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黒の大魔導師─貧民街のカラス─  作者: 智慧砂猫


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第57話「もう俯かない」

 ずっと後悔の連続だった。魔導師として生きるうえで、彼女は我が子に愛情を注がなかった。一夜の過ち、酒の席で出来てしまった子供を産んだときも、それほど実感は湧かなかった。これが自分の血を分けた生き物か、程度だ。


 だが成長するにつれて、徐々に彼女の感情は変わっていった。少しずつ言葉を話して、少しずつ手先を器用に使うようになって、いつの間にか親譲りの才能を引き継いだ大魔導師の道を歩んだ。


 気付けば自慢の息子だった。意を決して父親に会わせたときも、決して誰を責めたりはせず『知れて良かったし、会えて嬉しいよ』と言うほど気遣いも出来て、どこに出しても恥ずかしくない、むしろ誇りになった。


 しかし、一方でリゼットは忙しかった。手間の掛からない息子に甘えて魔塔主としての務めに時間を注ぎ、わざわざ自分が見てやらずとも大きく育つだろうと思った。アルメルに並ぶ才能を持っていたし、人当たりの良さもあって魔塔内でも地位が高く、安心しきったものだ。だから顔を合わせる回数も次第に減っていき、数ヶ月は会わない事もざらだった。


────数カ月ぶりに対面したのは死体になってからだった。


 冷たくなった我が子を前に感情は一時的に虚無へ堕ちていた。何をするべきなのか。その冷たくなった頬に触れればいいのか。二度と開かない目を開けてやればいいのか。おかえりと声を掛けてやるべきなのか。よく頑張ったと讃えてやるべきなのか。ほんの数分が何時間にもなって彼女を襲った。


 別れの言葉を交わす事もなく、ただ愛した者を失った現実に打ちひしがれて、何も手に付かなくなった。


 淡々と過ぎていく時間の中で彼女を立ち直らせたのは、アルメル・シモンの存在。『弟子にしてくださいませんか』と、そう言った。フェイルのような大魔導師を目指す。それがアルメルの選んだ道だ。


 仲の良かった彼女を弟子に選んでから、リゼットは強くなった。我が子に注げなかった情を注ぐと決めて、自分が持つ技術の多くを継がせ、そして三冊ある魔導書の一冊を預けた。彼女ならば渡しても問題ないと信じて。


 だが、やはり不幸は起こった。その魔導書を巡って、アルメル・シモンは死んだ。それも祖父であるハインリヒ・シモンの手によって。


 もはや自分は呪われているのだと思った。守りたかったものはひとつも残らず、自分さえ救えず、あらゆるものを広げた両手から取りこぼしてしまったと。


 後悔と苦痛に苛まれながら、贖罪のように余生を過ごして、最後には自ら命を絶つ決意まであった。なのに目の前にいる年端も行かない少女に抱きしめられて、ありがとうと言われて、堪えられるはずがない。


 声を殺して泣いた。大声を出したいと思っても、長く生きた彼女はもう、その苦痛を解き放ってまで叫ぶ事はできなくなっていた。その分、大きく涙を流して少女を抱きしめ返す。強く、強く、縋るように、祈るように、感謝するように。


「……っありがとう……! ありがとう、カラス……お前のような奴らがいてくれて、私は本当に……本当に救われた……ありがとう……っ!」


 自分の生きてきた道は否定すべきものだと断じてきた。だが、そうではないと言う者がいる。支えようとしてくれる者たちがいる。なんと幸せな事だろうか。こんなにも惨めで、自分でもうんざりなほど不幸に塗れた人間を愛してくれる者たちが、今は愛おしくてたまらない。


『本当、よく頑張ったね。────、もう大丈夫だ』


 ふと背中を誰かが擦った気がした。名前を呼ばれた気がした。


 そのとき、アレスだけが見た。綺麗な光に包まれた人の姿を。


(……なんだよ、ずっと見てたのに今まで声も掛けなかったのか?)


 幻覚かとも思ったが、そうではない。見た事のある魔力に、アレスは呆れながらもフッと笑った。そういう性格の奴だったな、と。


「さ、泣き虫婆さんよ。いつまでそうしてるつもりだ?」


「アレス、その言葉、いつか後悔させてやるからな」


「おー、こわっ。だけどいつものその感じが好きだぜ」


 からから笑って、リゼットの頭に手を置く。


「頑張ったな、もう大丈夫だとさ」


「……? 何の話だ?」


「さあね。俺ちゃんには分かんねーよ」


 そう言い残して、カラスの肩を肘で小突いて「後は頼んだぞ」と様子も見終わった彼はさっさと小屋で待つボーグルのもとへ帰っていった。


「変な奴だ。いきなり私の頭を撫でるとは気でも触れたか」


「でもなんか、すごく優しい顔してたな」


「ああ。なんだかよく分からないが……心が軽くなった気がするよ」


 いろんなものを抱えてきて、色んなものを捨ててきて、また抱えた。泣いたらすっきりした。アレスの言葉がなんとなく心地よかった。


 もう俯かないで良いのだと、心から安心できた。


「……ああ、そう言えばカラス。今日は迎えに来ただけじゃないんだ」


「うん? そうなの? じゃあオレに何か頼みたいとか?」


「いや。頼みたいというより、お前のためにちょっとした贈り物を」


 ぱちん、と指を鳴らすと、瞬きする間もなく転移魔法が発動して二人を違う場所へ移した。カラスにはよく見覚えがある、薄暗い街の景色。


「貧民街……通称が確か『蜘蛛の巣穴』だったか」


 眼前には格子状の門があり、小さな家────忘れもしない、かつての孤児院がある。カラスは呆然としてリゼットの言葉に耳を傾ける。


「お前に会いたいという者を見つけてね。私から紹介状を書こうと言ったんだが、せっかくなら連れて来てやった方が喜ぶかと。────会いたかったんだろう? 苦しむお前をずっと支えてくれてたヤツに」

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