9.襲撃、再び
城を出て、同じ敷地内にある騎士団の宿舎へ向かう道。
ウェインと並んで歩く。
大爆笑からニワトリのようなコッコッという笑いになったが、まだ完全に笑いは抜けていない。いつもの威厳はどうした。迷子か? おーい、威厳よー。
「ちょっと、いつまで笑ってんのよ!」
軽く脛を蹴る。
「だ、だって、お前――王子を投げ飛ばすなんて……ふははっ」
どんだけゲラやねん。つーか、あの険しい表情は、笑いをこらえていたわけね。期待させやがって。
イラっとした私は、つい、言わなくてもいいことを口走ってしまった。
「あと、エドワード王子との婚約、受けることにしたから」
笑い声が止む。見ると、ちょっとニヤけた顔のままフリーズしていた。笑いすぎて戻らなくなったのだろうか。
「別にお前が誰と結婚しようが、俺には関係ない……が、本気なのか?」
ようやく真顔に戻ることに成功したらしい。おめでとう。
「だったらどうする?」
「俺を試してるのか?」
腕を組み、斜め上から見下ろしてくる。さっきまでの爆笑騎士の面影はもうカケラもない。珍しいものを見てしまった。
「私の国では、質問に質問で返すのは失礼なんだけど」
「文化の違いだな」
「協力してほしいって言われたのよ。女王が何か企んでるんじゃないかって」
本気にされても面倒なので、ウェインには正直に言うことにした。
「ほう。あの王子、ただのボンボンじゃなかったんだな」
「自国の王子をただのボンボンだと思ってたわけ?」
「今のは取り消す。減俸されかねん」
「貸しイチね」
私は人差し指を立て、ジョン・トラボルタを意識してニヤリと笑った。
***
舞踏会の翌日。私は王城の一角にある大図書館にいた。
高い天井まで続く本棚、静寂に包まれた空間。ここには王家や教会が管理する膨大な書物が保管されているらしい。その中には、聖女や歴史に関する書もあるはずだ。
「やっぱり、聖女についての詳しい記録は少ないわね」
私は目についた本を手に取り、パラパラとページをめくる。
どの記録も聖女の存在を讃える内容ばかりで、肝心なことが書かれていない。
いつ、どうして召喚されるようになったのか。前の聖女がどうなったのか。――そういう記述が、ことごとく抜け落ちていた。
おかしい。
私のように異世界から召喚された存在がいるなら、過去にも同じことが起こっていたはず。でも、具体的な記録がどこにも見当たらない。
「お困りですか? お姫様」
背後から声がした。振り返るまでもなく、誰だか分かる。こんなことを言うのは――。
「驚かさないでよ、サイラス」
銀髪の神官に決まっている。
「声だけで俺だって分かるなんて感激だな。何を調べてるの?」
許可なく当然のように私の隣に腰を下ろし、手元の本を覗き込む。
「聖女の記録を。でも、知りたいことがどこにも載ってない」
そう答えると、サイラスは何かを悟ったように小さく笑う。
「当然さ。ここにあるのは都合のいい記録ばかりだからな」
「都合のいい記録?」
「そう。歴史ってのは、常に誰かによって編纂されるものだ。王家や教会にとって不要な真実は、記録されない」
私は彼をじっと見つめた。
「つまり、過去の聖女についての記録がないのは、意図的に消されたから?」
サイラスは微笑んだまま、すっと手を伸ばす。
私は思わず首をすくめた。けれど、彼の指先が触れたのは、私が持っていた本の端だった。
「シュリは知らないだろうけど、この国にはある噂がある。――聖女は、一人しか存在できない、と」
「……!」
「そして、不思議なことに、歴代の聖女がどうなったのかって記録はほとんど残されていない。まるで、彼女たちが消えたかのように、ね」
言葉の端々に含みを持たせながら、サイラスは私の目を覗き込む。
「それは、どういう意味?」
「さあ、どういう意味だろうな?」
そう言うと、サイラスはすっと身を寄せてきた。
「っ……!」
気づけば、吐息が触れるほどの距離。
「君は、次の消えた聖女になりたいか?」
心臓が跳ねた。
「……っ、冗談じゃないわ!」
私は椅子から少し身を引いた。けれど、サイラスの手がスッと伸びてきて、私の顎のすぐ下をかすめる。
「それなら、賢く立ち回ることだ。知りすぎるのは、時に命取りになるからね」
サイラスはくすくすと笑い、まるで何かを試すように私を見つめてくる。
「君が何を知ろうとしているのかは知らないが、深入りしないほうがいい」
そのまま、サイラスは私の耳元にそっと囁いた。
「俺は、君が消えるのは見たくないな」
私は息を呑んだ。からかっているのか、本心なのか。サイラスの言葉は掴みどころがない。
「私は、誰かの都合で消されるつもりはない」
「それは頼もしいね」
その時、サイラスの顔から急に笑みが消えた。
周りの音が急に遠のいたような感覚。イヤな気配を感じ、周囲を見回した。
闇に紛れる黒い影――三、いや、四つか。
囲まれた? いつの間に? サイラスと話してる間に?
瞬間、風を切る音。
咄嗟に身を翻し、鋭い刃の軌道をかわす。こっちは丸腰だってのに。
敵は全員黒いフードを目深にかぶっている。視界が悪そうだ。
そして、私は囲まれているけど、サイラスはフリーだ。サッカーのディフェンスが全部こっちについている状態。
「もしかして、教会の――?」
黒フードたちは答えない。サイラスが違う、と首を振った。
「俺は違うから! 世界中がシュリの敵になっても、俺だけは君の味方だから!」
「あ、うん……」
いまほしいのは、そのセリフじゃない。
黒フードの殺気が肌にピリピリ刺さるっていうのに、なんでサイラスはこんなにマイペースなんだろう。
向けられた刃を蹴り飛ばす。次の刃は手の甲で受け、弾き飛ばす。飛ばす方向をしくじったか、鎖骨の辺りに激痛が走った。確実に切れたな。
素手の戦いは慣れていない。武器が、剣がほしい。
次の攻撃が来る前に何か武器になるものを――。