白雪の悪夢
***
また私は殺される。
今回はご丁寧に四肢全てを斬り落とされ、身動きを封じられたうえで、とどめの白刃が私の頭上で稲光のようにきらめいていた。
太刀を構えている青年を私は見上げる。
玉の汗が滴るその顔は、鬼気迫るものがあるけれども、同時に美しくもあった。
決意みなぎる太い眉、殺気閃く灰色の目、固く結ばれ赤黒く色づく唇――
「口惜しいねえ、口惜しいねえ……」
呪詛の言葉を吐く私の口に刃が降り下ろされる。舌が裂け、火を吐くような熱で喉が満たされる。痛みはない。けれど、熱い。息苦しい。
四肢を失い、舌が裂け、地に伏して悶えるそのさまは、きっとさながら蛇だ。
「口惜しいねえ、口惜しいねえ……」
声なき声で、私は唱え続ける。視界がぼんやりとにじんでいく。青年がどんな表情をしているかはもうわからない――
***
「白雪、白雪……」
目を覚ますと、美作が私の肩をそっと揺らしていた。
顔の半分以上が包帯で覆われていても、美作が私を心配しているのは、やたら吐息の混じった湿っぽい声音でわかる。
美作は私が畳から体を起こすのを手伝うと、持っていたコップを手渡してきた。中身はぬるい水だった。それでもありがたい。浴衣の背中は汗でぐっしょりと濡れていた。
「気分はもう大丈夫か?」
「はい……少し嫌な夢を見ただけですから」
「またか」
私は、私が殺される夢をよく見る。今日のように惨たらしい殺され方をされる時もあれば、あっさりと心臓を一突きされたり、景気よく首を断ち切られたり、方法は様々だ。
しかし共通しているのは、私を殺す青年は必ず同じ人物だということ。
実際に出会ったことなどない、夢の中だけの青年。もしかしたら、昔読んだ絵本や昔話の登場人物なのかもしれない。そして、さっきの殺され方は、最近見た芝居に似ている気がする。妖術使いの娘が、若武者に成敗されるというよくある筋書だ。
「やはりお前に酌させるべきじゃなかった」
美作が申し訳なさそうに言った。美作は旅の興行一座マミヰ座の座長だ。一座の収入のほとんどはもちろん興行の見物料だが、上客からの特別なおひねりも馬鹿にはできない。
昨晩も、この下宿からほど近い料亭で客にお酌しながら色々おねだりしたばかりだ。
まだ十六の私は体質もあってお酒は飲めない。それでも客の機嫌を損ねないように、飲んだふりをせざる得ない時がある。それで唇に酒が触れたのだが、案の定、気分が悪くなった。
おかげで変な夢を見た挙句、ずいぶんと寝過ごす羽目になった。日の入り方からして、もう正午近いだろう。
「今夜も公演だ。手伝いはそこそこでいいから、準備はしっかりしておきなさい」
そう言うと美作は下宿の外へと出て行った。暴力的なまでに白々しい日差しの向こうに、黒いハットを目深にかぶり、長袖のシャツに長袖のズボンをぴっちりと着込んだ大男が消えていくのを私はぼんやりと見送った。
きっと近頃昵懇の西洋医のところに行くのだろう。美作は体の右半分に火傷を負っている。今でもよく痛むし、膿もひどいらしい。私以上に、寝苦しくうなされている姿をしばしば目にする。
私は、外に出て同じ一座の雲居たちと並んで洗った着物や下着を干したり、お勝手で一座の女房役であるあやめに小言を言われながら、握り飯をこさえるのを手伝ったりした。そうやって雑用をしていると時間はあっという間に過ぎてしまう。
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夕刻になり、一座の皆と下宿から歩いて仕事場に向かう。
赤いテントの前には色とりどりの幟がはためいていて、美作が既に開演の準備を始めていた。
「入った入った! お代は見てのお帰りだい! 今宵、ここにありますは世にも珍奇、世にも因果なビックリ人間ばかり。手足八尺の蜘蛛女、怪力自慢の異国の巨人、そして正真正銘の蛇女! さあさあ、入った入った! 見なきゃ損だよ!」
