本気で空腹を訴えていた。


 「サンドイッチセット、ふたつください。」


 席に着くと、ほどなくして運ばれてきたのは、アイスティーと厚めに切られたサンドイッチのプレート。ハムとレタスがこぼれそうなくらい詰まっていて、見ているだけで食欲がわいてくる。


 「いただきます!」


 リアラが両手を揃えてぺこりと頭を下げる。ひと口、サンドイッチをかじったその顔がぱっと華やいで、小さく「おいしい……」とつぶやいた。


 その様子が嬉しくて、俺もアイスティーをひと口飲む。


 外のテラス席にはやわらかな朝の日差し。

 港からは小さな汽笛の音。サザンクロス・ベイの朝は、少し眩しいくらいに穏やかだった。


 「次は……どこへ向かいますか?」


 紅茶のカップをそっと置いたリアラが、静かに聞いてくる。


 その姿を見て、ふと気づく。


 神官服。


 まっすぐで清楚で、リアラそのものを映し出しているような衣装。……でもそれは、あくまで「初期装備」でしかないように思える。


 「リアラさん、服……買いに行きませんか?」


 「……服?」


 目を丸くするリアラ。


 たぶん、自分で選んだ服なんて、一度も着たことがないのだろう。


 「その服、もちろん似合ってます。でも、今日は、リアラさん自身が好きな服を選ぶ日にしませんか?」


 そう言った瞬間、リアラの手がわずかに震えた。


 「わたしなんかが……そんなこと、いいんでしょうか……?」


 ぽつりと落ちた言葉は、どこか申し訳なさそうで、どこか寂しげだった。


 ……やっぱり。今までのマスターたちは、そういうこと、してこなかったんだ。


 「行きましょう、リアラさん。」


 何か言いかけたリアラの手を、俺はそっと取った。


 その小さな手が、ぎこちなくもきゅっと握り返してくる。


 温度だけで、気持ちが伝わってくる気がした。


 そして。


 俺たちは、サザンクロス・ベイの街へと歩き出した。



四節


 カフェを出たあと、俺たちは少しだけ港の通りを歩いた。

 潮の香りがかすかに漂い、朝の光が白い石畳を明るく照らしている。

 リアラは横で、少し考えるように首をかしげていた。


 「……装備として、整えるなら……職人街、でしょうか?」


 その声には、わずかに張りがあった。いつもの丁寧さの奥に、どこか使命感を帯びた響きがある。

 俺は頷き、二人でサザンクロス・ベイの職人街へと足を向けた。


 通りを進むごとに、街の音と匂いが変わっていく。鉄を打つ音が響き、鍛冶屋の店先では火花が舞う。革の匂いが風に乗って流れ、魔道具職人の店舗からは淡い魔力のきらめきが漂っていた。


 リアラはその一つ一つを真剣に見つめていた。布の材質に触れ、縫い目に指を滑らせ、ミシンの音に耳を傾ける。時折、店主と軽く会話を交わす声は柔らかく、けれど確かな意志を帯びていた。


 そして、数時間後。

 ついにそれは完成した。


 蒼風の巡装。


 それは、風の加護をまとった旅人の衣装だった。


 水色と紺で彩られたクロップドジャケットは、胸元から風を孕むようにゆるく開き、二重になった軽やかなフードが背に揺れる。肘までの袖の下には白い防魔繊維のアンダーシャツ。きちんと手首まで覆いながら、動きを妨げない作りだ。


 ホワイトのキュロットは、ぱっと見は可憐なスカートに見えるが、歩けばすぐにそれが実用的なパンツ型だとわかる。その下に銀青のレギンスが覗き、脚には魔術式の模様が薄く浮かび上がるプロテクター。そして足元には草緑色の護符チャームが揺れる、紐結びのサンダルブーツ。


