10章
1節
騒乱から数十分後。
日が傾き始めたロマーリアの空には、朱と紫の雲が流れていた。
そして、闘技場の片隅。
控室の一室。
そこには、リアラがぽつんと座っていた。
「…………。」
湯飲みの中の茶葉は、すっかり沈んでいる。
茶碗を両手で包み込むようにして、彼女はしばらく黙っていた。
ふんわりとした髪に、静かな風が通り過ぎる。
先ほどまでの地獄絵図。
人豚四重奏、アージァ大回転、ジャッジによるR-18通告。
あの凄まじい試合の直後に「代替出場」と告げられたのは、あまりにも不憫だった。
「…………ゼェ、ゼェ……。」
タダンカの息は荒い。
肩で息をしながら、しょぼんとした顔で床に突っ伏していた。
先程の召喚魔法は、完全にキャパオーバー。
召喚された人豚たちは、魔法の効果時間を終えてすでに異界へ強制送還済み。
残されたのは、盛大に暴れた本人と、その“反動”だけだった。
「……タダンカ。大丈夫ですか?」
「……あっ、リアラさん……!」
タダンカは顔を上げ、疲れ切った顔で笑った。
そして、懐からくしゃくしゃになった干し肉の包みを差し出す。
「これ……お詫びと、応援のきもち……。あたし、本当は……次も出たかったけど、ジャッジに、しばらく謹慎って……言われちゃってさ……。」
その声には、どこか寂しさと悔しさが混ざっていた。
けれど、それでもタダンカは笑っていた。
「だからさ。……行ってきてよ、リアラさん。あたしの代わりに、ビシッと!」
「……はい。お任せください。」
リアラは干し肉を大切そうに受け取り、微笑んだ。
そして。
「リアラさん。」
背後からのマスターの声。
控室の扉がそっと開き、夕焼けの光とともに現れた少年の顔は、少しだけ曇っていた。
「すみません……さっきの試合、本当に、とんでもないことになってて……。」
「……ううん、マスターのせいじゃありませんよ。その……ちょっと、刺激が強かっただけです。」
リアラはにこっと笑うが、その目にはどこか、哀しみとも覚悟とも言えぬ光があった。
「けれど……本当に、あたしが出ていいんでしょうか?」
その問いに、彼女のマスターはすぐに答えることができなかった。
「……リアラさんには、傷ついてほしくありません。」
ようやく絞り出したその言葉に、少年の心がにじんでいた。
「でも……タダンカが、あんなに頑張ってくれたのに……。ここで……それを、終わりにしたくなくて……。」
言葉が、途中で止まる。
どう続ければいいのか、わからない。
この戦いがリアラにとって負担であることも、タダンカの想いを継いでほしいということも、彼はまだうまく言葉にできなかった。
だから。
そんなマスターの不器用な想いを、リアラはそっと汲み取った。
「大丈夫です。」
彼女は微笑みながら、そっと彼の手を取り、両手で包み込んだ。
「わたし、マスターの想いも、タダンカの想いも、ちゃんと受け取りました。だから、もう……迷いません。」
その手はあたたかく、しっかりと彼を支えていた
「……次は、誰が相手なのでしょう?」
「……さっき聞いたんですが、まだ発表されてなくて。でも、闘技場でも連勝している人の降臨者らしくて。」
「わかりました。」
静かに布のスカートを払う。
「では、マスター。リングまで、ご一緒していただけますか?」
「もちろんです!」
そして。
ゴウン……と重低音が響き、控室の壁面に設置された、冷えた石造りのエレベーターが開いた。
ニ節
ゴウン……と重々しい音を立てて、石造りのエレベーターが止まる。
夕暮れの陽光が差し込む中、リアラと俺は静かにリングへと歩み出た。
その正面には、すでに佇まう一人の少女。
すらりとしたシルエット。黒に金のラインが入ったドレスコート。微笑みを浮かべた彼女は、柔らかな視線でこちらを見つめている。
「初めまして。ご挨拶をさせていただきますね。」
リアラが丁寧に頭を下げる。俺もそれにならって、軽く会釈をした。
が。
「ふふっ、初めてじゃないのよ?」
言いながら、浮かべていた少女の微笑が満面のものへと変わってゆく。
「え……?」
思わず顔を見合わせる俺とリアラ。
どこかで見たことがあるような……。いや、ある。あるぞ、この雰囲気……!
