8.舞踏会
金色のシャンデリアがきらめく王宮の大広間。ドレスをまとった貴族たちが優雅に踊るその光景を、私は壁際から眺めていた。
場違い・オブ・ザ・イヤーを取れる自信があるわ。
貴族の女性たちが身にまとうのは、ふわりと広がるドレスに、きらびやかな装飾品。
それらとは対照的に、私は無駄のない動きやすいドレスを選んでいる。華やかさはないが、戦うにはちょうどいい。……いや、戦う場ではないのだけれど。
「シュリ、君のための舞踏会だよ? せっかくだ、僕と踊らない?」
軽やかな声とともに、差し出された手。目の前には、笑みを浮かべたトーマス――じゃなくてエドワードが立っていた。
「いや、私は……」
「遠慮するな。僕が声をかければ、どの貴族の娘も喜んでパートナーになりたがるってのに。僕が誘ってるんだから光栄に思え」
自信に満ち溢れた笑み。ママに逆らえないくせに、と喉元まで出かかったけど飲み込んだ。
王子も、何を考えているのか分からない。王子の真意を探るいい機会かもしれない。
「じゃあ、一曲だけ」
そう言って手を取ると、エドワードが満足げに微笑んだ。
ワルツのリズムに合わせて、私はぎこちなくステップを踏む。剣の型は得意だが、ダンスとなると体育の授業でしかやったことがない。
それも、タンブリンとか鳴子を持って集団で踊るタイプのやつだけだ。集団とズレてるのがバレないよう、後ろの方で小さくなって踊っていた。
「意外だな。シュリ、運動神経良さそうなのに、こういうのは苦手?」
言われなくても、さっきから周りと全然違う動きをしていることは自覚している。
「うっさい。足踏んでやろうか?」
「ははっ、可愛いな」
笑みを浮かべる、というか浮かべっぱなしのエドワードの顔が近い。思わず視線をそらした。
「それで、私を踊りに誘った理由は?」
「理由?」
エドワードはわざとらしく繰り返す。
「何か言いたいことあるんでしょ」
「別に、何も」
「嘘つき」
即答すると、エドワードの大きな青い瞳がわずかに揺れた。
「理由がなきゃ婚約者と踊ることもできないのかい?」
囁くような声で言い、私の腰を引き寄せる。
「……っ、近い!」
抗議したが、エドワードは悪びれる様子もなく、さらに間合いを詰める。
「ダンスってのは、こうやって踊るもんだろ?」
エドワードの腕が私を翻す。腰に添えられた手のひらが、体温を伝えてくる。
「ほら、力抜いて。俺に預けて」
「そんな簡単に――」
言いかけた瞬間、足がもつれてこけそうになった。そもそもヒールに慣れていない。
「うわっ!」
遠心力がかかったか、エドワードもバランスを崩す。
いくら私が体幹を鍛えているとはいえ、成人男性(年齢は聞いてないけどたぶん)の体重を支えるのは困難な体勢だ。
一蓮托生、こけるときはもろとも、だ。
が、しかし。視界が反転する中、私は、長年の修練の蓄積が裏切らなかったことを知った。
ドサッ!
エドワードを支えようと腰に手を回しつつ、自分はしっかりと受け身を取ってしまっていた。結果、何が起こったかというと――。
「っうわ!」
柔道の引込返みたいな技が、金メダル級の完璧さで決まった。エドワードはちょっと先まで吹っ飛び、見事にひっくり返っている。
「ごごごごめんっ!!!」
慌てて駆け寄り、抱き起こす。
打ち所が悪かったのか、目の焦点が合っていない。
「医務室はどこ!?」
とっさにエドワードを抱えて立ち上がる。いわゆるお姫様抱っこというやつだ。
さっきまで流れていた音楽が止まり、フロアは水を打ったように静まり返っている。
てゆうか、打ち水するときってバシャっていうよね。なんで水を打つと静かだってなるんだろ。――じゃなくて!
