第35話「泣く暇はない」
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「……第一発見者は?」
「オリーヴ・サンジェルマンです」
現場の状況を聞きながら、血だまりを作って倒れる弟子の姿を目の当たりにするのは非常に胸が痛むし苦しい気分だ。自分を落ち着かせるために何本も煙草を吸っては、煙を空に向かって吐き出す。
冷静であれ。そう思うが、経験から言えば不可能に近かった。だが、それでも冷静であれた。なにしろ、その弟子が愛していた者が彼女の亡骸を抱いて震えながら泣いているのだから、自分が冷静でなくてどうするのだ、と頭を掻く。
「昨日の深夜に玄関から不審な物音がして、様子を見にやってきたところアルメル・シモンが、あの状態で倒れていたそうです」
「そうか。報告と現場の保存をご苦労。後は私たちがやろう」
部下から引き継ぎ、リゼットは自分の弟子の姿を見下ろす。
「……カラス。結界を解いてくれ、もう誰もアルメルを傷付けたりしない」
返事はない。震えてぐずぐず泣いているだけの少女に、なんと声を掛けていいものかさえ分からなかった。魔導書を創り上げるだけの腕はあっても、人の感情は簡単に扱えない。扱い方が分からない。なんとも不甲斐ない事かと自分に呆れた。
「お前の師匠だったのなら、どうするべきかは分かっているだろう。……私も正直いって辛い。かなり参ってる。だが、先へ進まなくてはならんのだ」
「……分かってるよ、オレも分かってる」
結界がゆっくり解かれていく。申し訳なさそうにリゼットが微笑む。
「許してくれ。こんなときこそ頼りになってやるべきなのに」
「そんな事ない。学院長は悪くない」
絞り出した言葉。必死に悲しみを乗り越えようとする姿に、リゼットは優しく頭を撫でて、ただ黙ってアルメルの遺体に寄り添った。彼女が隠すように抱えていた魔導書を手に取って────。
「カラス、少し学院長室で話せないか。アルメルを弔う準備もしてやらないといけない。このままにしておくのは少し可哀想だから」
「……うん。わかった、アルメルさんの事……お願いするよ」
待機していた魔導師たちがアルメルの遺体を丁重に扱い、安置所へ運んでいく。リゼットは、それを見送らずにカラスの体に触れて転移魔法で即座に学院長室へ移った。長居は禁物だ。誰に見られているかも分からないから、と。
いつもより空気が重く、体は怠かった。どっかりと椅子に腰かけて、指を鳴らすとカラスの傍へ部屋の隅にあった椅子がススッと動く。
「座りなさい、立ったままでは長話も疲れて聞けない」
黙ったまま言う通り椅子に腰かけて涙を腕でごしごし拭う。
「なあ、アルメルさん本当に死んだのかな……」
「間違いなく死んでいる。あれは本物のアルメルだ」
深い悲しみを与えると分かっていても、嘘は言えなかった。また顔をくしゃっとして泣きそうになっている彼女に、リゼットはぽつりと────。
「あれは私の最高の弟子のひとりだった」
「……アルメルさんが、学院長の弟子だった?」
「うむ。私は階級を捨てて学院長なんてやってはいるが」
煙草を一本手に火を点ける。ゆっくり吸い込んで、ゆっくり吐く。
「それは表向きだ。前任の学院長が高齢による病状の悪化もあって、面識のある私が療養の間だけ代理を務めてやると申し出てやったまで。実際のところを言えば……そう、お前たちは知らんだろうが」
灰皿に煙草を置いて、机に肘を突いて手を組む。
「────魔塔主リゼット・ヒルデブラント。魔塔階位主席とも言う」
魔塔に所属する者は外部へ軽々しく出てはならない。たとえどんな理由があろうとも、些細な事で魔導の神秘が漏れるのを防ぐためだ。しかし魔導学院という学び舎であれば例外的に認められるケースもある。
それがリゼットの学院長代理。魔塔主が他の職種に就く事は基本的に禁じられているが、前任は縁の深い人物であったため、例外的に魔塔階位の第五位以上のみが集まる会議で決定した。
だから表向きには彼女が魔塔主の階位を捨てて学院長に就任したと思われているが、実際のところは違う。なので事情を知る者以外で魔塔主について詳しく知る者はおらず、今もなお魔塔階位の主席が空っぽのままになっている。
いなくなければ自然と次席が魔塔主に繰り上がるといった事はない。純然たる実績と実力を持ち、他の魔導師たちに認められなければ空席のままが原則だ。
「ってことはリゼット学院長は、めちゃくちゃすげえ魔導師って事か」
「ま、端的に言えばそうだ。そして今回の騒動の起因でもある」
どさっと机に放りだされた一冊の分厚い本。
「────私の創った魔導書だ。三冊で完成するうちの一冊。アルメルが殺害されたのは、おそらくこれが原因だろう。私も事前に話を聞いてた」
何者かが魔物のキメラを使った実験を行っている。学院内にも根を張っていて、三年前のフェイル・ヒルデブラント殺害の件と繋がっており、何かを探しているようであったと言われたときから察していた。
「……あの、それってどういう?」
「ただの魔導書じゃないんだ」
本の表紙を指でコツコツと叩きながらリゼットはまっすぐ見つめて────。
「黒魔法。あるいは神秘魔法。どの属性とも異なった特殊な魔法について記されている。何者かは分からんが、万が一にでも悪用する方法を見つけられんよう、手を打たねばならん」




