第九話:風変わりな大学校
変わっている。
明らかに、変わっている。
カラリアを抜けてから、海岸侵食の影響が濃くなっている。
手元にある私の描いている地図と、既存の地図を見比べる。
今、市場に回って、実際に取引や旅のお供に使われているこの地図は、”夢路の地図”。
名前の由来、描いた方法、目的、全てが謎に包まれている。
「あ、あのっ、握手して下さい…」
「はい、図書館ではお静かにね」
「私も…」
耳をピンと立てて、獣人の女の子がキャーッと小声で感嘆し、私の横を通り過ぎていく。
カラリアから進んで、北緯は中央都市とほぼ合致する場所まで来た。ここには、オルタ大学校がある。
西側諸国では一番入学競争が激しい。
「オルタ大学校卒業の…」と前振りをしておけば、大抵の人は顔を引き攣る。
決して賢い、というわけでは無い。
ただ、とてつもなく変わっているのだ。
ゴォォォォン———
大地を揺さぶるようなチャイムが、耳の奥を刺激する。校内は広く、白い伝書鳩が羽を落としながら何匹も飛んでいる。
「セントラル卒の、トキさんでしたね」
「はい」
「こちらを」
一切れの紙を渡された。証明書。二階に入るのには研究者登録をする必要があった。
図書館は無駄に広く、下手すると弱小国家の王邸よりも大きい可能性もある。
天井まで棚が繋がっており、「誰が取れんねん、ていうかどうやって置いた?」と思わずつっこんでしまうほど高い。
目当ての本は、恐らく…。
「いち、に、さん、し、ご、ろく、なな…」
八段目の、深緑の本だ。天使に関連する様々な言い伝えが淡々と書かれている。
「あの本、取ってきてくれる?」
開いた窓に腰をかける、伝書鳩に声をかける。
その子は、チラリと私を見て、そっぽを向いてしまった。
嫌われちゃった…。
「何をお探しですか、トキさん」
「この八段目に、読みたい本があるんですが、高すぎて…」
「であれば、私に」
司書さんは、首にかけていたネックレスを握りしめて、目を瞑った。
ふわり。ふわり。
本が、蝶のように舞い降りてきた。
「む、無詠唱なんですか」
「いえ、このネックレスが魔道具なんですよ」
「なるほど」
「ごゆっくり」
私は呆気に取られながらも、机に本を広げた。
表紙には、純白の翼を広げた天使が、胸に手を当てている。
智天使の概要ページを開く。
上級天使から力を借りる時のデメリットは、意識が飛ぶことだ。そして反動が大きい。二日間寝たきりで、ラッキーが葬式の準備を始めていたことを思い出す。
「生きてる!良かった!」
そりゃ、生きてるよ。なんて言い返したっけ。
ページ一面に、古代文字がびっしり。
「授けられた天命に則して、叡智を紡ぎ出す。我、天を崇め、天地神明の手を取りぬ」
本に両手をかざして、これでもかと空気を吸う。
肺に空気を溜めておかないと、最悪数日間で命が絶える。窒息死だ。
智天使の力の一部を借りること。その価値が、夢路の地図にはあると確信している。
グゥンッ、両手が腕ごと突き上げられた。同時に、私の意識はプツリと消えた。
一瞬、ほんの一瞬、牛と獅子と鷲が私の脳を喰らいついたように見えた。
窓が全開し、伝書鳩は逃げるように図書館から飛び出す。
天井近くの本が次々と床に落ちてきて、風がどこか一点に集まっているように。
「なに、これ…」
駆けつけた司書は目を疑った。
何枚も重なった雪のような羽に、ギョロギョロと四方八方を睨みつける目が、無数に張り付いている。
上半身は無かった。
いや、見えなかった。何かの顔が、複数個ある。
司書は力ずくで目を瞑った。
それでもまだ、彼女は恐怖を感じた。近づいてきているんではないか、そう錯覚するほどの圧迫感だった。
「ひっ」
司書が悲鳴を上げそうになった瞬間、バタリとその生き物は倒れた。瞬きをすると、トキの体に戻っていた。
「トキさん!?」
その後、トキは一日で目を覚ました。その間、彼女は長い長い夢を見た。
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「災難だったな」
「災難だったな、じゃ無いでしょ!?」
二人のヒューマンに、一人のホビット、そしてロバの後ろに腰を掛けて、一枚の紙を眺めるハイロ。
四人。ヒューマンの二人は軽い喧嘩をしている。
それを見守るホビットに、無関心なハイロ。光輪ではなく、翼が生えている種族だ。
「止まって」
「どうしたのホシ」
「まだ描き終わってない」
ホシ、というらしいハイロは、地図を描いているようだ。
「ホシが地図を描いている理由が分かったよ。こんな目に遭うんだったら、みんな無宗教だったらいいのに」
「僕はそうは思わないよ」
ニコリと笑ったホビットは言う。
「何かを信じることは、自分の幸せに繋がる。僕だって、みんなを信じているから今、幸せなんだよ」
ホシは、ペンを止めた。
「うん」
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「…はっ!」
目覚めると、硬いベットの上だった。
カーテンを開くと、ドアの隙間から学生が歩いているのが見えた。
「起きましたね、トキさん」
オルタ大学校の診療所だ、とすぐに分かった。何だか頭が冴えているような、そんな気がする。
「何日寝てましたか」
「ほぼ一日です」
「治療費は…?」
恐る恐る聞いてみると、白衣を着たお姉さんは「ざっとこんなもんです」と一切れの紙を見せてくる。
「あは、あはは…」
払えるはずがない。セントラルに入った時の、入学費用とほぼ変わらないじゃないか。
「恩に着ますっ」
逃げるが勝ちだ。こんな所で、智天使を降ろすんじゃなかった。走れ、借金なんて踏み倒せ〜い!
「誰か、患者が治療費払わず逃げたわ!捕まえて!」
鬼ごっこが始まった。