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世界樹の記憶《リアラ》  作者: 鈴木 厳流彩


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23/40

22章前半



一節


 控え室からスタジアムへと続く大扉が、ゆっくりと開く。


 轟音のような歓声が、雪山の空を突き抜けた。


 「いよいよですね……!」


 チーム《おおらかな海》の最後尾を歩くリアラの声が、ほんの少しだけ高鳴っていた。一番前は、両手をぶんぶん振って観客に応えるバッカ。その後ろに、オトウトとレスカーが静かに続く。


 雪山の頂上、リアーユ山。その天に開けた祝祭の舞台、決勝戦スタジアムは、今日という日のために全魔法装置をフル稼働していた。


 宙に浮かぶ魔法の水球、アクア・ドームが青く輝いている。その水面がきらきらと光を反射しながら、ゆらりと空中にたゆたっていた。


 その眩しさに目を細めつつ、リアラはふと、反対側にある相手チームの控え室入り口へ視線を向け、首を傾げた。


 「……あれ? 相手チーム、まだ出てきてませんよ?」


 「ん? ほんとだな。まさか寝坊か……?」


 バッカが鼻をかきながら首をひねる。


 そして。ふと、リアラの目が輝いた。


 「もしかして……不戦勝、じゃないですか!?」


 「え?」


 「だって、相手が10分以内に出てこなければ、私たちの勝ちって……そういうルール、ちゃんと聞きましたもん!」


 バッカとレスカーが、顔を見合わせる。


 「つまり、優勝賞金の五十万ゴールドが……?」


 「はい!わけ前はひとり四万ゴールド!うふふふふっ!」


 リアラが嬉しそうに胸の前で手を組む。オトウトが「ズョエベア……」とぽそりと呟き、バッカは「……でもなんか、それはそれで張り合いなくねぇか?」と苦笑した。


 そのとき、スタジアム上空に魔力拡声器の光が灯り、アナウンサーの声が響いた。


 『これより、アクアバウト決勝戦の開会式を行います! 選手の皆様、スタジアム中央へお進みくださーい!』


 そして続いて現れたのは、あの彼らだった。


 南天六賢者。……の、うちの四人。


 「ツインテール、いませんね……、」


 「肩パッドもだな……またクイズでやらかしたんじゃねぇのか?」


 リアラとバッカの会話の先に、登場したのはモヒカン、ヘルメット、獣の毛皮、トゲ付き帽子の四人の賢者たち。全員が銀色の魔道バイクにまたがり、整然と隊列を組んでスタジアムに現れると、息を合わせて右手を高く掲げた。


 「英雄王シンに、恥じぬ振る舞いを!」


 スタジアムが、揺れた。


 爆発的な拍手と歓声。紙吹雪が舞い、魔力掲示板が空中できらめく。


 ……凄い。今までのどんな闘技場よりも、凄いのだ。


 リアラは、そっと息を呑んだ。


 アクアバウトのファンたちが、ラピスラズリ大陸の各地から集まっているという話は聞いていたが、これほどとは。観客の数は一万人を超えるだろうか。熱気と歓声が雪山の空に届く勢いだった。

 

 他の四人がスタジアム中央へと歩を進める中、俺はひとり、観客席の前の方、SSランク観覧席へと案内される。


 用意された席の隣には、もうひとつの大所帯。


 「父ちゃーん! がんばれー!」


 五人の子どもたちが、揃ってスタンドから叫んでいた。


 「お、おう!! 任せとけ!」


 バッカが思わず振り返って手を振る。


 ……が。


 その隣で、バッカの妻ルーがじっと彼を見つめていた。


 目が笑っていない。


 「あ……あー……うん、えっと……!」


 脳裏に、“試練の間”のハープが投げかけてきた“夜の冒険”のクイズが、鮮明に蘇る。


 羨望と疑念と呆れと、あらゆる視線が混ざった妻のまなざしに、バッカの体から音もなく汗が吹き出した。 もしうちの家族の誰かが、あのハープの情報収集元だったとしたら……。


