18章
一節
翌朝。
天は青く澄み渡り、山の頂にあるキール族の村では、決勝進出チームそれぞれの専用宿舎に、眩しい朝日が降り注いでいた。
そして、そのうちのひとつ、チーム《おおらかな海》が泊まっていた宿でも、朝の慌ただしさが始まっていた。
「おはようございます、マスター!」
最初に食堂に現れたのは、やはりリアラだった。昨日の夕食で、誰よりも多く、そして美しくバイキングをたいらげたその姿に、レスカーとオトウト、さらにはバッカですら畏怖の念を抱いていたほどである。
「ま、まさか……朝から……また全開……。」
レスカーが震え声でつぶやく。
「ふふっ、大丈夫です。昨日よりはちょっと控えめにします。今日は試合ですからっ!」
笑顔で山盛りのパンケーキをお盆にのせていくリアラ。その動作は、もはや信仰に近いレベルで迷いがなかった。
「「「「控えめ!!!???」」」」
全員が、心の中で突っ込んだ。
「それでは皆さん、朝食のあとに手洗いも済ませておいてください。スタジアムに入ったら戻れませんから」
レスカーがしっかりと指示を出す。水着姿のまま。
「トイレは大事だぞッ!」
バッカが珍しく真面目なトーンで加勢した。
こうしてしっかり朝食と諸準備を終えた一行は、いよいよスタジアムの前へと向かう。
山頂の空気は冷たく澄み、眼下にはサザンクロス・ベイの街並みが見下ろせる。スタジアム前にはすでに長蛇の列ができており、観客も選手もごった返していた。
「うわ……これ全部、入場待ち……?」
「そうだ。でも見ろ、キール族がちゃんと整列させてる。横入りしようもんならヤギ頭突きの刑だ。」
バッカが嬉しそうに言う。
「えぇぇ……こわ……。」
列に並びながら、リアラはホットドッグを一口かじった。目の前ではキール族の露店がずらりと並び、飲み物やお土産を売っている。
「……あれ?キール族の淹れるお茶って、何気においしいです!」
「オレもホットドッグ3本目です……。」
「は、早く入場しないと、胃の容量が試合の敵になりかねませんよ……」
そうこうしているうちに、列の先から声がかかった。
『つぎぃー!チーム《おおらかな海》、スタジアムへどーぞォ!』
「いよいよですね。」
「行きましょう、マスター。」
呼ばれるがままに、俺達はスタジアムの入り口へと歩を進めた。
十八章 二節
順番の来た《おおらかな海》の五人、バッカ、レスカー、オトウト、リアラ、そして俺は、スタジアムの一つの入り口をくぐった。
その瞬間、ざわめいていた周囲の喧騒は、嘘のようにぴたりと止んだ。
気がつくと、そこはまるで古代遺跡の奥に迷い込んだかのような、ひんやりとした空間。
石畳が足元を覆い、周囲の壁には風化したレリーフのようなものが浮かんでいる。
どこか荘厳で、どこか……静かすぎた。
「……ここ、誰もいませんね。」
リアラが周囲を警戒しながらつぶやいた。俺も思わずごくりと唾を飲む。扉が一つ、部屋の奥にぽつんと存在していた。
そして、その扉の前。
大きな影が一つ、じっと佇んでいた。
最初は像か何かかと思った。だが、ゆっくりと目が慣れてくるにつれ、それがただの石像ではないことに気づいた。
肩幅は大人三人分ほど、全高は四メートルは優に超えている。大人が子どもを肩車したって、まだ見上げるほどの高さだ。
だが、何よりも特徴的だったのは、その頭部だった。
「……キマイラ!」
リアラの緊迫した声が響く。
その獣には、ヤギ、ライオン、ヘビの三つの頭が備わっていた。各々が異なる動きを見せながらも、どこか統一された存在感を放っている。
リアラはすかさず、バッカの左後方に身を引いた。緊張感に包まれた彼女の位置取りは支援にも攻撃にも移れるように計算されており、《デュエルファン零式》をいつでも繰り出せる体勢に入っていた。
俺も何か声をかけようとしたが、それよりも早く、バッカがリアラを制するように左手を出した。
「慌てるな、リアラさん。やつは多分、ここの守護者。つまり、今回のクイズの出題者さ。」
「……えっ?」
リアラの表情が困惑に変わり、ゆっくりと体勢を解いた。
その様子を見た謎の生き物、三つの頭を持つそれは、あたかも好きなテレビアニメが終わった時のようなめんどくさそうな雰囲気で、同時に三つの頭で大きなあくびをひとつ。
そして、おすわりの姿勢を取ったまま、三つの口が、ぴたりとタイミングを合わせてゆっくりと開いた。
「ようこそ、客人よ。Welcome, guest.Bienvenue, invité.」
「我が名は、My name is.Je m'appelle」