座長の太い声に誘われて、客が続々と赤テントの中に吸い込まれていく。猥雑な見世物のわりに、見物客はそこそこ身なりのいい男女や子連れの家族が多い。
やがて、開演のベルが鳴る。
公演の一番手はマミヰ・美作こと座長の催眠奇術だ。踊り子兼アシスタントのあやめに体が岩のように固くなる暗示をかけて、剣山の上に寝かせたり、刃物の上でつま先立ちさせたりさせる。種も仕掛けもない。「コツさえ掴めば、意外と大丈夫なもんさ」とあやめは笑って言っていた。
蜘蛛女こと雲居は四肢が欠損している。手足のない赤子のような少女――実際には私より二つ上の十八なのだが――が舞台の上に転がっているかと思えば、座長が彼女の体に布をかける。そしてその布を取っ払うと、そこには成人男性の背丈ほどの超特大の義手義足をつけ、身の丈八尺に伸びた四つ足の蜘蛛女が屹立している。
もはや義足というより、竹馬のような様相だが、彼女はその四つ足を器用に操って走りまわり、ゴム縄を跳び、カンカン踊りまでしてみせる。
他にも、鉄のフライパンやドラム缶を簡単に潰す露西亜人の大男だの、息をぴったり合わせて見事にジャグリングする双子だの、登場するたびに観客は「おおっ」と歓声を上げた。
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「お隣は志那国の女媧にはじまり、希臘のラミアやメデューサ、仏蘭西のメリュジーヌ、蛇女の伝説は古今東西どこにでもございます。そして今宵の伝説はここに。親の因果が子に報いたか、はたまた前世の業に絡めとられたか、生まれ出でたるはこの姿……!」
美作の口上とともに、私は舞台に立つ。薄っぺらな襦袢一枚というあられもない格好で、さらにその襟元を大きく広げ、勿体ぶりながら片腕を脱いで見せつける。
「この肌をご覧なさい。入れ墨なんかじゃございません。正真正銘、蛇の鱗。生まれついての蛇女とはこの『白雪』でござい!」
観客たちが息を呑むのがわかる。真っ赤な襦袢に、肩口で切りそろえられた真っ白の髪、そしてもろ肌の上に碁石のような艶やかさで光る白い鱗。全面が鱗で覆われているわけではなく、鱗の集中している箇所が帯状なのも、まるで私の体に蛇が絡みついているように見えるだろう。
果たしてこの蛇女は本物だろうか?――観客の殆どが疑念と好奇の混ざった目で私を見つめる。
「まがい物じゃございません! 白雪こそ、蛇の申し子。蛇と話し、自在に操れることこそ何よりの証拠!」
美作は舞台袖から蛇を二匹取り出してきた。赤銅色の『陽炎』と、翡翠色の『不知火』――美作は観客にその二匹が生きていること、本物であることを確認させたのち、私に手渡す。
私は陽炎を腕に、不知火を脚に絡ませる。どちらも襦袢の内で私の体を這い、やがて襟から首を出してみせた。
私は不知火の首を掴むと、それを自分の口元に近づけた。そして口を開ける。不知火はまるで巣穴に戻るかのように私の口の中にしゅるしゅると入っていく。観客席のあちこちから「ひぃっ!」と悲鳴が上がった。
それ自体はいつもの反応だった。しかし、不知火を呑み込みながら観客席の様子をうかがっていると、思いがけないものが私の視線を釘付けにした。
(あの男は……)
私をじっと見つめる、灰色がかった炯眼。意志の強そうなしっかりとした眉。彼と目が合った瞬間、私は呼吸をするのも忘れた。
その顔は、間違いなくずっと夢に見続けていた私を殺す男だった。夢と違い、今時の洋装にステッキを持っていたが、その顔は見間違いようがなかった。
「あっ」と思わず声が漏れ、私はむせた。
不知火は胃に落ちる前に器用に方向を変え、喉をさかのぼっている最中だった。不知火が驚いているのがわかる。私たちは言葉を交わせるわけではないけれど、なんとなく意思疎通はできるのだ。
私は慌てて、わざとらしくむせているテイで呼吸を整えながら不知火を吐き出した。
