12章
一節
「ああああああああああっ!!」
午後のカモメ亭の食堂に響きわたる俺の絶叫に、数人の客がスプーンを止めた。
木造の梁に陽光が差し込む中、その空気を裂くように俺は叫んでいた。
「ま、マスター……っ!?ど、どうかなさいましたか!?」
驚いたリアラが、サラダスプーンを持ったまま俺の隣に身を乗り出す。
「……忘れてました……!香草とワイン……スカブの村で仕入れて、ロマーリアに売るって……あの話……!」
天を仰いだ俺に、リアラもはっとしたように手を口元に添える。
「あっ……そういえば……わたしたち、たしかに……。」
一呼吸の後スプーンを置き、リアラは息を整えた。
「完全に、忘れてました……!」
俺もリアラも、タダンカの門出に気を取られすぎていた。
あの笑顔で言われたら、そりゃもう……!
だが、いまさら村に戻らなくとも闘技場の賞金がある。
……となれば、問題は……。
俺はちら、と床に下ろした財布袋を確認する。
ずしりとした重み。2000ゴールドがその中にある。
「……これ、持って街をうろつくの、怖すぎますね。」
俺が呟くと、リアラも頷いた。
「そうですね……この重さ、まるで命綱のようですね。……色々な意味で。」
ロマーリアに来た初日にすられた記憶が、脳裏に浮かぶ。
あのときは……屋台の焼き菓子すら買えなかったのに……!
ふと、リアラが控えめに手を上げた。
「マスター、もしよろしければ……“銀行”というものを、御存知でおられますか?」
「……え?」
「えっと、その……街の中にある、お金を一時的に預けられる施設です。ちゃんと認証もあって、すりにも盗まれませんし、ゴールドは必要に応じて引き出せます。」
「そ、そんな便利な施設があるんですか……!?もっと早く教えてくださいよ……!」
「申し訳ありません、わたくし、てっきりご存じかと……!」
「いえいえ、リアラさんは悪くないです。……銀行、行きましょう。いま何時ですか?」
「はい。午後二時半ですので、まだ三時の窓口終了まで、間に合います」
こうして、俺たちは食べかけのスープを一気に飲み干し、慌ただしく席を立った。
財布を守るために。2000ゴールドを、未来へつなぐために!
「……マスター、走りますか?」
「もちろんです!」
石畳の路地に、俺たちの足音が響く。
ロマーリアの空は、まだ青く高い。
二節
ロマーリアの街を南へ歩くこと15分。石畳の大通りを抜け、広場を過ぎた先に、その建物は姿を現した。
ロマーリア中央銀行。
それは、まるで大神殿のような外観だった。
白大理石の円柱がずらりと並ぶ正面ファサードには、五大天使の名と姿を刻んだレリーフが飾られており、その下には金色の文字でこう記されていた。
【すべての誓いと信用は、天に照らされる】
威風堂々たるその姿に、思わずリアラと俺は足を止める。
「……ここが、銀行……。」
思わずつぶやいた俺の隣で、リアラが微笑んだ。
「はい。……神々と契約を結ぶように、ここでは“信用”を預けるのです。」
彼女の言葉通り、そこは単なる金銭の出し入れを行う場ではなかった。
銀行の中に一歩足を踏み入れると、空気がひんやりと変わるのを感じた。
高い天井には、天使の羽を模したシャンデリアが幾重にも重なり、淡い魔力光を放っている。床は滑らかな白石で磨かれ、壁には天秤や鍵を象った紋章が浮かび上がっていた。
そして天井の最奥、中央の天蓋からは、白金の翼を広げた存在が静かにこちらを見下ろしていた。
書記天使、マネエル。
この世界において、契約・登記・金融を司る天使の末裔たち。
彼らは中央銀行の運営に直接関わっており、各地の銀行とも情報を共有しているらしい。
「おぉ、転生者か。」
窓口に進むと、翼を背にした小柄な書記天使が、まるで生徒を導く教師のような優しい声で迎えてくれる。
「初めての口座登録かね? 召喚器をこちらに。」
「はい……お願いします。」
俺は時計型の召喚器を差し出した。
天使はその縁に指を滑らせると、淡く光る術式が浮かび上がり、紙のように見える魔力の書類が空中に広がっていく。
「記録、照合“ナナシ”、確認。降臨者:リアラ・ヘル、確認済み。……では、登録を開始しよう。」
まるでオルゴールのような優しい音が空間に響き、魔力帳票が一枚ずつ、俺の周囲に現れては消えていく。
「これで、今後は大都市において、自由に引き出しと預け入れが可能になる」
「すごい……なんだか、ちゃんと“冒険者”になった気分です……!」
俺の感嘆に、リアラが満足そうに頷いた。
しばらくして登録が終わると、書記天使が口を開いた。
「転生者であれば、余計な小道具は不要。全ての預貯金の記録は召喚器と共にある。安心して行くが良い。」
「ありがとうございます!」
俺は2000ゴールドを預け入れ、ほっと息をついた。
もう、すられる心配はない。
周囲を見渡すと、他にも多くの転生者や降臨者たちが、窓口で何かしらの処理をしていた。中には、道具の保管申請や仕事の報酬を引き出す者もいた。
重厚で神聖、けれど不思議とあたたかさもあるこの場所は、まさに“信用”が目に見える形となって存在する空間だった。
その奥。
