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輪廻の恋人  作者: 56号
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第二話 星と石の記憶

――古代メソポタミア・ウルク近郊


乾いた風が黄土色の大地をなでていく。太陽は空の頂でゆらめき、建設中の神殿の石壁は白く眩しく光を弾いた。土埃と石灰の混じるにおい、人々の掛け声、槌音が響くなか、ウルカはその石にのみを打ち込んでいた。


石は黙して語らない。だが、耳を澄ませば何かを囁く。


――この部分を削れ。この線をなぞれ。私はかつて、神の座を支えた者だ。


彼には、それがわかった。彼は石の言葉を聞くことができる。父も祖父もそうだった。代々、王墓を築き、神殿を支えてきた石工の家系――それがウルカの誇りだった。


ある日、王命により、神殿の奥に据える「星の門」の装飾を任されたウルカは、星の位置や神話的意匠を正確に刻む必要から、将軍家が所蔵する天文図と神話の記録を閲覧するよう命じられた。


「おまえのような石工に、将軍家の書庫を開かせるとは、時の王も随分と洒落たことをなさる。」


館の門番が笑いながら通した先に、書架に囲まれた涼やかな部屋があった。


その中央に、彼女はいた。


カナ――将軍アシュル・ナダンの一人娘。高貴な血を引きながら、女でありながら、父に倣い剣を学び、また祭官に師事して星々の学を修めていた。細い指先が羊皮紙をなぞり、唇が静かに神の名を唱えていた。


「……あの。星図を見せていただけますか」


ウルカの低い声に、彼女はふと顔を上げた。


その瞬間、時間が一瞬、音を失った。


カナの瞳は濃い琥珀色だった。だが、光を受けるとそれは、星を宿したかのような銀に変わる。思わず言葉を失ったウルカに、彼女は一瞬だけ警戒したが、やがて小さく微笑んだ。


「あなたが石の声を聞く者、ウルカですね。星の門の図案は、私が案内します。」


その出会いは、まるで神のいたずらのようだった。

だが、それはすでに幾度も繰り返された出会いの、ただの再演だったのかもしれない。



数日後、カナは自ら、書庫の資料を抱えて神殿工房へと足を運んできた。将軍家の娘が職人の現場を訪れるなど異例中の異例で、監督たちは狼狽したが、ウルカは黙って彼女を受け入れた。


「この星、アヌ神の象徴。だが、古い文献には『彼の目は東から昇る』とある。ならば、この位置に……」


膝をついて石版に指を走らせるカナの姿に、職人たちは次第に敬意を抱いた。


ウルカは彼女の語る神話の断片に耳を傾けながら、ふと不思議な感覚を覚えた。言葉は初めて聞くはずなのに、どこか懐かしい。耳の奥でずっと響いていたような、深い記憶に触れるような感覚。


「君は、石の声は聞こえないのに、どうしてこんなに正確に刻む位置がわかるんだ?」


「私には星の声が聞こえるのよ。夜ごと、彼らが語るの。誰を照らし、誰を導くべきかを。」


そう答えた彼女の声も、また音楽のようだった。


日が暮れれば、彼らは神殿裏の小道を抜け、静かな井戸のある庭に佇むようになった。

人目を忍ぶわけではない。ただ、二人でいる時間が、自然とそこに流れ込んできたのだ。


「石は、嘘をつかない」

「星も、隠れない」

「でも、人は……」

「人は、怖がるからね。真実を」


そんな言葉を交わすたびに、心は少しずつ、確かに寄り添っていった。



ある晩、月が大きく、静かに庭を照らしていた。

カナは衣の裾を軽く揺らしながら、井戸の傍に立っていた。


「父が、私を隣国の王子に嫁がせるつもりらしいの」


ウルカは何も言えなかった。彼女の声は静かだったが、その奥には深い諦めがあった。


「あなたといるとね、不思議なの。星も石も、手のひらの傷も全部……見たことがある気がするの。ずっと前に。」


その言葉に、ウルカの胸が音を立てた。


彼も、同じだった。


初めて会った日、なぜあの目に心を奪われたのか。

初めて声を交わした瞬間、なぜ心の底が震えたのか。

それは、理由などない「記憶」だった。


「カナ……」


手を伸ばそうとして、やめた。

届けば壊れてしまいそうだった。


「――もし、次に生まれ変われるのなら、私はまた石を彫るよ。君のために、星を刻む」


カナは、目を閉じた。風が、彼女の髪を揺らした。


「その時は……私は、あなたのそばで星の名をささやくわ。忘れないように」


その夜、二人は約束を交わした。声にはせず、誓いとして。


やがて、戦の足音が迫る。

アッシリアの軍勢が国境を越え、炎と剣が近づいてくる。

将軍の娘カナには逃れられぬ運命があり、石工の家を継ぐウルカには背負うべきものがあった。


別れは、避けられなかった。

だが、魂は、離れなかった。


それは、千年の時を越え、幾度も生を変えて再び交わる――「輪廻の伴走者」の始まりだった。

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