「……あなた達、私のラムーンだけじゃ、物足りなかったようね?」
「うっ……!」
その言葉に、リアラが小さく呻き、俺も思わず視線をそらした。
脳裏に浮かぶ、あのビキニとブーツと三日月……。
「やっぱり……あの時の!」
リアラが震える声でつぶやく。
少女はくすっと笑った。控えめながらも柔らかな丸みが布地の奥から覗く胸元。
彼女は、そこに手を差し入れ、ピンク色の仮面のような召喚器を静かに取り出した。
「レイラよ。忘れてしまって、かまわないから。」
軽く首を傾げそう言いながら、自らの顔にそっとそれを当てがう。
「貴方たちに、次の“味”をお届けしましょう。」
そのまま少女は、静かに指を鳴らした。
「ミンホイ、召喚。」
少女が言い放ったその瞬間。
ぱあん、と宙が割れたような音。
それと共に目の前にふわりと浮かび上がったのは、ぷよん、と震えるクラゲのような生物。
半透明の球状の体に、触手のような手足。その頭にはなぜか大きな帽子がちょこんと納められている。
「……は、はじめまして〜……ミンホイっていいます……ミン……。」
聞いた瞬間、なぜか癒されそうになるその甘い声。
だが、相手はここまで勝ち上がった猛者。
確実に何かがある。
転生者観覧席に移動した俺は、リアラに向かって大声で叫んだ。
「リアラさん、これはブロンズランク最終戦です!見た目に惑わされず、警戒して下さい!!」
「えっ、いやでも……あんなにふにゃふにゃして……。」
ほっこりと笑顔を浮かべるリアラ。気付けば観客席の多くの客達も同じだった。
「がんばりま〜すっ。ぷるぷるシャワ〜!」
ミンホイが、くるん、と空中で一回転しながら愛想を振り撒く。
誰もが癒しのオーラに包まれる中、試合開始を告げるあの音が、闘技場に響き渡った。
第十章 三節
『第3回戦、開始ィィィィ!!』
司会者の声が場内にこだまする。
が。
「……あれ?はじまって、ますかぁ?」
ぼんやりとした声が、漂うように返ってきた。
ミンホイはふにゃふにゃと体を揺らしながら、まるで他人事のような顔をしている。
……いや、顔というよりも、表面の模様がほんの少し変化しているのが、なんとなくそう見えるだけだ。
「ええと、どれにしよう……どれにしよう……。」
そうつぶやくと、ミンホイは自分の頭にある腕のような触手をぴょいと伸ばし、背中に背負っていた袋の口を開いた。
中けらカチャカチャと金属音が響き、次々と地面に並べられていく。
「え、あれって……武器?」
剣、槍、ハンマー、杖、鎌、ヌンチャク、巨大スプーン、更には歯医者のドリルのような何か。
次々と取り出しては、地面に丁寧に並べていく。
「どれが一番いいかなぁ。……やっぱり、鎌は痛そうだしぃ……でも、槍は長いしぃ……えーと……えーと……。」
その場でぶつぶつ独り言を言いながら、何度も武器を持ち替えては首をかしげるミンホイ。
リアラはその様子を呆然と見つめ、攻撃のタイミングを完全に見失っていた。
ミンホイの行動には、戦いにおける“間”という概念がない。
見た目は無害そうだし、何をしているかも読めない。だが、それだけに動けない。
まるで催眠術にでもかけられたような、緩慢な時間が流れていく。
……一分、二分……三分……。
会場の観客たちも、しだいにざわつきから静寂へと移り変わっていった。
そして五分後。
「できたぁーっ!」
ミンホイが突然ぴょいんと飛び跳ねながら、叫んだ。
なんと。
地面に並べた武器、全部を装備している。
八本もの武器が、触手のような腕や背中から、ぶら下がったり突き出たりしている状態だ。
そのままミンホイは、ふらふら……ふらふら……と、漂うように空中を泳ぎ出す。
リアラはその場で構えを取ったまま、微動だにしない。
睨み合いが、始まった。
だが、それはどこか、戦いとは思えない“沈黙”だった。
第九章 四節
沈黙が続く中、ふにゃりと動き出したのはミンホイの方だった。
ぷよん、ぷよん、と浮かび上がるような軌道で、少しずつ距離を詰めてくる。
「来ます……!」
リアラが身構える。
今ならまだ、距離がある。
「せいっ!」
彼女が右手を振ると、ぱしん、と電気が走り、掌に青白い光球が浮かび上がった。
「《ライトニング》!」
放たれたのは、手に作り出した電撃の玉。
空気を裂いて一直線に、ミンホイの本体を目指す!
