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輪廻の恋人  作者: 56号
17/19

第十六話 ジンジャーエール

開店直後のまだ明るい時間帯。


カウンターに立つ日吉の前に、見慣れない若い女性が姿を現した。

ストレートのロングヘア、落ち着いた紺のワンピース。

しかしその瞳は年齢以上に鋭く、何かを見極めるように店内を見回していた。


「ようこそ。まだ酒場にはちょっと早い時間だけど……」


日吉は手慣れた調子で声をかける。


「すみません、お酒は飲めないです。まだ18なんで」


「そりゃそうだ。じゃあ……ジンジャーエールでいいか?」


「お願いします」


日吉が微笑んで椅子を引く。


「……あの、シンジさんはいらっしゃいますか?」


「今日は少し遅れる。大学のゼミに顔出してから来るって言ってたよ」


「知ってて来ました」


あっさりと告げる彼女に、日吉は一瞬だけ目を細めた。


「……なるほど?」


「シンジさんの“想い人”を一目見たくて」


その言葉に、日吉の手がグラスを磨く動きを止める。


「こっちは名前も顔も知らなかったけど……たぶん、来るんでしょう? その人」


「さぁね。……だが、お前みたいな目つきの子は、久々に見たよ」


「嫌な感じしますか?」


「いや。……面白いって思った」


若菜は、ジンジャーエールを一口すすってから、頷いた。


「私、分かってるんです。彼にとって、私は“ただの後輩”で、“妹分”でしかないって」


「ふぅん」


「だけど、あの人が誰かを本気で想ってる姿、見たことなかったから……知りたかったんです。どんな人なのか。私が敵わない相手って、どんな女性なのか」


日吉は、カウンターの奥にあるスツールを指差した。


「そこに座ってると、いろんな人間が見えてくるぞ。

俺はこの席から、数えきれないほどの男が酔って潰れて、女に泣かされて、時には恋に落ちていくのを見てきた」


「マスターは……彼女のこと、どう思ってますか?」


「佳奈のことか?」


若菜は驚いたように目を丸くする。


「名前、言ってませんけど」


「言わなくても分かる。……この店の“顔”だからな。

来たことない奴にも、いつの間にか話題になる女だ」


日吉は、少しだけ首を傾げる。


「それで、“会ってどうする”んだ? 試すか? 比べるか?奪うか?」


若菜は、黙っていた。


そのときだった。


入り口のベルが軽く鳴った。


扉が開き、柔らかな風が舞い込む。


「こんばんは」


その声が、若菜の首筋を撫でた。


――この声だ。

シンジが何気なく語っていた、どこか懐かしくて、でも一度聴いたら忘れられない声。


カウンターの端に、佳奈が立っていた。


ライトグレーのジャケットに、シンプルな黒のスカート。

口元に浮かぶ柔らかな微笑みと、どこか他人を寄せつけない空気。


そのすべてが、矛盾なく同居している。


「佳奈さん、少し早いですね」


「うん、なんか……今日は早くここに来たくて」


「……へぇ?」


日吉の声が、どこか含みを持つ。


若菜は黙っていた。


彼女の目の前に立つ“佳奈”という女は、想像していたよりも、ずっと普通だった。

若作りでもなく、媚びた様子もない。

なのに、そこに立っているだけで、空気が変わる。


なぜ――この人が、みんなを惹きつけるのか。


「こんばんは、初めまして?」


佳奈が気づいたように声をかけた。


若菜は少しだけ頭を下げた。


「倉科若菜です。……シンジさんの、ゼミの後輩です」


「あら。シンジくん、真面目そうだものね。ゼミでも優等生でしょ?」


「……ええ、まぁ」


「でも、ちょっと不器用でしょ。好きな子にも、何も言えないタイプ」


「……!」


ドキリとする若菜。


佳奈は、微笑んだまま、カウンターの端の席に腰を下ろす。


若菜は、目を逸らさなかった。


“この人に勝ちたい”

“この人を超えたい”


そんな気持ちが、沸き上がるより先に。


“この人には、敵わない”


という、悔しくも不思議な納得が、静かに降りてくるのだった。

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