 「……生きて帰って、ちゃんと説明しよう……。」


 その背中は、勝負前とは思えないほど、酷く沈んでいた。



第二十二章 二節


 『試合開始時刻を過ぎました。繰り返します、試合開始時刻を過ぎました。』


 アナウンサーの声が、場内の魔力拡声器から響いた。


 『なお、決勝戦において、片方のチームが試合開始から10分以内に入場しない場合、その時点でもう片方のチームの不戦勝と判定されます。』


 観客席がどよめいた。


 「……まさか、本当に?」


 リアラがこっそりレスカーの袖を引っ張る。


 「このままいけば、私たちの勝ちですよね……?優勝賞金、50万ゴールド!」


 「マ゛ーニセ……?」


 オトウトが珍しく目を輝かせている。

 一方で、バッカは腕を組み、浮かない表情だった。


 「……いや、やっぱ……ちょっと、惜しい気もするな……。」


 「どうしてですか?不戦勝、いいじゃないですか。」


 「せっかくの決勝だぞ?あのガキども……いや、我が子たちが見てるんだ。父ちゃんの勇姿、ひと暴れくらいは見せてやりてぇよ……。」


 遠く、SSランク観覧席では、五人の小さな子どもたちが旗を振り続けている。

 そして妻ルーの、複雑な微笑。


 「……でもまあ、不戦勝ならそれもまた運命か……。」


 バッカがぼそりと呟いた、その時だった。


 空に、四つの閃光が現れた。


 「……あれ、なんか……来てません?」


 「いや、来すぎてるぞアレ……。」


 ゴゴゴゴゴゴ……ッ!


 轟音とともに、スタジアム上空から四つの球体が流星のように降下してくる。


 観客が息を呑む。


 「うおっ、ちょっ、マジ?落ちてきたぞ!」


 ドオオオォォン!


 四つの玉が、まるで狙ったように《おおらかな海》のすぐ目の前へと着弾した。煙と魔力の爆風が巻き上がる。


 ぷしゅー……


 玉の表面がひとつ、音を立てて開いた。


 そして。


 「……ここが地球か。ピーピーうるさいヒヨコどもに、このパナップ様が挨拶してやろうか?」


 サル、出現。


 それは筋骨隆々、パイナップルみたいな髪型のイカつい猿だった。

 しかし、次の瞬間。


 「ラピスラズリ大陸だ、この馬鹿者!大体“地球”って何よ!」


 後ろから玉を蹴破って現れたメスザルが、パナップの後頭部に拳を叩き込んだ。


 「いてーなヴェジーナ!テメーがボコスカ殴るから、ハゲちまうだろが!このエムッパゲ!」


 「はぁ?その口の利き方は何?もう一回、女王様流に再教育してやろうかァッ!?」


 喧嘩勃発。


 スタジアム中央で、突然現れたサル同士の喧嘩が始まった。


 そこへ、三つ目の玉が静かに開く。


 「やれやれ……」


 モヒカンの影が、静かに姿を現す。


 「全く……うるさい猿どもですね」


 その口調は静かで、妙に上品だった。


 次の瞬間。


 ズドォン!!


