2.女王
「さて、困ったな」
ウェインが腕を組み直し、低くつぶやいた。
「聖女が魔力を持たないというのは、国にとっても異例の事態だ。女王陛下の判断を仰ぐことになるだろう」
「女王……?」
「お前を召喚した方だ」
ウェインがそう言った直後、扉が重々しく開く音が響いた。
「話は聞かせてもらいましたよ」
その声は、氷のように冷たく、水のように澄んでいた。
私は思わず背筋を伸ばした。
扉の向こうから現れたのは、漆黒のドレスに身を包んだ女性。まるで彫刻のように整った顔立ち。
年齢はよく分からない。若作りしてるような、してないような……。
細く涼しげな瞳が、まっすぐこちらを見ていた。
「あなたが……聖女?」
その短い一言に、圧を感じた。圧迫面接を受けてるみたいだ。
女王なんて怖いイメージしかない。ハートの女王とか、女王蜂とか。
私は慌てて姿勢を正した。
「え、えっと……たぶん?」
女王の眉が、かすかに動いた。
「たぶん?」
「いえ、違うというわけではなくて……」
まずい、何をどう説明すればいいのか、まったくわからない。
女王は静かにため息をつくと、ゆっくりと歩み寄る。
「私の名はアリアスタ。この国の女王です」
ヤバい、威圧感ハンパない。ただ立っているだけで、場の圧力を完全に上げている。
「サイラス」
「はっ」
サイラスが即座に膝をつき、頭を垂れる。
「報告を」
「聖女様の魔力は……測定の結果、ゼロでした」
サイラスの言葉に、場の空気がピンと張り詰めた。
女王の表情はほとんど変わらなかった。けれど、その瞳の奥に、ほんの一瞬だけ冷たい光がよぎった気がする。
「……そうですか」
その声は、淡々としていた。
「聖女として召喚された以上、魔力を持っているのは当然のはずなのですが」
「それが……コンマ1ミリも感知できませんでした」
サイラスが重々しく繰り返す。つか、単位不明だけど、この水晶ってそんな精度で計測できるの?
「……」
女王は、静かに私を見下ろした。
「あなたの名前は?」
「宮本朱璃です」
思えばここに来て初めて名を問われた。
みんな聖女、聖女って呼ぶばかりで、私に名前があることに気付いてなかったのだろうか。
「シュリ、ですか」
私の名を口にした女王の声には抑揚がない。
「では、シュリ。あなたに告げます」
女王はゆっくりと、まるで儀式のように言葉を紡いだ。
「この国において、聖女とは、神の加護を受けし者のことを指します」
「は、はあ……」
「そして、神の加護は、魔力という形で現れる」
その視線が、鋭く私を射抜いた。
「つまり、魔力を持たぬあなたは――聖女ではない」
「ちょ、ちょっと待ってください! 私、自分の意思で来たわけではないんですよ!?」
芝居がかったともとれる物言いに、私は反射的に声を上げた。
「聖女として召喚されたが、いまここにいるあなたは聖女ではない。それが事実です」
女王は微動だにせず答えた。
「そんな……!」
じゃあ、私は一体何なの!?
