第54話「教わった事」
戦いが終わった後、カラスは自分の着ていたローブをハインリヒの遺体を見下ろし、悲しい表情を浮かべて優しく被せた。
殺すつもりはなかった。だが、彼の決意を崩せなかった以上は、そうせざるを得なかった。ハイリンヒに勝てる自信はあったが油断はできなかったから。
勝ったのに悔しい気持ちを残したまま「後で必ず迎えに来るよ」と声を掛けてから、来た道を引き返してリゼットたちのもとへ駆けつけた。
既に巨大な怪物は処理されていて姿はなく、毒の霧も完全に晴れていた。破壊された家屋のがれきにリゼットが腰掛けて指示を出しながら煙草を吸い、カラスが帰って来たのに気付いて疲れた表情で手を小さく挙げた。
「ご苦労だったな、カラス」
「学院長こそ。あのキメラ倒したんだね」
「私たちを誰だと思ってる?」
現魔塔主であるリゼットを含め、魔塔階位一桁の大魔導師たち数名に加え、その他にも階位を持った者を集めた最高戦力とも言える。どれだけ強力なキメラ出会ったとしても彼らが集まれば、羽虫一匹を殺す程度の労力だ。
「私たちはいい、それよりもハインリヒはどうした?」
「あ……それが……ごめん、オレ、アイツの事……」
言い淀んで暗い顔をするのでリゼットは察して首を横に振った。
「アイツは頑として自分を貫く男さ。たとえ己の手段が間違っていると理解していても、立ち止まろうとはしなかったはずだ。仕方ない事だと思え」
立ちあがって、煙を空に向かって吐き出す。
「それにしても、よくもまあ、その年齢で大魔法を扱えたものだ。ハインリヒも最期に見たのがアルメルの大魔法でさぞや満足して死ねた事だろうな」
遠くからでも見えていた大魔法。感じた魔力はアルメルではなかった。いや、リゼットは彼女よりも強大な魔力を感じ取っていた。それが黒の属性によって押し上げられた、自身の調べたものとは逆の作用を起こしたものだと分かり、自分の研究も半端なものだったか、と笑みがこぼれた。
「実に素晴らしい。あの男は嫌な奴だが、腕は良かった。お前がどうなる事かと心配していたんだが、無事に終わってなによりだ」
「そっか。……本当は誰も殺したくなかったんだけどな」
より良い未来を望む若い人材に、リゼットは期待と同時に哀しみを覚える。魔導師が行う決闘など、公的なものでなければどちらかが死ぬまで行われて当然。ハインリヒもまた、その例から漏れていない。
「魔導師とは頑固者ばかりでね、カラス。お前のように誰かを傷付けたくない崇高な考え方も好ましいんだが、生憎と私たちはそうじゃない。こちら側の世界は常に血と泥の中を這いながら誰もが生きている。もっと汚れた醜い場所だ。他人の命など興味もなければ構いもしない。自分の意見が正しいと常に思わなければ生きていけない。そんな場所で、生易しい心遣いは捨てた方が気楽だぞ」
もう何人、知った顔が死んだか分からない。我が子は逃げる事も出来ただろうに、抱え過ぎた正義感によって沈んでいった。最愛の弟子は、愛する者を犠牲にしたくないがゆえに、なおさらの哀しみを背負わせた。旧き友人は信念と後悔の狭間に居続け、何もかもを捨てながら何も手にする事はできなかった。
他にも何人死んだか。欲に溺れて他者を犠牲にする事を厭わなかった者が、因果応報とばかりに散った。邪悪に従い、思想に溺れた魔導師たちの今後も、想像に難くない。魔塔に居場所を失い、魔導師として生きる事は許されない。力を封印され、自分たちが見下してきた人々よりも色濃い絶望の底へ落ちていく。
そんなものを直視しながら生きて、正しい事を成そうとする度に対立していけば、いつかは心が砕けてしまうかもしれない。そんな危惧を抱いた老婆心ながらの忠告のつもりだったが、カラスはやんわり首を横に振った。
「絶対に捨てないよ。オレは諦めない。アンゼルムさんが導いてくれた道があって、アルメルさんが歩き方を教えてくれて、みんながオレの背中を押してくれた。ハインリヒさんにも教わったんだ。────自分が正しいって思い続ける事」
迷いは抱かない。自分なりの正しさを主張し続けて、傷つけあわなくても良いように導いていく。決して間違っているかなどと疑問は抱かず、まっすぐ進み続ける。壁があるなら超えていく。ただ己に誓いを立てて。
「それが修羅の道だとしても、お前は出来ると思うか。不都合だと思えば、その命を狙う者も出て来るぞ。そんな悪意に満ちただけの連中でさえ殺さないと?」
「誰よりも強くなりゃいいじゃん」
簡単に言ってくれる、とリゼットは呆れながら、煙草をぽとりと足下に落として踏み潰す。自分の若い頃とはまったく逆の人間だと讃えて。
「ならば心行くまでやってみろ。ただし、学業を終えてからだ」
「えーっ。今日すげえ頑張ったんだけど!」
「知った事か、学生は学問が本業だろう。お前もまだまだ青いんだから」
すぐに新しい煙草を口に咥え、指先に火を灯す。
「お前は確かに素晴らしい。心も強く、感覚的な才能だけで言えば、この世界でただ一人の存在だと認めよう。だが知識がない。基礎学科なのだから魔法の基礎を感覚だけでなく頭でも理解してもらわねばな」
「ちっ。面倒くさいテストとかやんなくて済むかと思ったのに……」
そういうところだけはずるい小娘だとリゼットは大笑いした。
「ところでお前、卒業した後は魔塔に入るのか? なんなら、私が推薦を出してやってもいい。今回の件で誰もがお前の実力を認めているから、階位が低くなるとしても意義を申し立てる奴はいないと思うが」
カラスはせっかくの誘いだけど、と断った。
「魔塔に入る前にやりたい事があるんだ。もし頼りにするとしたら、その後だと思う。どうしても会いたい人がいてさ────」