 モヒカンのサルは右手でパナップ、左手でヴェジーナの頭を掴み、そのままスタジアムの地面へ叩きつけた。


 「ぎゃんっ!?」

 「いでぇッッ!!」


 床に頭からめり込んだ二人のサルたちは、ビシィと見事な土下座姿勢になっていた。


 「失礼しました、チーム《おおらかな海》の皆さん」


 モヒカンのサルが頭を上げる。その顔には、品の良い笑みが浮かんでいた。


 「私の名はルフィーザ。アクアバウトの王になるチーム、《サマルカンド・エイプス》のリーダーです。」


 四つ目の玉が後方でバシュッと開き、老猿が「ふぉ……ここはどこじゃ?」と寝ぼけながら這い出てきたのなど、誰も気にしない。


 「少々立て込んでしまい、遅れてしまってすみませんでした。実は……もう一人の者が力を合わせても、守護者クイズで苦戦してしまいまして。」


 ルフィーザは空を見上げ、静かに言った。


 「仕方なく、こうして彼に、外から投げ入れてもらったのです。」


第二十二章 三節


 「見たところ、あなた方も四人のようですね。」


 ルフィーザが優雅に歩み出ながら、静かに口を開いた。


 「お互い、最後のメンバーが“試練”を突破するまでは、このまま四対四で進めても、構いませんか?」


 場の空気が一瞬、揺れた。


 「……ふん。いいのか、そんなこと言って?」


 不敵に笑ったのはバッカだった。

 筋肉の腕を組み、グッと顎をしゃくって挑発する。


 「もしかしたらこっちにも、飛び入りで急に五人目が来るかもしれないぞ?」


 「ええ、構いませんよ。」


 ルフィーザは一歩前へと進み、後方のサルに指を鳴らした。


 「《セキエチー》を出しなさい。」


 「アイアイサー!」


 後ろに控えていたパナップが背中の荷物をごそごそとまさぐり、奇妙な形のゴーグル、中央にレンズが付いた装置をルフィーザに手渡した。


 ルフィーザは慣れた手つきでそれを装着し、静かにこちらに視線を向けた。


 「ふむふむ……。」


 ピポ!ピッピッピッピッピッピッ……!!


 ゴーグルのレンズが一瞬ピカッと光る。

 そして彼は、大きく頷いて言った。


 「ええ、構いませんよ。本当に。」


 ルフィーザは、次々とこちらのメンバーに視線を走らせる。


 「見たところ……あなた方のアクアバウトバリューは……。」


 彼の口元に、静かに笑みが浮かんだ。


 「だいたい全員、1万前後。……リーダーのバッカさんに至っては、5万程度ですね。」


 「……なっ。」


 リアラがわずかに眉をひそめる。レスカーは無言でわざと重くしていたラッシュガードを脱いだ。


 「あと一人増えたところで、どうということはありません。」


 ルフィーザの声は、どこまでも落ち着いた、しかし徹底して見下すようだった。


 「ちょっと待って、それはなんですか?……今は、なにを見てたんですか??」


 リアラが戸惑いながら問いかけると、ルフィーザはゴーグルを外し、手のひらの上に載せて見せた。


 「これは《セキエチー》といいます。」


 「セ……セキ?」


 「セキエチー、ですね。バッカさんの後ろにいらっしゃるオトウトさんと同じ、イレボナ族の技術者たちが作ったものです。」


 「ゴウズョテヂ…………。」


 オトウトが誇らしそうに小さく呟いたが、 それが何を言ってるか 誰にも分からなかった。


 「このゴーグルを通して生き物を見ると、その者のアクアバウト能力が数値化されて現れるのです。イレボナの方々はこの数値を、アクアバウト・バリュー(Aqua Bout Value)。略して、ABVと呼んでいらっしゃいました。」


 「なにそれ初耳なんですけど!? そんな便利なものあるんですか!?」


 リアラが目を丸くして叫ぶ。

 バッカも「……オレ、5万って……高いのか?」とやや誇らしげに腕をさする。


 「一応、この会場の一般の観客は百以下、決勝戦に出場した他の方々も平均は2万~3万でした。因みに、後ろのパナップさんとヴェジーナさんは10万前後です。バッカさんはそこそこ高い方かと。」


 ルフィーザが一呼吸おいて、言葉を付け足した。


 「……えへへ。」


 バッカがちょっと照れる。


 そして、場が少し和んだそのタイミングで、さらりと。


 「……まあ、数字だけを見ても、不公平ですからね。参考までに、私のABVもお教えしましょう。」


 少しだけ首を傾げて、ルフィーザは言った。


 「私のアクアバウトバリューは……50万以上です。」


 スタジアムが、静まり返った。


 「ご、ごじゅう……?」


 リアラの声が、かすれて震えた。


 「万て……ケタ、合ってる……?」


 「合ってるな……50と万だ……ほぼ3倍以上、だ……。」


 バッカが口元を引きつらせながら、子どもたちのいるSS席を振り返る。


 「……9かける9って、88だっけ?後で子供達に聞いてみよう……。」


 バッカは帰ったら、この後子供達と、掛け算九九の特訓をする約束をしていた。



第二十二章 四節


 アクアバウトバリュー?

