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世界樹の記憶《リアラ》  作者: 鈴木 厳流彩


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22章後半



第十四節


 時間がない。


 ゴールネットが揺れるたび、彼らの希望は一つずつ削られていく。


 それでも。


 バッカの叫び。

 震える瞳。

 諦めず、ただ一瞬でも夢に手を伸ばそうとする、その姿。


 「守りたい……。」


 リアラは、己の恐怖を押し殺しながら、ウォーターフィールドの中央、センターサークルの上にそっと足を踏み出した。


 真っ直ぐに、バッカの立つ場所と、サマルカンド・エイプスのゴールを結ぶ直線上。


 胸の奥が、ふるえる。


 それは、祈りにも似た感覚だった。


 目を閉じ、そして、ゆっくりと、瞼を開く。


 その瞳は、まるで月夜に浮かぶ静かな湖面のようだった。


 もう、迷いはない。


 小さく、けれど確かな声で、彼女は名を告げた。


 「……《デュエル・ファン》。」


 その瞬間だった。


 リアラの身に纏っていた水着が、流されるように水の中にほどける。


 光が舞い、彼女の体を優しく包み込む。


 淡い青白の粒子が、花びらのように宙を舞いながら、次第に一つの“何か”を形づくっていく。


 現れたのは、まごうことなき、首振り式・全自動扇風機。


 銀に光る魔導合金のフレーム。

 繊細な魔紋が刻まれたプロペラ。

 まるで神具のような神聖な気配すら纏いながら、リアラの隣に腰の高さほどのそれが佇む。


 彼女の装いもまた、変化した。


 白と水色を基調にした、どこか巫女のような、けれどどこまでも涼やかな水着姿へと。


 神聖と清楚が絶妙に溶け合うその姿に、観客たちはまだ気づいていなかった。


 ただ一人。

 観客席の最上段。

 彼女のマスターを除いて。


 「お願い、風よ……!」


 リアラは意を決し、彼女だけのアイテム《デュエル・ファン》のスイッチを押す。


 次の瞬間、


 ブオゴォォボォォォォ~ーー!


 甲高い起動音と共に、ウォーターフィールドの中に巨大な渦が巻き起こる!


 「えっ……!?」


 リアラが戸惑い目を凝らすと、引き寄せられていたのはバッカだった。


 「うそっ!こっち!?吸引ボタン……!?」


 水圧に顔をひっぱられながらも、リアラは必死にもう片方のボタンを探す。


 バッカが粉砕される!

 いや、その直前!


 「こっちぃぃっ!!」


 渾身の叫びとともに、リアラのもう片方の手の指が、もう一つのスイッチを押し込む!

 一度スイッチに触れた指は、離せない。

 デュエル・ファンのルールは絶対だった。


 ゴォオオオオオオーーーーー!!


 一瞬水が止まり、次の瞬間、爆発するかのような水流がバッカを中心に放たれる。


 重力すら無視した解放。


 その勢いは、ルフィーザの“本気の一撃”すらはるかに超えていた。


 「行ってぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!! バッカさぁぁぁぁんッ!!」


 風が爆ぜ、水が舞い、バッカが、光の矢のように飛翔する。


 その手には、しっかりとボール!


 「んおおおおおおおおおおおおッ!!!」


 スタジアム全体が、音を呑んだ。


  ルフィーザの目が見開かれる。


 「なっ……私のより……速ゃぃぇぇッ!?」


 吠えるルフィーザ、しかしもう止められない。


 バッカは、水神の如くアクアドームを舞い、そのままゴールネットを越え、観客席へとまっすぐに突き刺さる!


 バゴォォォンーーー!!


 爆音とともに、ネットが揺れた。


 観客が沸き立つ前に、アナウンサーの絶叫が響く。


 『ゴーーーーーーーーーーールッッ!!!チーム《おおらかな海》、待望の一撃ッッ!!やりましたぁぁぁぁぁぁッ!!』


 リアラの肩が、ふっと揺れる。


 張りつめていた緊張が、ほどけていく。


 「……よかった。」


 心からの安堵。


 水が、彼女の髪をそっと撫でていった。




第二十二章 第十五節


 センターサークル中央。


 そこに、水を切り裂いて、二つの“何か”が戻ってきた。


 ひとつは、試合の軌跡を象徴する、アクアバウトのボール。

 もうひとつは、ボールを抱え、スタジアムの壁に半ばめり込んだ状態からそのまま転送されてきた、バッカその人だった。


 「……帰ってきた。」


 リアラは、胸の奥でそっと呟いた。


 アクアバウトにおいて、ボールがゴールネットを突き抜け、スタジアムの外壁を砕いたとき。

 それは得点として記録される。そして、規定通り、ボールはワープする。

 どこへ?


 答えは決まっている。


 センターサークルの中心。


 そしてそこに、ボールを抱えたまま場外へ吹き飛ばされた選手もまた、一緒に戻ってくるのだ。

 まるで、ボールの魂と同期するように。


 「……さて、もう一度」


 リアラは、《デュエル・ファン》のスイッチに、再び力を込めた。


 吸引マーク。


 彼女の魔力が、機構の中へと静かに吸い込まれてゆく。低く唸るような風音とともに、センターサークル中央にいたバッカ、そして近くにいたオトウト・レスカー・エンペラートの《ペシャンコ三兄弟》が、ボールと共に巻き込まれていく。


 「お願いします、皆さん!」


 次の瞬間、指の力がもう片方のスイッチへと移動し、リアラの祈りが華開く。


 ドゴォォォォォオオオオオオオ!!


 白銀のプロペラが唸り、水流がなおもって力を増し、風神の怒りの如くフィールド全体に鳴り轟く!


