十四話 ジンバック
「この店に、よく居るって聞いたんだけど……カナって女の子」
ランチ明けの中途半端な時間帯。
まだ常連も姿を見せない時間に、ドアが開いた。
現れたのは、落ち着いた雰囲気の中年女性だった。
シンプルなカットソーに、くたびれたトレンチ。
年相応の疲れも見せながら、その瞳はどこか朗らかだった。
「はい、よく来られますよ」
カウンターに立つシンジがすぐに応じた。
「そう……今日は、来てないのね」
女性は少し残念そうに言いながら席につく。
「ご注文は?」
「ジンバック、お願い」
注文を受けながら、日吉がカウンター越しにちらとシンジを見やる。
「こいつ、カナにぞっこんなんですよ」
突然の“暴露”に、シンジはグラスを落としそうになった。
「ちょ、マスターっ!」
「顔、赤いぞ」
「マスターだって……!」
反撃したその瞬間、女性が声をあげて笑った。
「相変わらずなのね、あの子」
「……佳奈さんをご存じなんですか?」
「ええ、中学の頃からの腐れ縁。というか、悪友? 私の名前は原口まどかっていうの」
グラスに注がれるジンバックの気泡を眺めながら、原口は思い出すように語り出した。
「あの子、中学の頃からずーっとそうだったの。
クラスの男子はね、もう例外なく佳奈に夢中よ。だけど、あの子全然気づかないの」
シンジがグラス拭きを止める。
「“モテる”とか“好かれる”とか、本人はまるで自覚してないのよ。
それどころか、誰かが告白してきても、
『絶対罰ゲームでしょ? 私なんかに告るとか、ありえないって』
って、真顔で笑うの。ケラケラって」
日吉も小さく頷く。
「……まあ、あいつらしいな」
「男を寄せ付けない、というか、天然のバリアがあるのよね。
でも、それがまた、男心をくすぐるっていうの? 不思議な魅力があってさ。
私なんかから見ると、魔性ってやつ?」
「魔性……」
シンジはうわの空で繰り返す。
「あなた、若いんだから、この際強引にでも奪っちゃいなさいな」
原口が目を細めて笑う。
「えっ……!?」
「ちょっと押したくらいじゃびくともしないけど、何度もぶつかっていれば、
案外向こうから振り向くかもしれない。
あの子、そういう不器用な人の方が好きだから」
「……そう、なんですか」
「ええ、だってあの子、いまだに“誰か”をずっと待ってるもの。
高校の時からね、名前も分からない“誰か”を。
“初めて会うはずなのに、懐かしい気がする人に、いつか出会う”って」
日吉とシンジは目を見合わせた。
それは、彼女が何度もこの酒場でこぼしていた言葉と、まったく同じだった。
「“ウルカ”って、名前に聞き覚えは?」
シンジが尋ねると、原口は少し驚いたような顔をした。
「……そんな名前、聞いたことないけど」
「佳奈さんが、何度か夢の中でその名前を呟いたって言ってました。
誰かの名前……あるいは、過去の自分が知っていた誰かかもって」
「……そう。じゃあ、それがきっと“彼”なのね」
原口はそう言いながら、ジンバックを飲み干した。
「ありがとう。顔、見れたら伝えといて。“あんた、相変わらず鈍いわね”って」
そう言って立ち上がり、にっこりと微笑む。
「それと、あんたも」
「……はい?」
「恋をしてるって顔、まっすぐ出すのも、悪くないわよ」
頬を赤らめるシンジの頭をぽんと軽く叩いて、原口まどかは店を出ていった。
店内に静けさが戻った。
だが、その余韻には、どこかやわらかい光が残っていた。
日吉がふと漏らす。
「……あの子、ほんとに気づかないからな」
「……でも、俺、気づかせたいです。いつか」
シンジはそう言って、ゆっくりとカウンターのグラスを拭きはじめた。