 リアラがゆっくりと姿を現したとき、俺はしばらく言葉を失った。


 清楚さはそのままに、どこか凛とした気配が加わっていた。風の流れを感じさせる色合いとシルエット、そして魔法支援のために選び抜かれた機能的な細部。

 それはまさに、彼女のために仕立てられた衣装だった。


 「……いかが、でしょうか……?」


 はにかむように笑うリアラの声は小さく、けれど確かだった。  

 彼女が自分で選び、自分のために身に着けた最初の服。


 「とても、よく似合ってます。」


 そう告げると、リアラは胸に手を当てて、少しだけ目を伏せた。 


「……私なんかが、このような装い……本当に、いいのでしょうか。」


 その言葉には、過去の影がにじんでいた。けれどもう、ためらう必要はない。


「次は……美容院ですよ、リアラさん。」


 手を差し出すと、彼女は驚いたように目を瞬かせた。そして、そっとその手を取る。


 その手はほんの少し震えていて、でも、あたたかかった。


 日差しが白と水色の布の上にふわりと落ちる。風が吹くたび、リアラの茶色の髪とフードが軽やかに揺れた。


 これは、彼女が自分らしくあるための最初の一着。


 そして俺たちは、美容院へと向かった。



五節


 リアラが美容院に入っていったあと、俺は通りの外れに立ち、少し風の匂いを感じていた。

 陽は傾きかけ、街路の石畳には細く伸びる影がいくつも重なっている。


 ふと視線を向けると、通りの向こうの小さな武器屋の前に、首輪をつけた頭が二つある犬が座っていた。

 その横には、怯えたような目をした幼い少女と、見るからに気だるげな男の姿。


 犬の荒い息づかいの中で、男の声だけがはっきりと通る。


 「また足手まといだよ!何回目だ、お前?ったく、役に立たねえガキがっ」


 乾いた音が、頬を叩く音に混ざって空気を切った。

 少女は肩を震わせ、でも泣き声だけは漏らさなかった。


 「わかってんだろ?このままじゃ、次はトレードかクリスタルだ。……ま、引き取り手があれば、だけどな。」


 男の言葉には、あからさまな嘲りが混ざっていた。

 それから、まるで癖のように手を伸ばし、少女の肩を掴むと、無理やり顔を引き寄せて、ゆっくりと首筋を舐め上げる。


 「昨日の“やり方”、気に入ってたみたいだったよな?また教えてやろうか?」


 少女は、こわばった顔のまま固まり、動かない。

 まるで、心の奥に鍵をかけて、現実から目を逸らしているようだった。


 次の瞬間、男と目が合った。


 「……何見てんだよ。見世物じゃねぇぞ。」


 言葉と同時に睨みつけてくる目。

 こちらを威圧する視線に、思わず反射的に頭を下げてしまう。


 「……すみません。」


 小さく漏れたその声が、情けなく震えていたのが自分でもわかった。


 この世界じゃ、降臨者を守るような明確なルールなんてない。

 あの男が何をしようと、罰せられる事すらない。

 ましてや俺みたいなひょろっちいヤツなんかが口を出したところで、何かを変えられるわけでもない。


 “余計なトラブルは避けろ”


