17章
一節
選手専用宿泊施設の朝は、意外なほど静かだった。
昨晩のドタバタが嘘のように、陽光が柔らかくテーブルに差し込み、揺れるティーカップがコツンと音を立てる。
「……昨日の試合、夢じゃなかったんですよね……?」
リアラが手に持ったスプーンをそっと置き、誰にともなく呟く。
朝食のパンケーキをひと口食べたはいいが、そのままスプーンを持った手が止まる。表情は、限界を超えた学生がテスト翌日に発する“やる気ゼロの顔”そのものだ。
「ブロックス……あの、テトリーヌさんの硬さ、何だったんでしょう……。」
「ミスリルじゃねぇかな?」
バッカがコーヒーを啜りながら、わりと真顔で答える。
スプーンを口に運ぼうとしていた俺とリアラの目が合った。
リアラの頬がかすかに引きつっている。
「……次、あれより強い人たちが出てくる可能性、ありますよね……?」
「ま、まあ。ファイナルステージだし。」
俺の返事に、リアラがふるふると首を振って天井を仰いだ。
「……今度は、ブロックじゃなくてミスリル様とか出てきそうです……。」
「そこでだよ!」
突如、椅子をキーッと引いて立ち上がったのはバッカだった。どこからか取り出した書類をバサッとテーブルに広げる。
「優勝したらな。賞金、チーム全体で50万ゴールド!!」
「ご、五十万……っ!?」
リアラがスプーンを取り落とし、俺は動揺のあまりパンケーキを床に落とした。
「しかも、チーム運営費差し引いても、選手ひとりひとりに4万ゴールドの手当てが支給されるってよ!こりゃあ夢があるぜ!」
「そ、それって……!スタンダード宿600泊分以上……! 食費込みでも優雅に暮らせて……浴場にも通えて……っ!」
何かのスイッチが入ったらしい。リアラはむくりと立ち上がると、パンケーキをモリモリ食べ始めた。
「……行けます!決勝、やりましょう!私はやればできる子ですから!ミスリル様だろうが、オリハルコン様だろうが……砕いてみせます!」
バッカがにやりと笑う。
「よしよし、そうでなくちゃな!」
そして食後。
窓辺で湯気の立つティーカップを持ちながら、バッカはゆっくりとカーテンを開けた。
そこに見えたのは、青く広がるサザンクロスベイの向こう、ひときわ高く白くそびえ立つリアーユ山。
「……あれが“チャンピオンロード”さ。」
バッカの指差す先に、どこまでも空へ続く雪の尾根が伸びていた。
「頂上には、今年のファイナルステージ、アクアバウト決勝戦の会場がある。そんで、あの山を守ってるのが、キール族だ」
「キール……?」
「二足歩行のヤギって言ったらわかるか? 馬に乗って羊を飼ってる厳格な種族だ。元は遊牧民でな、今はあの山の清掃から屋台の運営までやってる。結構、便利」
「……でも、あの山……登るんですよね?」
俺は、おそるおそる聞いた。
「……1日で?」
「ははははっ!」
バッカが豪快に笑った。
「当たり前だろ? アクアバウトってのはな、ワクワクしなきゃ意味がねぇんだ!ルートは毎年変わるし、草むらにモンスターも出るし。ファイナルステージにはお楽しみも用意されてる!」
リアラがティーカップを落としかけた。
「……もしかして、モンスター倒したら仲間になるとかいう、あれですか……?」
「ま、あとは登ってからのお楽しみってやつだな。少なくとも、今日が平和でよかったぜ。」
「うぅ……帰りたい……。」
リアラがうずくまった。
だが。
パンケーキと、4万ゴールド分の覚悟を食べ尽くした俺たちは、いよいよ決戦の舞台へと歩き出すことになる。
十七章 二節
リアーユ山の麓に到着した俺たちは、その異様な光景にしばし呆然としていた。
雪山とはいえ、登山口はしっかり舗装されており、立派なゲートアーチには金文字でこう書かれている。
『歓迎!栄光への道、チャンピオンロード』
〜登る者よ、夢と筋肉を背負いし者なり〜
「……妙にキャッチコピーがやる気満々ですね……。」
「もはやこれ、登山というより観光地ですね……。」
俺とリアラがぽつりぽつりと感想を漏らす間にも、登山口には列ができていた。選手や観戦客、応援団らしき者たちでごった返している。
その列を整えているのが……。
「……ヤギ……?」
いや、正確には二足歩行のヤギ族。しっかりとした制服に、警備用の金の腕章。そして角。
「キール族か。彼らが山の守り手って話だったけど、けっこうちゃんとしてるな。」
4匹、もとい4名のキール族がホイッスルを吹きながら列を整理している。
そんな中。
「……あれ?」
リアラが不意に、首を傾げた。
「……なんで……バッカさんとレスカーさん、水着のままなんですか?」
そう言われてみれば、二人は昨日のアクアバウトと同じ格好のままだった。
バッカは上裸に海パン、レスカーはもはやファッションなのか定番なのか不明なマリンビキニ。寒くないのか、そっちが心配だ。
「え?これか?これはなぁ……願掛けよ、願掛け!」
バッカが胸を張って答える。
「優勝の縁起担ぎで、決勝まで脱がねぇって決めたんだ!」
「……ワイルドな願掛けですね……。」
「寒くないんですか……?」
リアラがレスカーに聞くと、にっこりと微笑みが返ってきた。
「私なら、問題ありません。」
彼女の涼しい顔でのさも当たり前であるかの様な返答に、俺の常識メーターはまた一つ、音を立てて崩れ去った。
……問題ないのは、こっちの理解力の方だったのか。
一方。
そんな中でオトウトはというと、もふもふのコートにマフラー、毛糸の帽子、耳あて、ひざ掛けまで装備した完全防寒仕様で立っていた。
「賢明ですね……。」
と、そんなやりとりをしながら洞窟へと進むと、そこには“動く階段”があった。
「……え、これ……エスカレーター?」
鉄と魔導の力で動いているそれは、洞窟の奥へと続いていた。天井には蛍光石が並び、やたら近代的な雰囲気を放っている。
「なーんだ、歩かなくていいんですね……。」
リアラが胸を撫で下ろす。
「助かる……さっきから足が冷えてるんです……。」
俺も正直ホッとした。
どうやら観光ルートと競技ルートは別らしい。
エスカレーターに乗ると、上からのスピーカーから穏やかな音楽が流れはじめた。
『ようこそ、栄光の頂へ! 本日はご搭乗ありがとうございます。チャンピオンロードでは、途中に草むらやモンスターが……』
「え、モンスター……?」
「大丈夫、観光ルートでは出ないって書いてあります……たぶん。」
そう、安心していた。
その時だった。
ガシャッ!!