だが……。
「ふにゃっ?」
その瞬間、ミンホイの姿がゆらりと透けた。
まるで水面に反射する影のように、電撃が通り抜けていく。
「ええっ……!?かわした……?」
たまらず飛び出したリアラの叫び声に、観客席中の誰もが頷いた。
「よぉし、今度はこっちから行くぞぉ〜。」
ミンホイは、まるで気分が乗ってきたかのように、再びふらふらと前進してくる。
その距離、約3メートル。
通常の格闘技ではまだ遠距離にあたる間合いまでミンホイが移動してきた時。
ビュオッ!
突然、そいつの体がロケットのように変形し、一気にリアラとの距離を詰めた。
「え、待って……ちょっと近い……わっ、速っ、わぁあああっ!?」
近づいた瞬間、八本の触手に装着された全武装が、ばささっ!と一斉に振り下ろされる!
剣、槍、ハンマー、杖、鎌、ヌンチャク、巨大スプーン、そして歯医者のドリルのような何か。
八刀流による超変則連撃が、リアラに襲いかかった!!
「ぎゃあああっ!?えっ!?なんで!?多くないですかっ!?こんなの、ずるいですーっ!!」
リアラは悲鳴混じりにも、ギリギリでそれらをいなしながら、ぴょんぴょんと飛び回っている。
「ミンホイはね、クリスタルによって“デュアルウェポン”、つまり二刀流のスキルを継承させたの」
レイラが俺と反対側の転生者観覧席から、にこやかに説明する。
「どう? 完璧でしょ?」
「マスター、ツッコんでいいですかーーー!?」
叫ぶリアラ。明らかに限界だ。
「え?あっ、はい!」
「マスター……二刀流って、確か“両手に一本ずつ”ですよね?」
「そう……のはず、なんですけど……8……?」
「ふわ〜っ。あれもこれも持ちたいんだも〜ん。」
ご機嫌な声とともに、ミンホイが“ぷるぷる回転斬り”を繰り出す。
「「そんなの、まかり通るわけないだろーーーっ!!』」」
俺とリアラの魂の叫びが、闘技場にこだました。
それでも、八本の触手に持たれた武器は止まらない。
斜め、上から、背後、ぬるんとした軌道で、次々と襲ってくる。
だが。
「っはああ!」
リアラが気合を込め、地を蹴った。
ぬらりと迫るドリルと巨大スプーンを紙一重で避けながら、その懐に滑り込む!