 そして。


 「ぎゃおおおおおおおおおおおッ!?!?」


 明らかに見た目も理性も猿以上の何かと化したルフィーザが、狂気の突進を開始!


 「くそがッ……くそがあああああッ!」


 アクアドームを揺るがす勢いでリアラへと詰め寄る!


 だが、間に合わない。


 放たれた風の奔流は、ルフィーザごと押し潰しながら、バッカとボール、そして《ペシャンコ三兄弟》を、サマルカンド・エイプスのゴールへ一直線に叩き込んだ。


 巨大なボールと化した“おおらかな海”が、空を裂く。

 魔力と汗と筋肉と勇気の塊が、物理法則と理性を無視してゴールへ突き刺さる。


 「な、な、なな、なんというシュート!ゴールです、ゴォォォォールッ!!」


 アナウンサーの喉が裂けそうな声が響き渡る。


 そして次の瞬間、全員が場外へと吹き飛び、スタジアムの壁を砕いた。


 が、規則は規則。

 ボールと共に、選手たちは再び“帰還”する。


 センターサークル中央へ。


 そこに戻ってきたのは、もはや伝説のようなメンバーだった。


 ボールを抱えたバッカ。

 体を起こしかけてまた潰れたオトウト。

 ぺしゃんこでありながら微妙に浮いているレスカー。

 エンペラートは、目を回しているのか、それとも目が飛び出してしまっているのかすら判断つかない程、顔も体も溶けかけていた。


 そして。


 新しく入団したばかりの新メンバー、《ペシャンコ四男》、ルフィーザ。


 猿の王も、もう動かない。


 「みんな……よく戻ってきました……。」


 リアラが優しく微笑みながら、今度は吸引と放出を慎重に調整する。


 誰もミンチにはさせない。


 風は踊り、再びチームを“ひとつのボール”へとまとめ上げる。


 そして、チームおおらかな海、再び飛翔。


 ゴールへ向かって、願いと共に放たれたチーム揃って、一体となった大技。


 その全てを包み込む風の魔力は、まさしく、ノクティヴェイルの空を駆ける風神の祝福だった。





二十二章 十六節


 スタジアムの外。


 それはもう、地獄絵図と化していた。


 魔力によって織りなされる水渦の軌道、そしてそこに乗って放たれる“選手”という名の肉体の塊。

 そのすべてが、観客席の壁を揺らし、柵を砕き、空を裂くたびに、歓声ではなく、悲鳴が上がる。


 次々と放たれる人間魚雷に、観客たちは耐え切れず、観客席のそこかしこには、ぽっかりと穴のような無人の空間ができていた。


 「だ、誰か止めろォォォ!!」


 「シュートじゃない!あれは砲撃だッ!!」


 「選手を助けろォォォ!!もう止めろォォォ!!」


 飛び交う怒号と悲鳴。


 もう誰も、これは“スポーツ”だとは思っていなかった。


 そして、その中心。


 「父ちゃああああんッ!!」


 「あなたァァァァッ!!」


 崩れそうな声で叫びながら、泣きじゃくる子供たち。

 真っ赤な目で口を押さえ、震える妻。

 けれどもその視線は、試合のど真ん中、バッカの姿を見つめ続けていた。


 風に巻かれ、壁に激突し、ペシャンコになって、また戻ってくる。

 その繰り返しに、祈るような気持ちで。


 「……でも、止められない……。」


 スタジアム中央。


 スイッチの上に置いた指に、ぐっと力を込めたのは、リアラだった。


 止まらないのではない。止められないのだ。


 それが、彼の願いだから。


 あのとき、リアラの胸を貫いたバッカの言葉が、何度も繰り返し脳裏を巡る。


 「なあリアラさん。なんだっていい。俺は……どうなったって構わない。あんたの魔法で、俺をあそこに飛ばしてくれねぇか?空気の魔法とかで……なあ、頼む。勝ちたいなんて言わないよ。そんなの、夢のまた夢だ。もし、勝てるなら……命だって捨てられる。だからさ……せめて……子どもたちの前で……妻の前で……一瞬でもいいから、あの場所に立ちたいんだ……」


 そんな言葉を聞いて、応えないわけにはいかない。


 例え、世界がそれを「正気ではない」と罵ろうとも。


 リアラは、涙をこらえた。


 魔力を注ぎ込み、指に込める力を緩めない。 吸引、放出、吸引、放出。


 それは彼、いや彼等の命を削るリズムだった。


 やがて、風に巻かれた“肉団子”のようなバッカは、戦場のすべてを飲み込み始める。

 観客席から見えた時には、いつの間にか。


 「ヴェジーナ!?」


 「パナップ!?」


 「長老まで!?」


 「こいつ、敵チームごと巻き込んでるぞォ!!」


 誰がいつどこで巻き込まれたのか、ボールはどこ?あの肉片は誰?答えはもう、誰にもわからない。


 だが、風神は止まらなかった。


 そして。


 ピィィィーーー!


 清らかに鳴る、試合終了の笛の合図。


 それはまるで、鐘楼のように静かで、穏やかで、 地獄に舞い降りた一条の光のようだった。


 掲げられたスコア。


54対23。


 「……ッ!? ご、54……??」


 「こんなスコア、決勝トーナメントでありえねぇ…。」


 そう、これほどの差で幕を閉じたのは、大会史上初であった。


 だが、誰も歓声を上げなかった。


 リアラも、バッカも、レスカーも、エンペラートも、オトウトも。 ヴェジーナも、パナップも、長老も。


 誰も、勝利を喜ぶ事が出来なかった。


 それでも。


 その場にいた誰もが、心のどこかでこう思っていた。


 あのうねりは、祝福だった。


 あのうねりこそが、《おおらかな海》というチームの、最後の鼓動だった。


 そして、その鼓動を起こしたのは、バッカと、リアラだった。








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