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黒の大魔導師─貧民街のカラス─  作者: 智慧砂猫


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第58話「巣立ちの家」

 孤児院はよく見れば、前よりずっと小綺麗だ。草だらけだった庭は丁寧な手入れがされている。建物も前は今にも崩れそうなおんぼろな廃屋の雰囲気を漂わせていた鬱々とした場所だったが、補修した跡があり、木造のくたびれた家はまっさらな白いペンキの乾いた真新しい家のように見違えた。


「……うわあ。何、これ本当にオレがいた孤児院?」


「そうだ。まあとにかく話は入ってからにしよう」


 門を開いて庭を歩く。玄関まで来て、中から聞こえる声にカラスがびくっ、と足を止めた。いくつもの子供の声に、足が地面にべたりと張り付いた。


「大丈夫だ、カラス。怖がる事は何もない。ここは新しく生まれ変わったんだ。それにお前、これを克服するために来るつもりだったんだろう?」


「そ、それはそうだよ。……だって、ここがオレの始まりだから」


 小さな子供の声が苦手だ。大人の怒鳴り声が苦手だ。周りには、そんな人間は誰もいない。だから不意に聞こえてくると、どきっとしてしまう。未だにトラウマが胸の深くに楔となって突き刺さったままだ。取り除くには、自分から足を運ぶしかない。学院を卒業したら、必ず戻ってくるつもりだった。


「……そういや、オレを虐めてた院長はどうなったの?」


「さあな。アンゼルムから報告は来ていない」


 なんとなく察して「ああ、そう」と続きは聞かなかった。知るのが少し恐ろしい気さえしたので、ここは黙って聞き流すべきだろう、と。


 それからようやく深呼吸してドアをコンコン、と叩く。


『はーい、ちょっと待って! 今行くよ、忙しくて!』


 どたばた駆けて来る音がして、少し待つと玄関の鍵が開いた。顔を覗かせた朽葉色の瞳が、待っていた二人を映して喜んだ。


「ああ~っ! 待ってたよ、今日来るとは聞いてなかったけど!」


 がっちりした身体つきの青年が、エプロンで濡れた手を拭きながらニコニコして大きな声をする。カラスは彼を見て、思わず言葉を失った。カラスとは対照的な真っ白の短髪が印象的な優しくも力強い顔立ちの青年に、全身が震えて、それから嬉しさに声を絞り出して名を呼んだ。


「パイカ。パイカ・イヴンだよな……?」


「ああ、そうだよ。久しぶり、えっと────」


 名前を呼んでも良いのか分からずリゼットに視線を映す。


「教えただろう。呼んでやればいい」


「そっか、そっか。じゃあ遠慮なく」


 そっと手を大きく広げて差し出す。


「やっと会えたな! 今はカラスって言うんだって?」


「ああ、そうだよ。あんたのおかげで、オレ、魔導師になったんだ」


「そりゃ嬉しいね、元気で何よりだ。さ、中で話そう!」


 二人を迎え入れると子供たちがわあっと一斉に寄ってくる。興味津々な無邪気さ。綺麗な服を着て、なんの憂いもない眼差しにカラスは落ち着かない。


「こら、お前たち。お客様に挨拶しなさい」


「はーい、先生! こんにちは、お姉さん!」


 一人が挨拶すると、それに倣って全員が口々に挨拶をして、今度は遊ぶ事に夢中になって散り散りに走り回る。パイカがやれやれと微笑み、二人をダイニングへ連れて行って、椅子に座るよう促した。


「悪いな。近いうちに来るとは聞いてたんだけど、今日は特に子供たちがやんちゃでね。外に遊びに出してやれない分、家の中では自由にさせてるんだ」


「パイカはずっとここで孤児院をやってんのか?」


 くすっと笑ったパイカが、カラスの頭をぽんぽん撫でた。


「そうだよ、昔っからさ。もちろん金銭的な支援があっての話なんだが、貧民街は孤児が多いから面倒みるだけでも大変だよ。お前より扱いが難しい」


「へへっ、よく言うよ。オレはメシだけ食ってれば大人しかったもんな?」


 冗談を言い合っている間に、パイカは手際よく湯を沸かしながらコーヒーを淹れる準備をてきぱき進めて話を続けた。


「ここは今、昔と違って『巣立ちの家』って名前で孤児院やってんだ。貧民街で行き場を失くした奴らを集めて、みんなでパンとかお菓子作って、あっちこっちで配ってんのさ。金銭的な支援は欲が出ちまうから駄目なんだって言われて」


 湯が沸くまでの間、ゆっくり椅子に座って待つ。昔のパイカからは想像もできないほど背が高くなっていて、カラスは自分の方がうんと成長していないのに、なんとなく悔しさを感じながら話に耳を傾けた。


「……あの日、さ。お前が出て行ってからすぐに俺たちは公爵家の手助けもあって、みんながあっちこっちの家に引き取られた。でも俺は此処から出たくなかった。まだ貧民街にも子供がいっぱいいるんだ、って。カラスみたいな奴がもう増えて欲しくないんだって言ってね。そしたら、あの人は俺に手を貸してくれた」


 ただ暮らすだけでは駄目だと思ったアンゼルムも、まだ若かったパイカに全てを任せるのは難しいと判断して里親になってくれる人を探したが、彼がどうしても拒むので、それならば条件を呑めば支援すると申し出た。


『いいかい、パイカ君。ここで過ごしたいのなら、多くの人をたくさん助けたいのなら、私を少しだけ手伝いなさい。ここで生きていくのは大変だ、子供だけでなく大人たちもね。だけど金銭的な支援は彼らの欲望を大きくしていく。もっと寄越せるだろうと怒鳴るようになるだろう。だからその代わり食料を彼らに与えたい。毎日、少しずつだけ。とはいえ我々も忙しい身でね。配給を行うのには時間がない。だから、毎日、我々の代わりにたくさんの人を助けてくれるかね? もちろん、君が信頼できるというのなら人を雇っても構わない。給金も出そう。決して後悔はさせないと誓うよ。────ホロウバルト公爵家の代表として』


 大きな手を忘れない。カラスという一人の少女の勇気が。希望が手繰り寄せた未来は、彼女の見えないところまで光を届かせた。


「貧民街も見て回ってみなよ。前よりは活気がある。ホロウバルト公爵家が関わってると知って、今は変な連中も近寄らなくなったんだ。だから皆が変わった。『俺たちで良い町にしよう!』って皆が笑うようになったんだよ」


 パイカが膝に手を置いて、深く頭を下げた。


「ありがとう、カラス。そしてごめん。あのとき俺はお前を助けてやれなかった。家の中から見ていたけど、足が竦んで動けなかったんだ。……今日までずっと謝りたかった。こうして会えて本当に良かった」

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