第十章 五節
かつて彼女は、青き豊穣と風を司る神に仕える、ひとりの神官だった。
天を仰ぎ、大地に感謝し、女神に捧げられるのは、扇を手に舞う祈りの儀式。
それは、豊作を願い、加護を乞い、やがて世界にはびこる悪魔と脅威に立ち向かうための、武となった。
扇の舞いは、いつしか刃を宿し、祈りは、戦う力へと姿を変えていった。
だが、リアラがこの世界に“降臨”したその時。
一人目の転生者によって召喚された彼女は、《セフィロ・コンバートメント》の調整により、その雄々しき“武”を奪われた。
手に残されたのは、戦うためではなく、癒すための魔法。
そして、舞いとしての形だけ。
癒し手として、旅の花として、従事する者のそばに静かに仕える日々。……それでも、彼女は、「もう、それでいい」と思っていた。
けれど、その後。
六人目の転生者、今のマスターと出会ってから。
彼女の朽ち果てた心に、徐々にもう一度、何かが芽吹いた。
彼の優しさ。
それを守りたいという、ただひとつの願い。
その願いが、再びリアラの中に、かつての“刃”を求めさせた。
舞いを基礎とする、新たな組み手。
心に刻まれた記憶を辿り、名前も形も奪われた刃扇を、魔法の力で再現する。
その名は。
第九章 六節
リアラが懐へと踏み込み、わずかに空気を裂く音がしたかの様に感じた瞬間。
バチンッ!
高圧電流のような鋭い音がリングに響いた。
その両手に、光が咲く。
青白い雷光が、ひらひらと舞う花びらのように形を取り、リアラの両手に、一対の電光の扇が現れた。
それは、彼女がこの世界に舞い降りて以降、己の記憶と想いを研ぎ澄まし、再構築した魔法。
《デュエルファン零式》。
射程距離はゼロに近く、発動は瞬時。持続時間は最大でもたったの数秒。
持続時間や射程距離等の要素を捨て、代わりに詠唱も術式も短縮させることに成功した、ただ攻撃のためだけに研ぎ澄まされた、一閃の魔法。
その一撃が、放たれた。
「はあああぁぁっ!!」
リアラが気合と共に舞う!
宙に描かれた刃扇の軌道が、まるで風そのもののようにしなやかに、そして鋭くミンホイの胸部を切り裂いた。
バシュウッ!
瞬間、白煙が立ちのぼる。
見た目には軽く当たったように見えるその一撃。
だが、実際には、その内部で何かがはじける音がした。
ミンホイ。
そのほとんどが水分で構成された、クラゲのような浮遊生命体。
そこに、電撃が通った。
水分に沿って魔力が走り、筋肉繊維が内側から破壊される。
言うなれば、電子レンジで加熱された鶏肉。
皮はそのまま、けれど中身はぷちぷちに煮え、白く固まる。
ミンホイの胸元には、ぽっかりと白く焼け焦げた空洞が浮かび上がった。
「ふにゃ……っ……♡」
ぷしゅう。
情けない音を立てながら、ミンホイの体がふわりと揺れた。
観客席に、静寂が訪れる。
誰もが、言葉を失って見つめていた。
勝った。
この一撃で、勝負は決まった。
リアラの目に、安堵の光が宿る。
九章七節
だが、その光は、ほんの刹那のうちに揺らぎ始めた。
ミンホイの体が、かすかに震えたのだ。
ふるふると、小さなスライム体が空中で波打ち、次の瞬間、今にも消えかけていたその口が、震えるように開かれる。
「……フォ……イー……ミュ……」
ほとんど聞き取れない、小さな声だった。
けれど、確かにその言葉が紡がれた瞬間、ミンホイの体内から、淡い光がふわりと溢れ出した。
そして、次の瞬間。
「えっ……!?」
リアラの口から、戸惑いの声が漏れた。
ミンホイの体は、まるで何事もなかったかのように元通りになっていた。
あれほどの一撃を受け、ぐったりとしていたはずなのに……傷一つ残っていない。
場内にどよめきが走る。
観客たちは目を見開き、言葉を失っていた。
それは、リアラも同じだった。
そんな中、反対側の転生者観覧席にいる仮面の少女レイラが、静かに口を開いた。
「……それが、ミンホイのもう一つの能力よ。」
