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輪廻の恋人  作者: 56号
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幕間 名もなき懐かしさ

朝起きると、カナは泣いていた。


夢など見た覚えはない。

けれど、目の奥が痛むほど涙を流していた。

胸の奥がきゅうっと締めつけられて、苦しくなる。


「どうして、こんな……」


掌を見つめる。

震えていた。

何かを握っていたような感覚が、まだ残っている。


それは、何百年も昔の誰かの手か。

あるいは、つい昨日のように思える“記憶”の中の温度か。

わからない。


ただ、ひとつ確かなのは――

これは、私のものではない涙だということだった。


遠い街の、いつの時代かもわからない、

見ず知らずの誰かの、しかも何人もの――

怒り、悲しみ、安堵、祈り。

さまざまな感情が、まるで川のように押し寄せてきた。


部屋の中には、春の朝の日差しが差し込んでいた。

カナはベッドに座りながら、自分の心と対話するように、ひとつ深呼吸をした。


明日は、中学の始業式。


名門・白銀女学院中等部――

祖母も母も通っていた、格式ある学院だ。


憧れの制服に袖を通したときの感動は、今も脳裏にありありと蘇る。

深い紺に金糸の刺繍、品のあるタイ、百年の歴史ある校章。

鏡の前で何度も回ってみた。母が少し笑っていた。


それなのに――

この朝の涙は、どこから来たのだろう。


カナは、無意識に口をついて出た言葉に、自分で驚いた。


「……ウルカ」


部屋の空気が、ぴたりと止まった気がした。

窓の外では風が吹いているのに、なぜかこの部屋の中だけが真空のようだった。


ウルカ――

それが人の名前なのか、土地の名なのか、言葉の断片なのかもわからない。

それでも、たしかにその“音”は、自分の中にあった。


懐かしい。

けれど、初めて出会う響き。

心の奥に、ひっそりと“あったことにされていた”名前。


「……ウルカ、って……誰?」


誰にともなくそう呟いたとき、部屋の隅の木製の棚に目が止まった。


そこには、幼い頃から持っている古い日記帳がある。

カナがまだ字を習い始めたばかりのころ、意味もわからず書いた言葉の羅列。

あるページに、奇妙な文字列が並んでいた記憶がある。


引き出しを開ける。

紙のにおい。少し色褪せた表紙。


ページを繰ると、あった。

まだ習ってもいないはずの時代に書かれたような、見慣れない言葉。


その中に、確かに書かれていた。


「うるか」


その文字の横には、小さな女の子の落書きのような男の子の顔。


隣には、自分の似顔絵。

笑っている。手を繋いでいる。


「……誰なの……?」


カナの胸が、なぜか痛くなった。

日記の紙面が涙でにじんでいく。


遠い過去――それはきっと、物語のように語られた輪廻の時間。

そして、これから始まる新たな日々が、

その続きの章であることを、カナはまだ知らない。


制服のタイを整え、姿見の前に立つ。

鏡の中に映る自分は、確かに“今”を生きている。

けれどその瞳の奥には、誰かの名を捜してやまないような寂しさがあった。


その名も、顔も思い出せない“誰か”――

ただ一つ、確かなのは。


彼に会えば、すぐに分かる。


心が叫ぶ。

「あなたを探してた」と。


制服の胸元を押さえながら、カナは小さく呟いた。


「……また会えるよね。ねえ、ウルカ……」


春は、もうすぐそこまで来ていた。

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