煌びやかな鎧を身につけた存在が、通路の脇に静かに立っていた。
ジャッジ。
黒と金の面をつけた裁定者。違法な取引や詐欺を感知すれば、即座にその場で“審判”を下す世界樹に縁の深いと思われる存在。
その気配だけで、場の秩序が保たれているのがわかる。
「……すごい世界ですね。」
俺が呟くと、リアラもふっと笑った。
「はい。でも、こうしてお金の心配が減っただけでも、とても大きな進歩です。」
俺は頷きながら、出口へと向き直る。
「さぁ、次は……勝利へのお祝いですね!」
「はいっ、マスター。今夜は、ロマーリアの街を楽しみましょう!」
重さを失った財布と少しだけ軽くなった心を抱えて、俺たちは、再び陽射しの射す石畳の道へと歩き出した。
第十二章三節
夜のロマーリアは、まるで星が地上に降りてきたかのようだった。
石畳の路地を踏みしめるたび、足元に反射するランタンの光が揺らめく。昼間とは違う、甘く香ばしい匂いが、街のあちこちから立ち上っていた。
祭囃子のような弦楽器の音が遠くから聞こえ、喧騒の合間に、誰かの笑い声が溶け込んでいく。
「……わぁ……!」
リアラが思わず立ち止まり、口元に手を当てた。
目の前に広がっていたのは、“夜の屋台通り”と呼ばれる歓楽街の一角。
赤い布のひさしに魔法灯が灯り、露店がずらりと並んでいた。鉄板から立ち上る煙、焼き菓子の甘い香り、そしてスパイスが利いた串焼きの香ばしさ。
店ごとに趣向が違い、それぞれがまるで小さな物語のように街を彩っていた。
「……これ、全部……食べ歩いてもいいんですか……?」
「財布は預けたけど、手持ちの分なら……ちょっとずつ、ですかね。」
そう言うと、リアラは、ぱあっと笑った。
「はいっ、ちょっとずつで……いいんです。だって、今夜はお祝いですから!」
俺たちはまず、ミートパイの屋台に立ち寄った。
香草入りの牛肉を包んだ薄焼きのパイを、アツアツのまま手渡され、二人並んでほおばる。
「……熱っ、うまい……!」
「ふふっ、マスター、口の端に……あっ、取れました。」
彼女が指でそっとぬぐってくれる仕草に、思わずドキリとした。
続いて、果実の蜜漬け串や、マナゼリーの屋台をまわり、時折雑貨屋やくじ引き屋をのぞき込む。
通りの奥には、音楽に合わせて踊る魔法仕掛けの人形芝居の一団がいた。人々が輪になって見つめる中、小さな人形が舞い、火の玉がくるくると回る。
「……まるで、夢みたいですね……。」
リアラが、小さく呟いた。
それは、華やかで儚く、どこか、この世界で生きる彼女たちの“命の輝き”そのもののようだった。
ふと、広場の一角で、金と銀の幕がかかった台が目に入る。そこには《ロマーリア年末特別・福引大会》と書かれていた。
「……福引ですって、マスター!」
「……行ってみますか?」
「はいっ!」
今夜は、ただの寄り道かもしれない。
でも、その一歩が、新たな旅の始まりになるとは、この時の俺は、予想だにもしなかった。
第十二章四節
福引き会場の前には、小さな行列ができていた。
カラフルな旗が風にはためき、台の上に設置された金の福引き器が、夜の魔法灯に照らされてきらきらと輝いている。係員の男性は、帽子の上に羽根飾りをつけた派手な恰好で、テンションの高い声を響かせていた。
「はーい! 1回5ゴールド! ハズレなしの運試し、今ならなんと、特賞は豪華客船ペアチケット! 本日最終日でーす!」
「……マスター、豪華客船って……海を渡るあの?」
「ええ。確か、ラピスラズリ大陸の方まで行けるとか……。」
リアラの瞳が、キラキラと輝く。
「……乗ってみたいです……!」
そんな目で見つめられてしまっては、もう後には引けなかった。
俺は手持ちの小袋から、そっと5ゴールドを取り出して差し出す。
「ひとつ、お願いします。」
「まいどーっ!さあ、回しておくんなまし!」
ゴロゴロゴロ……。
金属の球が中で回る音。
カラン。
ひとつの玉が、ポロリと落ちた。
「……あっ。」
出てきたのは、虹色の球。
場が一瞬、静まり返る。
そして。
「な、なななな、なーんとぉぉぉぉぉっ!?特賞ーーーーーっ!!豪華客船『マイクロンビア号』、ペア乗船チケットご当選っ!!おめでとうございますぅぅぅぅぅっ!!」
「え、えええええええええええっ!!?」
俺の声と、係員の絶叫が重なる。
周囲の人々が拍手をしながら「すげえ」「まじで?」「ラッキーすぎだろ」とざわめくなか、リアラは呆然と福引き器を見つめていたが、次の瞬間、ぴょんとその場で飛び跳ねた。
「や、やりましたマスターっ!クルーズです!人生初の、クルーズっ……!!」
「ま、まさか本当に当たるとは……。」
「ありがとうございます……!わたくし……こういうの、ずっと、夢だったんです……!」
思わず、チケットを手にしたリアラが、俺の腕にぎゅっと抱きついてくる。
まわりの拍手と祝福に包まれながら、俺はぽかんと空を見上げた。
まさか、本当に旅が始まるとは思わなかった。
でも、それは確かに、新しい冒険の予感だった。
「このチケットによれば、明日からいつでも船旅を申し込めますね」
「はいっ、マスター!」
夜のロマーリアの空が、華やかな星の海のように、ゆっくりと瞬いていた。