誇らしげなその声に、観客の視線が向けられる。
「たとえ致命傷であっても一撃で沈まない限り、この子は“フォイーミュ”の、たった一言だけですべての傷を癒してしまうの。それは、技術なんかじゃない。“本能”よ。」
少女の言葉通り、リアラの渾身の一撃も、すべて無に帰された。
二度目。
《デュエルファン零式》の閃光が走り、ミンホイを吹き飛ばす。
「ぷにゅ……!」
その直後、ミンホイはふるふると震え、また言った。
「フォイーミュっ」
回復。
三度目。
四度目。
致命的な連撃を繰り出すリアラ。だが……。
「……また……っ!」
どれほどの攻撃を叩き込んでも、ミンホイは微笑みながら立ち直る。
回復に要する時間は、ほんの数秒。
それだけで、すべての努力が帳消しにされた。
やがて、リアラの呼吸は荒れ、二の腕には深い裂傷が残り始める。
本来、彼女の役割も“癒し”だ。
だが、攻撃にも魔力を注ぎ込むスタイルの彼女と、回復のみが魔力で賄われるミンホイとでは、リソースの配分がまるで違った。
リアラは、消耗していた。
焦りの色が、目に浮かぶ。
その様子に、観客の空気も徐々に変わっていく。
「す、すごいなあの子……。」
「クラゲが八刀流ってどういう理屈だよ……!」
「いや、ていうかあれ、無限回復じゃないの!? ズルくね!?」
戦闘技術だけを見れば、ミンホイはまるで素人だった。
にもかかわらず、ただ回復するだけで優勢に見えてしまう。
彼の存在は、観客の心を奇妙に惹きつけ始めていた。
ただ、一人を除いて。
「……リアラさん、頑張って!」
その声は、風を割くようにリングへと届いた。
リアラの耳元へ、少年の声が確かに響いた。
「俺はこれ以上、リアラさんに傷ついてほしくない。でも……戦ってるリアラさんを見ていると、不思議と、期待してしまうんです。」
少年の声は、決して強くはなかった。
けれど、まっすぐだった。
「無理はしないでください。怪我なんかしてほしくもない。……でも、もしやり残したことがあるなら、悔いなく全て出しきってください!」
リアラは、はっと目を見開いた。
呼吸が整う。
耳に残った声の温もりが、冷えかけた心に、そっと火をともす。
ああ、そうだ。
自分が戦っている理由は、誰かの声に応えたいからだった。
「……ありがとうございます、マスター。」
そう、誰にも聞こえない小さな声でつぶやくと、
リアラの目に、もう一度、闘志の光が戻った。
第十章 八節
リアラは、ふらりと距離を取った。
ミンホイの反応はない。
ふよふよと、浮かぶばかり。無害な顔で、風に泳ぐクラゲのようなその体は、いまだこちらに追撃を仕掛ける気配を見せなかった。
リアラはそっと目を閉じた。
まぶたの裏に浮かぶのは、この世界に“降臨”してからの記憶。
数多の転生者たちと、数多の別れ。
主に仕え、旅をし、そして捨てられてきた。
声が、浮かぶ。
「リアラ、ヒーラーか。頼りにしてるわ、宜しくね!」
軽い調子の女性。
「なにこの武器。ちょっと、笑わせないでよ。もういいわ、貴方は回復と家事に専念して。」
嘲笑の混じる横顔。
「助かるぜ!ちょうど色々出来るマルチなヒーラーが足らなかったんだ。」
無邪気に言っていた、あの若者。
「器用貧乏なだけで、何一つまともにこなせないじゃないか。なんだそのガラクタ?そんな武器だかなんだか分からないもん、しまっとけ!」
手を払われた。祈りも、舞いも、誰かに仕える想いすら「無駄」と言われた。
「うん、良いね。聞いた通りだよ。こっちにおいで。僕の旅には、花が必要だ。」
優しい顔だった。でも、それも……。
「ありがとう、リアラ。君は実に甘い果実だった。皮も芯も、何もかも全て、僕が味わい尽くしたよ。……でも、パーティーには新しいヒーラーが必要だ。君には、もう“実り”が残っていない。そうだろ?」
言葉はやがて刃となり、リアラの中に突き刺さったままだ。
それでも。
