パールと、その中の妖精
パールは、もうすぐ自分の命が尽きるのだと諦めていた。
両親が事故で急逝したあの日から、彼女の世界は暗転した。伯爵家の広間に響いた嘆きの声も、冷たく降る雨も、すべてが夢のように遠く感じられた。葬儀の後、屋敷へと乗り込んできたのは、彼女の叔父一家だった。
彼らは哀悼の言葉を口にしながら、パールをかわいそうと言いながら、家財を勝手に動かし、使用人たちを従わせ、あっという間に権力を握った。そしてパールを「邪魔者」として庭の小屋に押し込めたのである。
その日を境に、彼女は伯爵令嬢の立場を失った。父母が残した温もりも、華やかな衣装も、未来を誓い合った婚約者の存在すらも。すべては従姉へと奪われていった。まるで、彼女自身がこの世から切り取られた影であるかのようだった。
日ごとに小屋の中は湿り、食事は残飯程度しか与えられなかった。外に出ることも許されず、彼女の名前は屋敷の中から消えていった。だが、それでも生きていけるならとパールは歯を食いしばった。だが、冬の寒さが彼女の命を奪おうとしていた。
すきま風、薄い寝具。もちろん暖房はない。彼女は自分の命が尽きていくのを眺めていた。
そのころ、遠く離れた森の奥。妖精の赤ん坊が産まれた。
疲れて眠る母親。口々に祝いを述べる者たち。
そこに生まれた一瞬の隙。
赤ん坊を抱いて部屋からでる者がいた。赤ん坊の従姉。今まで一族のアイドルだった娘だ。
自分こそがすべての中心だ。その座を脅かすものは排除する。そう決めた。
そして、赤ん坊を連れ出すと、井戸へと投げ込んだ。
その井戸はただの水源ではなかった。妖精たちが長年守ってきた、不思議な道をつなぐ門である。人の世界と妖精の世界を繋ぐ、ひそかな穴。
赤子は闇を落ちながら泣き声をあげ、やがてその先――パールの小屋のベッドへと辿り着いた。
死を覚悟したパールの胸の奥に、光が走る。
妖精の赤子は逃げ場を求めて、彼女の中へと溶け込んだのだ。
冷たい身体に熱が戻る。からっぽな体と心が不思議な力で満たされる。
深く息を吸い込んだ。息苦しくない。頭が冴えて来た。
「……生きたい。生きられる!」
その声は誰のものだったろう。パール自身か、あるいは胸に宿った妖精の願いか。
パールの瞳は月光よりも鮮やかに輝いていた。
それは人の目ではなく、妖精と人との境界に立つ者の光だった。
日が変わる頃、パールは小屋を抜け出して屋敷に入った。
彼女はもう、この家に居場所を求めない。伯爵令嬢の名も、婚約者も、跡取りの座も。だが、胸の奥に宿った小さな妖精が囁く。
――だいじょうぶ。わたしがいる。
その声は気まぐれで、無邪気で、しかし確かな力を持っていた。魔力の波が彼女の足取りを支え、冷たい夜風をぬくもりに変えていく。
日の出とともにパールは屋敷をあとにした。屋敷は沈黙している。
「一緒に行こう」
パールは小さく微笑み、誰にともなく告げた。
こうして、かつて伯爵家の令嬢だった少女は、妖精と共に新たな旅路へと歩み出したのである。
それは自由で、少し苦労があって、けれども月明かりのように静かな奇跡に守られた、果てしない物語の始まりだった。
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