3.手合わせ
ヒュン!
目の前に、木剣が飛んできた。
反射的に手を伸ばす。木剣の柄が手のひらに収まり――そのまま握り込んだ。
「えっ?」
騎士たちの表情が変わる。雑用ごときが避けられると思ってなかったんだろうな。
私は木剣をひょいっと軽く振るった。
――シュパッ!
まるで、空気を斬り裂くような鋭い音。
「なっ……!?」
騎士たちが息を飲むのがわかる。私自身も少し驚いた。
「なかなかいい剣だね」
見た目の割に重さのバランスがいい。剣道の竹刀とは違うけれど、長年培った感覚がそのまま活かせる。
「な、なんだ……今の……」「おい、もしかしてこいつ……」
騎士たちがざわつく。
「お前、剣を扱えるのか?」
「まあね」
「そんなバカな……魔力もないくせに……」
なにその差別。魔力はなくても剣道全国一位の実力があるんですけど。
「信じられないなら、試してみる?」
軽く木剣を構える。騎士たちがどよめいた。
「どうせ型だけだろ?」
さっき私に水をかけた騎士がニヤニヤと笑って言う。
ここしばらく稽古してなかったから、鈍ってるかもしれないけど。
「百聞は一見に如かず、ってね」
ダンッ!
私は、水かけニヤニヤ騎士に向かって一気に踏み込んだ。
「……ッ!」
飛び込み突き。
騎士はとっさに身を引こうとするが足がついてこなかったのか、思わずのけぞった。そこに木剣を振り上げると見せかけ――フェイントをかける。
「なっ……!?」
騎士のガードが上がる。そこへ――。
バシィィッ!
胴打ちを叩き込む。
一本! と、聞こえずはずのない審判の声が脳内再生される。
「ぐはっ……!?」
騎士が吹っ飛び、背中から地面に倒れ込んだ。
「おい……マジかよ……」「たった一撃で……」
他の騎士たちが凍りつく。
私は木剣を肩に担ぎながら、首を軽く回した。お気に入りの浪人ポーズだ。
やっぱり剣を握ると落ち着く。異世界だろうが、何だろうが、剣の感覚だけは変わらない。
「次は誰?」
私は問いかけた。
だが、誰も動かない。
「こいつ……魔力がないのに、なんでこんな動きが……?」
「魔力強化なしで、あんな剣速……?」
魔力強化? ――ああ、この世界の人たちは魔法を使って剣を扱ってるのか。
私のは剣道で鍛えた技だから、こっちの人たちとは違うんだな。
その時、背後から低い声が響いた。
「何をしている!」
反射的に振り向くと、そこにいたのは――騎士団長ウェインだった。偉い人登場。
さっきまでざわついていた騎士たちが、口を閉じてすっと背筋を伸ばす。
道を歩いてる時、お巡りさんとすれ違う時の姿勢だ。悪いことをしてなくても、つい姿勢をよくしてしまう。
ウェインは金色の眼で私を見据えながら、ゆっくりと近づいてきた。そして、地面に転がった騎士を一瞥し、ため息をついた。
「雑用相手に負けるとは。ちゃんと訓練してるのか?」
「す、すみません……」
倒れた騎士が痛そうに体を起こす。
ウェインは私に目を向けた。
「シュリ、と言ったか」
「宮本朱璃よ」
時代劇ファンのばあ様が、武蔵か阿修羅と名づけようとしたのを、親族総出で止めた結果の妥協案らしい。親族ありがとう。
「ふむ……」
ウェインは少し考え込むような仕草を見せると――いきなり剣を抜いた。銀色の刃が、一瞬で私の喉元に突きつけられる。
――はやっ!