今、耳にあるのは別の声。
マスターの、優しい声。
「リアラさん、頑張って!」
どこまでもまっすぐで、傷つけることを知らない、あの声。
何も知らない。でも、何よりも強い声。
……守りたい。
胸の奥で、何かがふるえた。
リアラは、ゆっくりと目を開ける。
その瞳は、静かな湖面のように澄んでいた。
迷いは、もうない。
彼女は小さく、でもはっきりと。
その言葉を紡いだ。
「……デュエルファン。」
その瞬間、リアラの着ていた衣装が淡く発光し始める。そして、淡い青白い光が花びらのように舞い、彼女の体を包み込んだ。
衣がほどけ、光となって空中に舞い上がる。
そして、そこに現れたのは、まごうことなき、首振り式全自動扇風機であった。
白銀に輝く外装。魔紋が刻まれた静かなプロペラ。
光の衣が解けるように変化し、腰の高さほどの大きさのそれは、リアラの隣にそっと立っていた。
同時に、リアラの服装が白と水色を基調にした、どこか巫女的な印象もある清楚な水着姿に切り替わる。
観客席がざわめいた。だが。
第九章 九節
「……ここまで、です。」
ぽつりと。
リアラは、そう呟いて手を止めた。
扇風機。
いや、《デュエルファン》と名付けられたその異形の魔導機は、無言のまま、ただ首を振り続けている。
けれどそれを前にしたリアラは、まるで戦意を喪ったかのように、膝をついた。
両手でそっと目元を覆う。
指の隙間から、ぽろり、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。
「……わたし、こんなの……知らない……。」
嗚咽まじりの声が、リングの上に落ちる。
「これ、どう使えばいいの……?こんなの重くて、振るうことすら……。こんな……姿、マスターに見せたくなかったのに……っ……。」
心に渦巻くのは、不安と後悔だった。
(見捨てられる……また、あのときのように……。)
過去、あまりにも多くの“転生者”に使い捨てられた記憶が、彼女の胸を締めつける。
(……マスター、あなたは……こんな私でも……。)
もう問いかける声すら、胸の奥で途切れそうになった。
そのとき。
「リアラさん!!」
叫ぶような、少年の声が闘技場に響いた。
リアラが、はっと顔を上げる。
背後を見れば、そこには、身を乗り出し真剣な表情で手を振っている彼女のマスターがいた。
「相手に……風車の部分を向けて!下のスイッチを押してください!!」
声は、風に乗って、彼女の胸の奥まで届いた。
「え……?」
涙に濡れた指先で、言われた通りにリアラはゆっくりと《デュエルファン》をミンホイの方へ向ける。
腰の位置にある、本体下部のひとつのスイッチに、そっと手を添えた。
……カチッ。
軽い音がして、魔導機が一瞬だけ震える。
その時だった。
ビリ、と肌を這うような衝撃。
「……っ!?」
全自動扇風機が、突如として低く唸り声を上げる。
ブゥゥゥゥン……!
内部の魔導駆動輪が異常な振動を始め、扇の軸が光を放つ。
「な、なに……これ……っ!?」
リアラの指は、スイッチに吸い寄せられるように固定された。
逃げようにも動かない。ぴったりと貼り付けられたかのように、魔力が吸い取られていく。
キュイイイイイイン……!!
吸収の度合いが高まるのと比例して、彼女の体に異変が起きる。
衣服、だ。
白と水色の清楚な水着へと変化したはずの装備が、徐々に、その面積を失っていく。
「えっ、えっ!?ちょっと、これ……!?」
袖が消え、光となって裾がほどけ、背中のリボンが煙のように消え去る。
まるで“衣装を魔力に変換する”かのように、リアラの装いは急速に簡素化され、肌を覆う布は、ほんのわずかしか残っていなかった。
もはや仕様などではない。これは事故だ。
リアラは顔を真っ赤に染めながら、わずかに震えた唇をへの字に曲げ、押し黙るしかなかった。
そして次の瞬間。
ブワァァッーーー!!!