「バイリンガ・キマイラ。Bilinga Chimera.Bilinga Chimera.」
十八章三節
「喋った!?」
リアラが目を見開くのも、無理はない。
彼女の知る“キマイラ”といえば、そのごつい出で立ちに違わず、知能もせいぜい犬猫レベル。
言葉を話すなんて、想像もしていなかった。
けれど目の前のそれは、確かに共通語を話している。
一方で、リアラを除く他の四人はというと……別の意味で凍りついていた。
「今日は客人も多いのでな。There are many guests here today,Il y a beaucoup d'invités aujourd'hui,」
「早速、汝らに問う。so I'll ask you right away.alors je vais vous poser la question tout de suite.」
質問が始まる前から、既に何を言っているのか全然わからない。
ヤギの頭は共通語……のはずだが、やたらと鼻声で、やけに語尾が巻いている。
ライオンの頭は低く唸るような音調で、重低音かつ古風すぎて何語なのかすら曖昧。
そして蛇の頭に至っては……もう何も言葉として成立しておらず、精神の深層に直接語りかけてくるタイプ。聞いてると眠くなる。むしろ催眠音声。
それら三つの頭が同時に、それぞれ別々の言語で語りかけてくるのだ。
ヤギの共通語ひとつとっても聞き取りづらいのに、デュオどころかトリオでの音声攻撃は、理解力をゴリゴリと削ってくる。
もはや、バイリンガ・キマイラが、今何を喋っているのかを当てるだけで一つのクイズだった。
「こいつは、やべぇかもしれねぇな……」
最初に言葉を発したのは、いつもは脳筋筆頭のバッカだった。
彼の額からは、めずらしく冷や汗がにじんでいる。
「これは、今までにない類いの試練ですね……」
「カヲッチ」
レスカーが遠い目で呟き、オトウトはすでに心が空を飛んでいた。
うん、もう無理だ。
何がどうなってるかも分からないし、分かりたくもない。
でも、言いたいことは一つだけあった。
「……あの、バイリンガルじゃなくて、トリリンガルでは……?」
その瞬間だった。
三つの頭が、揃ってピクリと反応する。
「「「うるせー!Shut up!Fermez-la!」」」
試練の間 全体に響き渡る スリー パート ハーモニー。
ヤギの頭は「我らが会話中に話しかけるな」と怒り、ライオンの頭は「今日は来訪者が多いんだよ! 時間押してんだよ!」と吠え、蛇の頭に至っては「一番触れてほしくないとこ突くな!」とブチギレていた。
そして。
「汝らに問う。
I ask you.Je vous demande.123456×87654321!!」
「「「「「えっ!!?」」」」」
怒りが頂点に達し、怨嗟にも似た渾身のクイズを吐き出したバイリンガ・キマイラに対し、 チーム《おおらかな海全員》のクインテット がこだました。
十八章 四節
「……無理だな。」
バッカがポツリと呟いたその瞬間、俺たちの心はひとつになった。
これ、突破できる気がしない。
あの三つ首の咆哮から始まり、いきなり数字の暴力みたいなクイズを叩きつけられた今、誰だってそう思うだろう。
もはや試練というより嫌がらせである。
このまま引き返して、別の入り口に並び直そうか……誰かがそう考え始めたときだった。
ライオンの鼻先が、ひくひくと動いた。
「……yeah?(……ん?)」
そいつが気づいたのは、リアラが右手に提げていたホットドッグだった。
時が経つにつれ、焼きたての香ばしいソーセージとパンの匂いが、部屋中にふんわりと広がっていたのだ。
次の瞬間。
「……あの、よろしければ、どうぞ」
リアラが恐る恐る、数歩前へと踏み出し、そっとホットドッグを差し出す。
その動きに合わせて、ライオンの瞳がギラッと光った。
「Ohhhhhh...!! That's it!Could it be...!(おおおぉぉ……ッッ!! それは! もしやッッ!)」
三つの頭のうち、最初に反応したのはライオンの頭だった。
「Can I have it!? No, is it okay to have it!? Maybe it’s for me!? What!?Seriously!?(いただけるのか!? いや、いただいてよいのか!? もしかして、俺のための!? えっ!? マジで!?)」
リアラはびくっと肩を震わせつつも、小さく頷く。
「ど、どうぞ……。」
「Woooooooooo!! Thank you very much!(うぉおぉぉおぉ!! ありがたくいただきます!)」
ボッ!
