7.女王の提案
午前中の訓練が終わり、自室に帰ろうと城の廊下を歩いていると、侍女に呼び止められた。
「聖女様、女王陛下が広間にてお待ちです」
「私を?」
このタイミングで、アリアスタ女王が? 訝しみながらも、私は侍女の案内に従い、広間へ向かった。
扉が開かれると、そこには優雅に椅子に腰掛けるアリアスタの姿があった。陽光を浴びたプラチナブロンドが、美しい輝きを放っている。
「お呼びでしょうか、女王様」
相変わらず年齢のよく分からない女王は、ゆったりと微笑んだ。
「シュリ。あなたを王子エドワードの婚約者として迎えようと思うの」
――何を言ってるんだ、この人は。
頭が真っ白になった。言われた言葉は聞き取れたはずなのに、意味がまったく入ってこない。
広間は静まり返っていた。
聞き間違えであってほしかった。だって、この女王は、ついこないだ私のことを 「不完全な聖女」 だと切り捨てていたはずだ。
そして昨日、私を襲撃させた張本人だ。
「冗談ですよね?」
思わず口からこぼれた言葉に、女王は優雅に口元に手を当てた。
少女のような仕草だが、私と同じ年齢ぐらいのエドワードの母親だ。私の母親ぐらいの年齢のはず。超若作りに違いない。
「冗談ではないわ。あなたは魔法を持たないけれど、異世界から召喚されたという事実は変わらない」
噛んで含めるようなゆっくりした口調。その声が冷たく響く。
「つまり、民衆から見れば「特別な存在」よ。王子の婚約者としてふさわしいわ」
その言葉を聞いた瞬間、ようやく女王の狙いが見えた。
――なるほどね。
この人は、私を「聖女」としては認めないけれど、「異世界の娘」として利用しようとしてるんだ。
聖女として認めれば、教会が私を管理することになる。でも「異世界から来た王子の婚約者」なら、完全に女王の支配下。
つまり、この婚約話は 王子の妻として私を縛り、自由を奪うための罠だ。
――そこに、何の得があるんだろう。魔力を持たない役立たずだって言ったくせに。根に持つタイプじゃない私ですら衝撃だったんだから。
その時、広間の奥から声が聞こえた。
「ちょっと待ってよ、ママ!」
聴き覚えのある声。エドワード――か?
「婚約の決定権は、僕とシュリにあるはずです!」
なにやら至極まっとうなことを進言しているが、そんなことより――。
え、いま、「ママ」つったよね? ダメよ自分、絶対に「のび太か!」なんてつっこんじゃダメ。受け流すのよ。
「ええ、もちろん。だからこそ、あなたの意思を尊重したいの」
女王は穏やかに微笑みながら、さらりと告げた。
「私が決めるのではなく、国の未来のために、あなた自身が選ぶのよ。国民はすでに、聖女と王子の婚姻を期待しているわ」
んなわけあるか。寝耳に水もいいとこだ。
とはいえ、ここで下手に反発すれば、「女王の申し出を異世界の娘が拒んだ」という構図になって、私の立場がまずいことになりそうだ。
てゆうか、「王子を振った役立たずの聖女もどき」とか言われたらこの世界で生きていけるのかすら危うい。
――どうする? どう返すのが正解?
迷いながら、女王とエドワードを交互に見る。
エドワードはママが怖いのか、何か言いたそうにしているものの言葉に詰まっている。
その反応に、私は小さく息を吐いた。
「……突然のことで、少し考える時間をいただけますか?」
先送り作戦。ひとまずこの場をやり過ごすことにした。
ここで安易に承諾すれば、私はこの若さで人妻になってしまう。でも、下手に断れば、どうなるかわからない。
「ええ、もちろんよ。簡単に決められることではないでしょうから」
女王は余裕の笑みを浮かべる。彼女の中では決定事項なんだろうな。
「ただし、あまり悠長に考えすぎないことね。国の未来がかかっているのだから」
脅し文句のような言葉を残し、女王は優雅に手を振った。「もう下がっていいわ」の仕草。犬を追い払うのと同じ扱いか。
私は静かに頭を下げ、横目でエドワードを睨みながらその場を後にした。
廊下に出て、ようやく息をつく。
――政略結婚。
まさかこの身に振りかかる日が来ようとは。
***
王宮を出ると、夕刻の冷たい風が頬をかすめた。薄暗い石畳の道を踏みしめながら、騎士団の本部へ向かう。
女王アリアスタの言葉が、まだ耳に残っていた。
「あなたを王子エドワードの婚約者として迎えようと思うの」
冷たくも優雅な声音。あれは命令だった。
――笑っちゃうっての。
聖女と認めなかったのはそっちなのに、今さら「王子の婚約者」だなんて。都合がよすぎるにもほどがある。
黒板に数式を間違えて書いたくせに「お前たちに考えさせるためにわざと間違えた」と言い張る数学教師みたいだ。
少し頭を冷やそう。訓練場はまだ開いてるはずだ。
門番に会釈をし、本部の敷地へ足を踏み入れる。
夜の訓練場は静かだった。昼間の訓練の熱気が嘘のように、詰所の灯りもまばらだった。
詰所の奥に見慣れた背中を見つける。残業か。管理職は大変だな。
見つかると面倒なので、そっと通り過ぎようと――。
「シュリ」
秒で見つかってしまった。背中に目が付いてるのか?
やはりわたしは隠密行動には向いていない。だって私は、いつでも正面切って戦いを挑む剣士だから。
「や、やあ、ウェイン団長。遅くまでお仕事かね?」
思わず変な口調になってしまった。ウェインが机に片肘を付き、うさんくさそうな表情でこちらを見ている。
そんな表情、美しい金色の瞳の無駄遣いだってのに。あぁもったいない。
「女王の用事、何だった?」
「あー、政略結婚?」
オブラートに包み損ねた言葉に、ウェインの眉がわずかに上がる。
「なんだと?」
「願ってもない玉の輿チャンス来ちゃったよ」
「どうするつもりだ?」
「そりゃ、二つ返事で――」
言葉を止める。ウェインの表情は読めない。ちょっとは焦るかと思ったのに。
「って、んなわけあるかーい! 保留よ、保留」
元気よくノリツッコミをしてみたが、ウェインの表情はやはり動かない。この世界には、ノリツッコミの文化がないのだろうか。
「シュリ、お前は、騎士団の一員だ」
いつもより低い声。私のテンションとの温度差よ。
「う、うん」
「そして、俺の部下でもある」
「そうだね、団長」
ウェインは金色の瞳をまっすぐに向けた。
「だからこそ、お前の選択を尊重する」
「……」
とっさに反応できなかった。好きにしろって言ってる?
止めてくれるとまでは思ってなかったけど、もう少し焦ってくれると思ったんだけどな。気に入られてると思ってたのに、私の思い過ごしだったか。
「ただ、どんな選択をしようと、お前が一人で背負う必要はない」
「……?」
「もしもの時は、俺を頼れ」
ウェインはそう言った後、わずかに目を細めた。
「女王や王子が何を考えていようと、言いなりになる気はないんだろう? お前が暴走しちまったときは、それを止めるのが俺の役目だ」
なんか、見透かされてる気がする。急に恥ずかしくなった。
「ありがと」
早口でそれだけ言うと、私はその場を離れた。
この気持ちの正体を考えるのは――保留だ。