 それがどういう意味なのか、正直よく分からなかった。

 でも、50万という数字のインパクトだけは……確かに、圧倒的だった。


 「まあ……すごい数字なんでしょうね、きっと……。」


 リアラ。元いた世界では、学校の先生もしていたらしい。

 その彼女が、ぽつりと呟いた直後。


 『各選手配置につき次第、決勝戦、試合開始!!』


 魔力拡声器の声とともに、宙に浮かぶアクア・ドームが青く発光する。

 選手たちは魔導リフトに乗り込み、各自のポジションへと滑り出していった。


 そして鳴り響く、試合開始の笛の音。


 最初にボールを手にしたのは、ヴェジーナ。


 合図とともに、神速の泳技が観客席を魅了する。


 「パナップ、右だ!フォロー頼むぞ!」


 「オッケー!ここは任せな、ヴェジーナ!」


 チーム《サマルカンド・エイプス》。そこには、完全に仕上がった連携プレイがあった。


 ヴェジーナがスムーズにボールをさばき、パナップが回り込んで切り込み、最後は再びヴェジーナの重い一撃がゴールに叩き込む。


 開始、わずか一分。


 スタジアムの向こうで、ボールがゴールネットに突き刺さった。


 『ゴォォォール!!先制は、サマルカンド・エイプス!!』


 アナウンサーが興奮気味に叫んだ。


 「……なんですか、今の……?」


 リアラがぽかんと口を開ける。


 「あいつら、ただの猿じゃないな……!」


 「連携が……洗練されすぎてます……。」


 おおらかな海のメンバーですら、敵の得点にもかかわらず、どこか感嘆の眼差しを向けていた。


 「……す、すごいですね……!」


 リアラも思わず拍手を送りかける。

 その肩を、誰かがそっとたたいた。


 「……なぁ、リアラさん。」


 「はい?」


 耳元で、バッカがこっそりと囁く。


 「この試合、勝てば優勝賞金あるけど、負けると、ひとり100Gなんだよ。」


 「…………はい?」


 リアラの瞳が、凍った。


 「……その、えっと。準優勝でも……もう少し、こう……“いただける”ものかと……。」


 「ないんだよね、それが。ガイドブックの一番下にちょこっと書いてある。」


 「…………っ!」


 ぱちん、と音を立てるように、リアラの中で何かが弾けた。


 「では、やるしかありませんね。」


 彼女の瞳が、キリッと鋭く細まる。


 次の瞬間。


 「《エアジェット》!」


 簡単な動作と魔法の名前を口にすると、リアラの周囲に圧縮された気泡が展開した。


 「おっ……!?」


 バッカが目を見張った。


 「は、速いっ!」


 リアラの身体は、水の抵抗をものともしない。

 魔法の空気噴射による推進が水中の動きに合わさり、まるで水霊が泳ぐかのようにドームを縦横無尽に駆ける。


 パナップが構えていたボールへと、一閃。


 「……っ!?なにぃっ!?」


 スッ……!


 水を裂くようなスピードで、リアラがパナップの背後から回り込み、ボールをスライドタッチで奪取。


 『スティールッ!! 奪ったぁああッ!!』


 スタジアムが沸いた。


 ルフィーザが眉をひそめる。

 近くでそれを見ていたヴェジーナが、慌てて叫ぶ。


 「お、おいっ!? セキエチーで見ろ、今の動きおかしくねぇか!? あの女のバリュー、どうなってんだ!?」


 「了解ーッ!!」


 パナップがゴーグルを装着、リアラを覗き込む。


 「な、なにぃ……!? 30万超え……だと……!?」


 「……おいハゲ。」


 すぐさまヴェジーナが突っ込みを入れる。


 「こいつは魔法で動きが変わるタイプだ。セキエチーの数値だけで判断してんじゃねぇよ。」


 「いってぇな!?お前、またハゲって……!」


 「だってハゲてんじゃん!」


 「これはハゲじゃねぇ! 水中戦に特化したエアロ・ヘアスタイルなんだよ!!」


 喧騒の中、リアラは静かにボールをキープしていた。


 「勝てば、四万ゴールド。……でも、それだけじゃありません」


 彼女の中で、今までとは違う火が灯っていた。


 「マスターに……笑ってもらいたいから。」






第二十二章 五節


 「おいおい……マジかよ……あの女、速すぎる……!」


 セキエチー越しの数字を見て、困惑するサマルカンド・エイプスの面々を尻目に。


 「ふっふっふ……じゃあ、次はオレの番だな!」


 バッカが、どこか誇らしげに胸を張った。


 「“おおらかな海”の魂、見せてやるぜ!」


 まるで大地を蹴るように助走をつけ、水を割るように突き進む。

 リアラから受け取ったボールを両腕に抱えたまま、渦のように体を回転させる。


 「《おおらかなうみスピリッツ・どっかんシュートォオオッ》!!」


 放たれた一撃は、荒々しくも一直線にゴールを貫いた。


 『ゴォォォール!! 同点だあああ!!』


 歓声が上がる。


 「ユッチッ!」


 「これぞバッカさん!」


 オトウトが小さくガッツポーズを作り、リアラも笑って頷いた。


 だが、その喜びの中心から少し離れた場所。


 ルフィーザは、一歩後方に下がり、静かに目を閉じていた。


 (……ヴェジーナ、パナップ)