そ突如、ヤギが口から炎を吹き出した。
「ぬけがけすんじゃねぇ!! そのホットドッグは全員で相談してからだーーッ!!」
「Guh!?You spit fire!!(ぐはぁッ!? 火ィ吐きやがったな貴様ぁ!!)」
ライオンがヤギの首にガブッと噛みつく。
「やめんかこのモフ毛獣!! 首筋がセンシティブなんだよッ!!」
「Your selfish actions have made me angry...!(貴様のその勝手な行動が我を怒らせたのだ……ッ!)」
すると今度は、蛇の頭がぬるりと立ち上がる!
「Ne m'oubliez pas non plus... !!(我も忘れるなよ……ッ!!)」
カプッ。
毒の牙が、ヤギからライオンの順で綺麗に突き刺さる。
「Ouch! Snake! You too!!(いったぁッ!?蛇ぃ! お前もかぁ!!)」
「毒とか反則だろうが、この長モノぉぉ!!」
その瞬間、三つの頭によるカオスな兄弟ゲンカが勃発した。
火と牙と毒が飛び交う壮絶な乱闘。
「……なんかすごいことになってるな……」
俺がぽつりと呟いた横で、レスカーが黙って袋をまさぐる。
「まさか……!」
バッカが目を細める。
そして。
ホットドッグ、二本追加。
レスカーがそれをゆっくりと掲げた。
瞬間。
「「「……それ、食べていいの?Can I eat that?Je peux manger ça ?」」」
三つの頭がピタリと喧嘩を止め、同時にこちらを向いた。
それぞれ微妙に違う期待のこもったまなざしが、レスカーを射抜く。
「どうぞ。ホットドッグの件は私が責任を持って、他の守護者の方々にはバレないよう口止めしておきます。安心してお召し上がりください」
レスカーがごく自然に、まるで高級レストランの給仕のような笑みで言い切った。
その所作に、バイリンガ・キマイラの全ての頭が息を呑む。
レスカーが黙って近付くと、三つ首は恐る恐る、それぞれのホットドッグを受け取った。
「×0……」
ぼそりと呟くライオン。
「……え?」
「123456×87654321×0!!!」
怒鳴りながらペチャクチャと音を立ててホットドッグを頬張るヤギの口から、今度はバッカでも間違えない様な心遣いを含んだクイズが再び放たれる。
全員が一瞬顔を見合わせ、次の瞬間、揃って声を上げた。
「「「ゼローーーーッ!!!」」」
まるで魂の叫びだった。
「C'est exact.(正解です)」
地の底から響いたような低音で、蛇の声が応える。
「ご明答ッ!!」
その直後ヤギの口が火ではなく、爆竹のような派手な光を噴き出した。
「You're doing great!(やるじゃねぇかァァァ)!!」
最後にライオンの頭が、満面の笑みで、ホットドッグを頬張りながら叫ぶ。
ドカーン、とどこからともなく紙吹雪が舞い、一行の頭上で謎のファンファーレが鳴り響いた。
おおらかな海チーム、試練、突破。