突如、前方で誰かがエスカレーターの手すりを飛び越えた。
「えっ!?」
飛び降りたのは、バッカだった。
そのまま身を翻し、洞窟の壁の草むらの中へ滑り込んでいく。
「バ、バッカさん!?何やってるんですか!?」
リアラが慌てて身を乗り出す。
「心配するなァ!!俺は俺の道を行く!!」
バッカの声が、草むらの向こうから響いた。
「こっちは大丈夫だ!お前らは先に行けッ!!」
「だ、ダメです!ああいう時に限って何かが起きるんですから!」
リアラの叫びが、エスカレーターに虚しく響く。
「……助けに行った方が……?」
俺が立ち上がろうとすると、レスカーがそっと手を伸ばし、静かに首を振った。
「大丈夫です……バッカさんは……時々、こうなるんです……。」
……ああ、そうですか。
そうこうするうちに、エスカレーターは終点に到着。
ぱかっと洞窟の出口が開くと、そこには、雪を蹴って全力で走り終えたバッカの姿があった。
しかも、氷のつららを髪にぶら下げながら、なぜかドヤ顔で仁王立ち。
「よう、遅かったな。」
「速すぎですよ!!」
「むしろ何があったんですか!!」
俺とリアラのツッコミが重なる中、キール族の一人が横から無表情に言った。
「登山中、草むらの中のモンスター、一体撃破。おめでとうございます。」
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十七章 三節
雪を踏みしめながらスタジアムの広場に足を踏み入れた瞬間、俺たちは思わず息を呑んだ。
そこには、英雄の銅像がそびえ立っていた。
その男、伝説の英雄王。
その像はスタジアムの正面に悠然と立ち、雪の中でも筋骨隆々な姿で、人差し指を天に向かって突き出していた。
「……ここにも、英雄王シンの像……。」
「すごいですね……。」
俺とリアラが静かに見上げる。
像の台座には金文字でこう書かれていた。
『我らが守りし地、ここに栄光宿らん。ラピスラズリ大陸の光、シン。妻はリアーユ、あとマミーナ。あと、リソ(非公認)』
「非公認ってなんだよ……。」
小声で突っ込む俺をよそに、視線を広げると、その広場の周囲には、驚くほどの賑わいが広がっていた。
キール族が営む宿屋が立ち並び、その軒先では羊毛製のマフラーや、「角付きニット帽」など、見るからにあったかそうなアイテムが売られている。
「寒くて死にそうな選手向け、って書いてますね……。」
「需要があるんですね……。」
リアラは律儀に、自分用の小さな湯たんぽを見ていた。どうやら購入を検討しているらしい。
一方その隣には、屋台村のようにいろんな種類の屋台がぎゅうぎゅう詰めで軒を連ねていた。
焼きチーズスープ、雪山羊の串焼き、氷上フルーツ飴。
「……あれ? なにあれ?」
そんな中、突如、呆然と呟くリアラ。
彼女が小さく指差した先にあったのは、何やら本を高く積み上げた屋台だった。
ボロ看板にはこう書かれている。
《守護者クイズ攻略完全マニュアル》
~出題傾向から正答パターンまで、これ一冊でOK!~
「えっ、クイズって何ですか……?」
リアラが眉を寄せる。俺も困惑していた。スタジアムなのに、クイズとは一体……?
「……クイズって、まさか試合前に出るんですか……?」
その不安にバッカがドンと俺の肩を叩いた。
「気にすんな!うちはクイズなんて関係ねぇから!」
「クイズって、そんなの大会出る前にやって下さいよ!」
「必要なのは実力と、あと水着だ!!」
「水着なの!?」
バッカの謎理論がいつものように炸裂する中、ふと、どこからかザッザッという足音が聞こえてきた。
「ん……?」
俺たちが振り返ると、そこには、バナナを大量に抱えたサルの一団が、担架でバナナの山を運んでいた。
「……え?」
「え?」
「ええええええええっ!?」
ピタリと止まるサルたち。
……そして。
全員がこちらを振り向き、めちゃくちゃ丁寧に一礼した。
「なんだったんですか今の……?」
「アイツらが去年の優勝チーム、サマルカンド・エイプスだ。担架に乗せられた大量のバナナは、もはやチームのトレードマークみたいなもんだな。」
そう言って、どこか懐かしそうに頷くバッカ。
彼もまた、雪山の“常連”らしい。
雪が舞う空の下、英雄王の像が見守る中、
スタジアムの裏では、その後もにぎやかな時間が続いていた。