 彼は口を開かず、視線だけで語りかける。

 それだけで、チームの空気がわずかに引き締まった。


 「スゼキヌニッチダ。」


 「たぶん……考えてますね、あれは……。」


 オトウトとレスカーが警戒する。


 だがそれでも、流れは“おおらかな海”にあった。


 「オトウトさん、お願いっ!」


 「ミキシロチ!」


 リアラがスイッとパスを出し、オトウトがノールックでボールをはたく。そのボールをバッカが水中で受け止めるや、重力を跳ね返すようにして回転しながら叩き込む!


 『追加点ーーッ!!三点目、決まったァ!!』


 会場が沸き返る。


 「……すごい……。」


 リアラは自身の心音が、アクア・ドームの水の波と同調していることに気づいた。


 浮力、圧力、水の流れ、光の反射。

 全てが、彼女の“泳ぎ”に呼応している。

 それは、この世界に降誕してから初めて味わった未知の感覚だった。

 

 「リアラさん、右だ!」


 「はいっ!」


 リアラは空気の噴流を後方から交差させるように走らせ、鋭角に切り込む。

 ゴーグル越しに、ヴェジーナが小さく舌を打った。


 「チッ……あの娘、泳ぎだけじゃない。魔力制御まで化け物級だと……! まるで、戦闘民族じゃないか!」


「な、なんだとォ!?戦闘民族と言えば、オレたち《サマルカンド・エイプス》の代名詞で使おうとしてたやつじゃないか!こっからの出番、全部持っていきやがるのかッ!?」


「バカめ……お前の出番なんて最初からないわッ!!」


「お前だって同じだろーが!」


 ヴェジーナとパナップの激突を余所に、リアラの泳ぎは、まさにドームの中心を支配する流れになっていた。


 『四点目も決まったァァァ!!チーム《おおらかな海》、怒涛のリード!!』


 誰もが叫び、湧き上がる中。


 ルフィーザだけは、ただ静かに、瞼の裏で何かを思い描いていた。





第二十二章 第六節


 熱狂の渦がアクア・ドームを包み込んでいた。

 だがその中心から少し外れた位置で、ひとり沈黙を貫くモヒカンの猿がいた。


 ルフィーザ。サマルカンド・エイプスのリーダー。


 「……ふっ」


 閉じていた瞼が、静かに開く。


 だが、それだけでは終わらなかった。

 彼の額。その真ん中に、もうひとつの眼が、ぬめるように開眼する。


 「見せてやろう。光栄に思えよ……この変態を見せるのは、久し振りなんだ。」


 声に歓喜も焦りもない。ただ、圧倒的な自信と破壊の予兆だけが滲んでいた。


 第三の眼。

 それは、ヨガーの極意を極めし者だけが開くとされる、真理の門。


 ドームの空気が、わずかにきしんだ。

 観客席のあちこちで息を呑む音が漏れ、実況すら言葉を失う。


 静寂の中、ルフィーザが低く呟いた。


 「……ズルリ」と音を立てて右腕が伸びる。

 ゴムのようにしなやかで、鋼のように重い。

 ヨガーの秘術“猿腕”を、独自に昇華させた技。彼はそれを、《ヨガー・アーム》と呼んだ。


 「な、なにアレ……。」


 リアラがパスの体勢に入ったまま、視線を奪われて動けなくなる。

 当然、その隙を見逃すほど、相手チームは甘くなかった。


 「っ……!」


 蛇のようにうねる右腕がリアラを正確に狙い、瞬く間にボールを掠め取る。観客がそれと気づくより早く、ボールはルフィーザの掌に収まっていた。


「中途半端な力を身につけた者は……かえって、早死にするよ。そいつを教えてあげようか?」


 その声には、優しさの欠片もない。支配者の冷笑だけが響いた。


 「さあ。“そこ”がおまえたちの希望の墓場だ!」


 伝説の如意棒のように、一度短く戻った腕が、再びしなって円を描く。

 関節の限界を無視するような速度と柔軟性。右腕は弾けるように旋回する。


 「《ルフィーザ・トルネード》!!」


 甲高い風切り音がドームに響き渡る。


 それは投げたのではなかった。