 自分にそう言い聞かせて、視線をそらす。

 けれどその後ずっと、あの少女の表情が焼きついて離れなかった。



六節



 風がわずかに涼しくなりかけた夕暮れ、俺は街角の木陰で、ぼんやりと立っていた。

 美容院から出てきたリアラは、髪の先を丁寧に手櫛で整えながらも、どこか表情が硬かった。

いつもより言葉が遅い。


 「……お待たせしました、マスター。」


 そう言って小さく微笑んだが、その笑顔には翳りがあった。

 俺は言葉を選びかけたが、先にリアラが静かに視線を通りの向こうへ向けた。


 「……さきほどの、あの子と男の人。見ておられたのですね?」


 俺は無言で頷いた。


 リアラは少しだけ息をついた。

 吐くように、静かに。


 「……わたくしも、見ておりました。あの鏡越しに……はっきりと。」


 彼女は視線を落としたまま、手の中の袋をぎゅっと握った。中には整髪用の櫛と、小さな香油が入っている。

 日常のもの。それでも、今はなぜか遠い。


 「……あのようなことは……珍しくはありません。この街でも……他の都市でも。誰にも知られずに……誰にも咎められずに……ずっと、続いている現実です。」


 語る声は、どこか遠くを見ているようだった。


 「……彼女のような子が……“交換”される理由は、たいてい“役に立たなかった”というただそれだけで。けれど……何も悪くないのですよ。……何も。」


 リアラの手が震えていた。だがそれを隠すように、少し背を伸ばして、俺の方を見上げる。


 「……マスターは、あの時、止めなかった。……でも、ちゃんと、目を逸らさずに、見ていらしたのですね。」


 俺は言葉に詰まった。何もできなかった自分と、彼女のまなざしとが、交差する。


 リアラは、そっと微笑んだ。ほんのわずか、けれど確かに。


 「……それだけで、十分です。……それが、次の歩き方を……選ぶ力になりますから。」


 彼女の言葉は、静かな夕暮れの空気に溶けていった。

 通りには、もうあの二人の姿はなかった。

 だが、心には確かに残っていた。

 沈黙の影として、これからの選択に寄り添うように。




七節




 そのあと、俺たちはしばらく黙ったまま並んで歩いた。


 街路樹が濃い影を落とす石畳を、カツン、コツンと靴音だけが響いていく。


 言葉は交わさなかったけれど、それが心地よかった。たぶん、リアラも同じだったんだと思う。ときどき、視線を横に向けると、彼女は袋を抱えたまま、静かに歩いていた。


 ふと、風が髪を揺らして通り過ぎる。その香りに、ほのかに甘い香油の匂いが混ざっていた。


 「……似合ってますよ、髪。」


 思わず口にした言葉に、リアラは小さく瞬きをして、それから、ほんのりと頬を染めた。


 「……ありがとうございます。少しだけ、若返った気がします。」


 「もともと若いじゃないですか。」


 「いえいえ。マスターにとっては、私は……たぶん少し、年上ですから。」


 そう言って、彼女は肩をすくめた。けれどその顔には、さっきまでの翳りはなかった。


 夜の気配が街に降り始めていた。ランタンに灯がともり、行き交う人々の声が少しずつ静かになっていく。


 俺たちは、ゆっくりと歩き続けた。


 やがて、宿泊施設の多い区画が見えてきたとき、リアラがぽつりとつぶやいた。


 「……今日は、ありがとうございます。髪も、お洋服も……そして、あの時も。」


 その声に込められた何かが、胸の奥に、そっと染みこんだ。




八節




 その夜、宿の食堂で、軽く夕食をとっていた時のことだった。


 木のスプーンを器に置き、リアラがふと思い出したように顔を上げる。


 「そういえば、マスター。……転生者ギルドには、もう行かれましたか?」


 口の中のパンを飲み込んでから、俺は小さく首を横に振った。


 「ギルド……ですか? いえ、まだです。何をするところなんですか?」


 リアラは少しだけ驚いたように目を瞬かせたあと、やわらかく微笑んだ。


 「……それは、それは。では、明日ぜひご案内いたしますね!」


 「え、でも……ギルドって、登録とか、お金とか必要なんじゃ?」


 「いえ、転生者であれば、どなたでも無料で入れる施設です。世界樹の加護がある大都市にしか建てられませんので、ある意味では貴重なのですよ。」


 「へぇ……。」


 確かに、地図で見た限りじゃ、それっぽい施設が街の中心近くにあった気がする。


 「大図書館、銀行、神殿、魔術師ギルド。それらと並んで、転生者に開かれている場所です。何か特別なことをする必要はありません。ただ、ふらっと寄って、少し休憩するだけでも……。」


 リアラは、まるで人の温もりの残る湯に手を浸すような口ぶりで、続けた。


 「……一日一回、無料のウェルカムドリンクも出ますし。気分転換には、ちょうどいいかと。」


 俺は思わず吹き出しそうになって、こらえる。


 「……カフェじゃないですか、それもう。」


 「うふふ。そうかもしれませんね。」


 リアラはくすっと笑ってから、少しだけまじめな顔になった。


 「でも……案内しておきたいのです。あそこは、きっと、マスターのこれからに役立ちますから。」


 その言葉には、静かな確信があった。


 「……わかりました。明日、お願いします。」


 彼女はうれしそうに小さく頷いた。温かいスープの湯気が、ふわりと揺れた。







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