驚く間もなかった。彼の剣速は、他のへっぽこ騎士たちに比べてレベチに速い。
「さすが騎士団長、首を落とされると思いました」
私は目を細めた。
「分かってて動かなかったんだろう」
ウェインの口元が、わずかに笑みを象る。
そりゃあ、本気で首を落としに来るとは思わないけど、反応が遅れたのも事実だ。やっぱり鈍ってる。
ウェインは剣を鞘に納めながら、心なしか機嫌のよい声で言った。
「騎士団の訓練に混じってみるか?」
「え?」
「ここで雑用を続けるよりは、そのほうが合ってるんじゃないか?」
「いいの? まじで?」
願ってもない申し出だった。これ以上鈍ったら全国一の名が泣くわ。
***
騎士団の訓練場。
目の前には、木剣を構えたウェインがいる。
入団試験だか小手調べだか前セツだか知らないけど、なぜか手合わせをする運びになってしまった。
「手加減はしない。全力で来い」
完璧な構え。隙がない。剣を合わせる前から、強いということが伝わってくる。
私は木剣を握り直し、一歩踏み出す。
「それはこっちのセリフよ!」
言って、一気に距離を詰めた。得意の飛び込み突き。
――シュッ!
木剣を突き出す。
ガキンッ!
「……っ!」
ウェインが寸分違わぬタイミングで受け止めた。衝撃が腕に響く。
私の突きを受けた上にびくともしないなんて、こいつは石でできてるのか?
「速いな。だが――」
ウェインは私の剣を跳ね退け、懐に飛び込んで来た。
ガンッ!
「くっ……!」
木剣の柄が腹部に打ち込まれる。呼吸が一瞬詰まる。
ウェインの剣は、決して派手ではない。だが、無駄が一切ない。
私は息を整え、再び構えた。
「やるじゃん」
私の剣筋が読まれている。
どんな攻撃も、ウェインは完璧なタイミングで受け、捌き、いなす。
「さっきまでの威勢はどうした?」
ウェインがわずかに笑う。楽しんでる? それともバカにしてるのか?
「くっそ……」
乙女らしからぬ言葉が出たのはご愛敬だ。
私は低く踏み込むと、思い切って足を狙った。
が、次の瞬間。
ドンッ!
「っ!?」
視界が回転し、地面に転がる。受け身が取れたのでダメージはない。
「今のは悪くない攻撃だったが、意図が読みやすかったぞ」
ウェインが静かに見下ろしている。
「お前の剣は、単純だ」
「単純?」
「正統で、真っ直ぐで、美しい」
「え、それ、褒めてる?」
「いや――美しすぎるんだよ」
「って、それも褒めてるよね?」
ウェインの金色の目が呆れたように細められた。
「お前の剣は、殺すための剣ではない」
「……」
確かに、私は剣道で鍛えてきた。それはあくまで試合のための剣。
でも、ここは騎士団。求められるのは、戦場で生き抜くための剣だ。
「いい目になったな」
私を見下ろすウェインの表情が和らいだ。この人は私に何かを期待しているのだろうか。
「まだやるか?」
「もちろん!」
負けたままで終わるなんて、性に合わない。
私は立ち上がりざま、木剣を振り抜いた。
――が、しかし。
スカッ。
「えっ……?」
ウェインの姿が消えた。
そして、次の瞬間――。
ドンッ!
「ぐっ……!!」
背後から肩口への衝撃。
「お前の剣は鋭い。だが、避けられた後のことを考えてない」
「……!」
私は剣道の試合でも一本を取ることばかり考えていた。
だが、ここは試合じゃない。
「もう一回!」
私は体勢を立て直し、再び構えた。
何度も倒されながら、私はウェインの言葉を反芻する。
攻撃が決まらないことを考える……。
外れた後、次の一手を……。
ウェインが再び踏み込んだ。
鋭い一撃が肩口を狙う。
防ぐか? いや――!
「燕返し!」
私は、直前で自分の剣を横に流した。
――今だ!!
ウェインの懐に滑り込む。
「おっ……!」
珍しく、彼が驚いた顔を見せる。
私は木剣を彼の喉元に突きつけた。
「どうだっ?」
「……ふっ」
ウェインが低く笑った。
「面白い技を使う」
木剣を下げ、満足そうに私を見つめる。
「だが、今ので仕留めきれていなかったら?」
「えっ?」
次の瞬間――。
ウェインが私の腕を掴み、軽く捻った。
「うわっ……!」
一瞬の隙で体勢を崩される。気づけば、彼の木剣が私の首元に当てられていた。
「今ので終わったと思った時点で、負けだ」
「……」
「気を抜くな。最後の最後まで、相手の息の根を止めるまではな」
「……っ」
甘かった……。
戦場の剣とは、最後まで相手を倒しきる剣。私の剣は、まだまだ発展途上だ。