 しなり、回転し、遠心力を極限まで高めた《猿腕旋回砲》。

 荒れ狂う竜巻のような渾身のシュートが、一直線にゴールを貫こうとしていた。


 『ご、ごご……ゴーーーーールッ!!!ぅううぅうぅぅ??????』


 実況の絶叫が、観客席を震わせた。


 空気が止まり、時が凍りついたような感覚。

 ボールは、もはやネットにねじ込まれたも同然。誰もが、そう思ったその時だった。


 ズバァァァァッ!!


 突如、ドームを氷柱のような蒸気が走り抜ける。


 「な、なんだ!?」


 その音と共に、青と黒のペンギンのような生き物が水面を滑るように出現した。

 黄金の王冠を戴いたそのシルエットは、まさしく“氷海の王”。

 《ルフィーザトルネード》を回転中の軌道ごと切り裂くように滑り込み、ボールを鋭く掠め、そのまま胸に抱え込んだ!


 「……泳ぎだしたッ!?てか泳ぎ速すぎじゃね!?」


 ペンギンのような生き物は氷のような軌跡を描き、水中を疾走していく。


 その一撃、いや、“救い”と呼ぶべき登場に、スタジアム全体が再び爆発した。


 「な、なにィィィ!? 誰だよあのペンギン!?」


 「え!? そいつ出場してなかっただろ!?」


 「ゼッケンが……ねぇ!?幻獣のカットインじゃねえかコレ!!」


 観客は騒然、実況はフリーズ。


 混乱するスタジアムをよそに、ニヤリと笑ったバッカが拳を突き上げる。

 そして、誰よりも大きな声で叫んだ。


 「チーム《おおらかな海》、これで全員集合だァァァ!!」


二十二章 七節


 遡ること、チャンピオンロードの草むら。


 願掛けとして着用していたバッカの水着、すなわち海水パンツは、間違いなく“普通の物”ではなかった。


 かつて、チーム《おおらかな海》がまだバッカひとりだった頃。

 ラピスラズリ大陸の自宅近く、トキーハの森で、彼はアクアバウトの鍛錬を兼ねた荷運びの仕事をしていた。


 その日。

 前触れもなく、謎のおじさんが現れた。


 驚くバッカをよそに、男は無言で彼の筋肉を触り回し、やがて何かに深く納得したように頷くと、突然、自分のパンツを脱いだ。


 流石のバッカも一歩引いた。


 だが、おじさんは真剣な顔で言った。


 「カイパンって、知ってるか?」


 知らないはずがない。

 この世界で育った者なら、子どもでも知っている。


 戸惑うバッカの前で、男は懐から小さな球体を取り出した。


 「おじさんの金の玉をあげよう」


 ――完全にアウトな発言である。


 さらに続く。


 「君が仲間に困った時、そのパンツをはいて草むらに入り、この玉を使え。そうすれば、きっと“彼ら”は応えてくれる」


 そう言い残し、男は森へと消えた。


 後に調べると、同様の事案は複数報告されており、未だ犯人は捕まっていない。

 人々はその人物を畏怖を込めて、カイパン博士と呼んだ。


 そして現在。


 決勝進出が決まった夜、バッカはカバンの中に、あの玉とパンツを見つける。


 願掛けのつもりだった。

 噂に聞いていた、チャンピオンロードの草むら。


 そこに辿り着いたとき、彼は確信した。


 そして、出会った。

 ペンギンのような生き物と。


 その生き物の目を見て、瞬時にバッカは悟った。

 ああ、こいつはアクアバウトがやりたいんだ。

 分かった、任せとけ。


 男同士拳で語り合い、やがてペンギンは動かなくなった。


 玉を手に取りペンギンに近付けると、ペンギンが吸い込まれる。


 パンツを見ると、前面に二つのポケットがあった。


 その片方に、玉はぴたりと収まった。


 その瞬間、バッカは理解する。


 怪物パンツ。

 略して、カイパン。


 彼はその存在を「エンペラート(皇帝陛下)」と名付け、来たるべき舞台を、静かに待ったのだった。



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