「下ろしてくれないかな……」
エドワードが小さい声で言う。
「だ、だって、頭打ってるかもしれないし!」
「これはこれで光栄だけど、さすがに恥ずかしい。僕は姫か?」
「そりゃそうですよね。本気ですいません」
エドワードを下ろし、まだフラついてるようなので肩を貸す。
何事もなかったかのように、音楽が再開された。静かで緩やかな曲。これなら誰も転ばないだろうというテンポ。
まるで示し合わせたかのように、誰も何も言わなかった。自国の王子の醜態など、見なかったことにしておきたいのだろう。
「なあ、シュリ」
私の肩にもたれながら。エドワードが耳元で低く言う。
「なに?」
「僕のこと、母上に逆らえない情けない男だと思ってるだろ」
「うん」
あ、口が勝手に即答してしまった。
「はは、正直だね。――母上の真意を知りたいんだ。協力してもらえると助かる」
低いけど、緊張を含んだ声色。何も考えてないボンボンじゃなかったらしい。
「まあ、そういうことなら」
投げ技を決めてしまった引け目もある。ここは協力してもいいような気がした。
女王は怖いけど、王子は怖くない。
――その時。
私の視界の端に、見慣れた姿が入った。
広間の隅、壁際。
――ウェイン。
騎士団の軍服をきっちり着こみ、腕を組んで、じっとこちらを見ている。
普段から厳しい顔つきが、さらに5割増しで厳しく見える。厳しさ1.5倍だ。
なんでそんな顔してるの? と、目で問いかける。――が、ウェインは私が見ているのに気付くと、すいと視線を逸らしてしまった。
妬いてる、とか? まさかね。
私の肩にはエドワードの頭。さすがの私もこれを振り払えるほど鬼じゃない。だって原因は自分なんだもの。
「なんで笑ってるの?」
エドワードがぼそりと言った。無意識に笑みがこぼれていたらしい。
「え、あ、ううん、何でもない。それより、痛いとか気持ち悪いとかない?」
「シュリが優しい」
「あんた、どんだけ私が鬼だと思ってんの?」
軽口を返しながら。意識の半分は広間の隅にいるウェイン に持っていかれっぱなしだった。
こんなに気になるなんて、私、やっぱりウェインのこと――?
***
舞踏会が終わり、煌びやかな喧騒から抜け出した私は、ひとり静かな回廊を歩いていた。
帰り道に迷わないよう、来るときに目印を落としてあった。目印を拾いながら角を曲がる。
ちなみに目印とは、夕飯のパンくずだ。曲がり角の床にまいておいた。拾いながら帰れば掃除する人にも迷惑をかけないだろう。
派手な舞踏会の余韻が残る城内に背を向け、出口へ向かおうとしたそのとき。
「拾い食いするほど腹が減ってるのか?」
廊下の先に人影が見えた。静かな空間によく通る低い声。
ウェインが、さっき見たときと同じように、壁にもたれかかり腕を組んでいた。
「道に迷わないよう落としておいたのよ」
食べません、と首を振りながら答える。
「ダンス、上手だったじゃないか」
何気ない皮肉めいた言葉。いや、皮肉そのものだ。
「見てたの?」
「俺たちは護衛も兼ねてるからな」
ずっと見ていた、と頷く。
「私の華麗なステップも見ていたわけね」
「……」
言い返してやった。瞬間、ウェインは険しい顔になった。眉間にグランドキャニオンよりも深いシワが刻まれる。
「ちょっと、何なの。言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ!」
小学生女子の口喧嘩みたいなことを言ってしまった。
ちなみに、ここで期待してるのは「お前が王子と踊っている姿なんて見たくなかった」的な回答。それ以外はノーサンキューだからね。
ウェインは、険しい顔のまま、くるりと背を向けた。そしてそのまま壁に手を付きずるずるとしゃがみこむ。
「ど、どうしたの……?」
うずくまる体勢になり、
ウェインは、あろうことか――
「ぶはははははっっ!!!」
大爆笑した。