混乱する私を見下ろしながら、女王は静かに続けた。
「まあ、せっかく召喚したのです。少し様子を見ましょう。――ウェイン」
「はっ」
「聖女を、騎士団に預けます」
「……承知しました」
ウェインが頷く。ほとんど表情は変わらなかったが、返事までの間で、「面倒だなぁ」と思っていることがありありと伝わってきた。
「シュリ」
女王が、変わらず冷たい声で続ける。
「あなたが本物であることを証明できるのなら、それはそれで結構」
「証明?」
「あなたが、この国にとって必要な存在なのかどうか」
そう言い残し、女王は優雅に背を向けた。
「証明て……」
こっそり呟く。QEDは天敵と言っていいほど苦手なんだけどな。
***
「ここがお前の部屋だ」
ウェインに案内されたのは、城の敷地内のはずれにある建物の粗末な一室だった。
木製の簡素なベッドと、小さな机。それだけ。部屋の隅にはホコリが溜まっていて、誰も使っていなかったことが一目でわかる。
「まあ、寝床があるだけマシかな」
私は肩をすくめた。ウェインが軽く眉を上げる。
「文句はないのか?」
「え、なんで? 文句言った方がいい?」
「……」
「よく分からないけど、聖女として呼んだはずが思ってたのと違うってことだよね」
「まあ、そうだな」
「だったら、こういう扱いでも仕方ないのかなって」
ウェインはしばらく私を見つめていたが、やがて肩をすくめた。
「まあ、そう思うなら勝手にしろ」
「それより、明日から何をすればいいの?」
「雑用だ。お前は騎士団の使用人として働くことになる」
「ふーん。わかった」
あまりにもあっさりと受け入れた私を見て、ウェインは少し驚いたようだった。
「お前、意外と肝が据わってるな」
「ジタバタしたって仕方ないし。それに、タダ飯食いより働いてたほうが気が楽かなって」
ウェインは少し考え込むような顔をした後、とくに何も言わずに部屋を出て行った。
私はベッドに腰を下ろし、天井を見上げる。
さて、ここからどうしようか。なるようにしかならない、とは思うけど。
***
翌朝。
「おい、新入り! さっさと起きろ!」
ドアをドンドンと叩く音で目が覚めた。
「ん……なに?」
寝ぼけたまま扉を開けると、そこには屈強な男が立っていた。
「今日からお前は雑用係だ。さっさと動け!」
男はボロボロの雑巾とバケツを差し出した。
「まだ顔も洗ってないのに」
「文句を言うな!」
私はバケツを受け取り、のろのろと部屋を出た。
朝から掃除に皿洗いと、完全に雑用係。聖女として召喚されたはずなのに、なんだか修行僧みたいな生活だ。
ま、何もしないよりはいいかな。
考えれば考えるほどわからなくなりそうな状況なので、体を動かしてる方が気が楽だった。
むしろ、道場の厳しい稽古に比べれば、この程度の労働は苦でもない。
だが、問題は……。
「新入りって女か? 騎士団は迷子預り所じゃないんだぞ」
「聖女って話だったのに、魔力を持ってないんだってよ」
通りすがる騎士たちが、私を見るたびに嘲笑や冷たい視線を向けてくることだった。
いちいち気にしても仕方がないので、適当に流すことにした。
***
ここでの生活が続いて数日。
「おい、新入り!」
またか。今度は何を命じられるんだろう。
そう思って振り向いた瞬間――。
バシャッ!
「――ッ!?」
突然、冷たい水が頭から降ってきた。
「おっと、手が滑った」
バケツを手にした男たちが、楽しげに笑っている。
「すまんすまん。雑巾と間違えた」
周囲の騎士たちもクスクスと笑っている。
ふむふむ、なるほど。
私が泣き言も言わず、黙々と働いているのが気に入らないのだろうか。それとも、女だから軽く見てるのか。
レベル低っ! この国の騎士たち、大丈夫かよ。
私はずぶ濡れのまま腰をかがめ、持っていた雑巾をきっちり絞った。
「仕事、増やさないでよ」
言って、男の持っていたバケツを奪い取ると、水浸しの床を雑巾で拭き始めた。
「なんだよ、文句の一つも言えねえのか?」
精神統一のために冷水をかぶるなんて、日常茶飯事。こんなの、私には大した嫌がらせじゃない。心頭滅却すれば火もまた涼し、だ。剣士ナメんな。
「クソ、つまんねぇな」
騎士の一人が舌打ちをした。
「ここの騎士さんたちって暇なんですか? よっぽど国が平和なんですね」
思わず心の声を口に出してしまった。
「……ッ!」
騎士の顔色が変わる。
しまった。地雷だったかも。
次の瞬間――。