観客は私の様子を滑稽なものと捉え、手を叩いてゲラゲラ笑った。私はもう一度観客席を見る。しかし涙でにじんだ視界の向こうに、例の男はもういなかった。
***
公演が終わるなり、私は紙吹雪の掃除も放って、テントの外に出た。六区は似たような見世物小屋が並び、今の時間は帰りの客でごった返しだった。私は例の男の姿を探そうとしたが、人波の中にそれらしい人影は見当たらなかった。
それでも何かに急き立てられるように、私は人込みをかき分けて行こうとした。
が、強い力が私の腕を掴んだ。
「どこへ行くつもりだ、白雪」
「私は……」
「片付けがあるだろう」
先ほどまでの客の前での威勢のいい口上など嘘のように、美作が私の耳元で陰気に囁いた。
逆らえば痛い目を見ることは経験上よく知っている。美作は私には比較的甘い態度ではあるが、それでも興行一座の暮らしなんてロクなものではない。何度か脱走しようとして、私はそのたびに美作に打擲されている。この頃の私の従順な態度は、そういった躾のたまものだ。
動物を使った見世物の大半はその動物を殴りつけたり鞭打ったり、恐怖で躾けるものだが――世の蛇使いの大半もこれなのは甚だ腹立たしい――暴力と時々の甘い餌で言いなりにさせられている私たちも大概、檻の中の動物だ。
私は口答えすることもなくテントの中に戻り、一座のみんなと撤収作業に取り掛かった。
しかし、狛形の下宿に戻っても、美作の機嫌は戻らなかった。
蛇飲み芸で珍しくヘマをしたせいか。それなりに誤魔化したつもりだが、やはり座長としては見過ごせないミスだったのだろう。そんな風に思っていると、美作が私に訊いた。
「なぜ外に出ようとした?」
「……知り合いがいた気がしたので」
「誰だ?」
「……わかりません」
そうとしか言えなかった。夢で見たことのある男が現れた。だから追いかけようとした。正直に話しても、理解してもらえそうにないし、私自身まるで意味がわからない話だ。
「そいつは、男か?」
「え?」
「男と逃げようとしたのか!?」
「違う」という反論の機会さえ与えられず、私は美作に横面をはたかれた。体格のいい三十そこそこの男の平手打ちをもろに受けて、私は体ごと吹っ飛んだ。
畳の上に盛大に転がった私を見て、美作はハッとしたような顔になった。
「違うんだ。ほら、最近はこの帝都も物騒なことが多いだろう? 若い女が食い物にされる事件が後を絶たない。新聞でも、女ばかり狙う放火魔なんてのが騒ぎになってる。お前のように、奇特な見た目の娘なんてきっと格好の餌食だ。だから、夜遊びなんてくれぐれも考えないでほしい。これは……そう、親心というやつだ。僕は、白雪……お前を娘のように思っているんだ」
そう言いながら、美作はテントの荷を縛っていた麻縄で私の後ろ手を縛り上げた。
「今晩は、じっくり反省しなさい」
美作は私をその状態で放って行ってしまった。
しばらくすると、私の腹のあたりからきゅるるとひもじい音がした。
公演のある日の昼は軽食で、あとは水ぐらいしか口にしない。胃に内容物が残っていると蛇たちが可哀そうなことになるのだ。私は空腹を意識するまいと、目をつぶった。
瞼の裏の暗闇の中に、あの目力の強い青年の顔が浮かぶ。
彼は何者だったのだろう。彼に会って、私はどうするつもりだったのだろう。会えば、あの男は今度こそ現実で私を殺すんじゃないだろうか。そもそも、あれは幻だったんじゃないだろうか――ああ、バカバカしい。
気分屋の座長に生殺与奪を握られ、見世物小屋で変態どもの好奇の目に晒され、それでも逃げることも許されず、縛られ続ける――そんな辛辣な現実を忘れるために、私を殺してくれる美しい青年を夢に見て、とうとう白昼夢にまで見るなんて。
私は、自分が案外人間味あふれるロマンティックな性格だったことに呆れた。
こんな異形の蛇女でも、夢は見る。そして、腹も減る。
(やっぱり死にたくはないかな……)
その晩は夢を見なかった。