扇風機が前方へと風を放った。
ただの風じゃない。
風に乗って流れるのは、電光、雷鳴、暴風雨。
天と地を貫く、怒涛の魔力竜巻。
空を裂くような雷鳴が、闘技場に轟く。
風が唸り、雷が叫び、電光が風に乗って増幅され、神罰じみた閃光がミンホイへと降り注いだ!
ズガドォオォォォーン!!
それは、もはや魔法というより天災だった。
リング中央、ふよふよと浮いていたミンホイに、なんの前触れもなく、雷と風が一体となった閃光が直撃する。
「ぷにゃああああああああぁぁぁぁ~~~~~!!!」
叫ぶ暇は、ギリギリあったらしい。
バチバチバチッ!!
ミンホイの体が雷光に包まれ、ぽよんぽよんと膨らむ。
ビシュウッ!!
ヒュン……!
ボフッ!
爆ぜた。
それはまるで、お風呂に入れたラムネ入浴剤。
しゅわしゅわと泡立ち、後には何も残らないあの感じ。
そこには、妙な既視感すらあった。
リングの上には、青くてぬめぬめした何かが、まるで現代アートのように点々と転がっている。
「……い、生きてる……?」
「無理でしょ。物理的に“分布”してるし……。」
観客席が困惑と失笑と困惑でざわつく中、リングサイドでは仮面の少女・レイラがマスクをひょいと上げ、ため息交じりにぼやいた。
「……うん、ブロンズでよかったわね。24時間の召喚停止で済むし。あの子、わりと頑丈だから。……着替え代は、あとで請求しとこ。」
第十節
『ブロンズランク第三試合。勝者、リアラ・ヘル!』
場内にアナウンスが響き渡った瞬間、観客席がざわっと沸いた。
「なんか水着? え? 扇風機!?」
「マジで勝った!?意味わかんないけど最高ッ!」
歓声と困惑と笑いが交錯する中、リング中央に立つリアラは、ふらりと一歩揺れた。
まるで、自分でも何が起きたのかわかっていないような顔。
視線がリングの上をさまよい、ほんの数秒遅れてやっと、自分が“勝った”のだと気づいたようだった。
「……あ。」
小さく、リアラが声を漏らす。
緊張の糸が切れたのか、次の瞬間、彼女の膝がぐらりと崩れかけた。
「リアラさんっ!」
俺は叫びながら、転生者観覧席から彼女に向かって走り出す。
リングに飛び込む遥か前から、俺の目に映っているのは、今にも倒れそうなリアラの姿だけだった。
「わっ、ご、ごめんなさい、ま、マスターっ……!」
崩れ落ちる寸前の彼女を、なんとか受け止める。
だけど俺も不器用で、うまくバランスを取れず、思わず一緒に座り込んでしまった。
リアラの体は、火がついたみたいに熱く、体は小刻みに震えている。
「だ、大丈夫です、私……もう、大丈夫ですからっ……!」
必死に強がるその声は、かすれていた。
「無理しないでください。ちゃんと、勝ちましたよ。……リアラさんは、すごいです!」
そう言った俺の胸の中で、リアラがそっと顔を上げる。
耳まで真っ赤に染めたその顔に、恥ずかしそうな笑みが浮かんだ。
「……あ、ありがとうございます。えへへ……。」
その笑顔はどこまでも優しくて、ほんの少し、誇らしげだった。
リングの風が、ふっと頬を撫でた吹。
扇風機の羽根がまだ、静かに回っている。
その風が、リアラの濡れた髪を揺らした。
そして。
「ふふっ。お似合いだね、二人とも!」
遥か遠く、闘技場観客席の入口付近。
そこにはタダンカがいた。
小さく手を振りながら、ぴょこんと跳ねるように拍手をしている。
「うん、これはもう邪魔しちゃ悪いよね〜!」
そう言ってウィンクしてくるその顔は、さっきまで控え室で横になっていたとは思えないくらい元気そうだった。
本当に、みんなすごい。
そして、リアラは……誰よりも、素晴らしかった。




