第51話「逃がさない」
リゼットの背後には階位を持つ魔導師たちが数名並ぶ。調査を進めている途中で要請を受けた彼女たちは作業を中断。魔導学院での魔物解放における首謀者に目星をつけ、迅速に駆け付けた。
既にハインリヒはカラスを相手に大打撃を受けており、リゼット他複数の大魔導師を相手にする余力は残っていない。メテオの自律魔法陣もあっさりと打ち砕かれてしまい、第二波は微塵の影響も与えられなかった。
「……この……! よくも、よくも、よくもォォォォ……!」
「やかましく吠えるな、老害が」
二本目の煙草を吸って煙をふうっと吐いて散らす。
「カラス、もう大丈夫だ、こちらへ来なさい」
「うん。ありがとう、リゼットさん」
無事にアレスたちも保護し、カラスの頭を優しく撫でた。
「よく仲間を守ってくれた。そしてなによりお前が生き残ってくれた事が私は嬉しい。後の事は我々に任せてゆっくり休みたまえ」
ぎろりと睨んだ鋭い瞳。ハインリヒはまだ抵抗の意志を失っていない。光の剣を二振り握って、未だ尽きない魔力を全霊で込めた。
「まだだ、リゼット・ヒルデブラント。学院を壊せばお前に対する丁度良い脅しになると思って計画したが、全て水の泡だ。しかし、まだ終わっていない!」
地面が揺れ動く。彼が用意したのは大魔法ひとつではない。彼の背後で地面から現れた巨大な蛇。空へ昇る柱の如き太さを持った体躯は塔を思わせた。
「でかいな。どこでそんな魔物を捕まえてきた?」
「捕まえてきたのではない。私が創造したのだ」
胴体に並ぶ孔からは薄緑の毒を霧状にしてまき散らし、大きな口の中は息をするたびに炎がふわっと吐き出される。リゼットは即時の判断で結界を張り、毒の霧を防ぎ、ハインリヒの姿が見えなくなったのに舌打ちする。
「毒の抗体があるのは分かるが、逃げの一手にキメラを使うとはな。おそらく吸い込めば神経に作用して全身が痺れるんだろう。そうなれば燃やされるか、あるいはあの蛇のエサだ。一旦下がって────おい、カラス?」
かなりの痛手を負ったハインリヒが逃げるのは当然として、魔物を相手にするのに計画を練り直そうとした直後に、カラスが結界の外へ抜けた。
「ここで、あの爺さんを逃がしたら、みんなの努力が無駄になっちまう。態勢を立て直されたら、また誰かが犠牲になるなんて目に見えてるだろ」
「馬鹿か、だからといって毒の霧へ突っ込む奴が……」
誰もが目を疑った。カラスは毒の中に立ちながら平気な顔をしていた。それどころか、巨大な魔物もなぜか彼女を狙う素振りはなく、むしろあえて避けているふうにさえ思えた。
「何が起きているんだ。いや、今は言うまい。しかしハインリヒは強いぞ、こうなった以上、追いつけば死に物狂いで戦う事になる」
「大丈夫。俺にはアルメルさんから貰った眼力もあるし、追いつくなら今しかない。絶対にオレがあいつを倒して来るから待っててよ」
見送りたくない、とリゼットは苦い顔をした。大切な弟子と、大切な我が子を失った今、また起きかねない惨事が脳裏を過った。
迫られた決断に、彼女はがっくり肩を落としてため息を吐く。
「……わかった、行ってこい。だが約束だ、必ず生きて帰れ」
「はい、学院長! 期待は裏切らねえよ!」
親指を立てて、自信たっぷりの笑みを浮かべて濃い霧の中を駆けた。彼女がアルメルから受け取った眼力は、想像以上に強力なものばかりだ。たとえ暗闇の中であろうと霧の中であろうと、本来見えるべき景色を見通す。
ひく、と鼻を動かす。黒い魔力が顔の周りをぐるりと舞った。
「────《猛追の猟犬》」
散った魔力が瞬く間に一本の道を描く。標的の移動は速い。しかし弱っている。カラスが追い付くのは難しくなかった脚部に魔力を滾らせて駆け、霧を抜けた先で一旦身を隠そうと訓練区域へ向かうハインリヒを捉えた。
回り込もうとして、彼女の背中に黒い双翼が生える。勢い付けて地面を蹴り、空を高く跳んで大きな翼で羽ばたく。その黒髪やローブの色も相まって、彼女はまさに鴉の如き漆黒となって飛翔した。
「もう逃がさねえよ、ハインリヒ・シモン。あんただけは絶対に逃がさない。あんたに殺された人たちのためにも」
「……ククッ、威勢のいい。手負いと見て単独で追って来たのか」
剣を手にしたハインリヒが切っ先を構えた。
「どうやってここへ来たかなど問うまい。魔導書の在処、今ここで聞かせてもらうぞ。その手足を切り刻み、徹底的に苦しませた後でな!」
「出来るならやってみろ。その前にあんたをぶちのめしてやる」
見開かれた赤い瞳。放たれたどす黒い気配。全身が怖気立つような魔力の波に、ハインリヒは初めて彼女を見てゾッとする。とても同じ魔導師とは思えない。先ほどまで戦っていたカラス・ウォリックではなく、何かに突き動かされた怪物。どちらかと言えば魔物に近い存在のようだと足が竦む。
「……良かろう。ならば決着をつけよう、小娘!」
退く道はない。ただ勝てば良い。どれほど強かろうと経験に勝るものはないという長年の自信を以て恐怖を振り払い、彼は一歩を踏み出す。
次の瞬間、黒い魔力の宿った拳が眼前に見えた。いつの間に。考える間もなく顔面を捉えた一撃によって彼はフッ飛ばされ、地面を何度も転がった。意識が、視界が、感覚が朦朧とする。手足が震えて立ちあがる事もままならない。
「ば、ばかな……なんだ、その速さは……あ、在り得ない……」
「在り得てんだよ、爺さん。オレ自身もよく分かってないけどさ、」
全身に漲ってくる魔力。自分でも抑えきれるかと不安になるほどの強さに、拳を握り締めながら、倒れているハインリヒの前に立った。
「これだけは分かるってのはある。────今だけはオレの方が強い」




