お飾りの婚約者だった私が王子殿下に愛される事になったワケ
「俺が貴方を愛する事はない」
初対面の人間。
それも、婚約者として赴いた人間に対する開口一番の言葉とは到底思えない酷い言い草だ。
私は目の前に佇む赤髪の彼────この国の第三王子であるレイ・カルサスの口から言い放たれた言葉を前に、そう思わずにはいられなかった。
「……それは、どういう意味でしょうか」
彼の言葉の真意が分からなかった。
レイには別に愛する人がいて、私は単にお飾りの婚約者として呼ばれた、ということだろうか。
一瞬、そんな事を思ったが、それは的外れな予想であったと続けられた言葉で理解する。
「貴女を婚約者として受け入れた理由は、ミレニアムが公爵家の中で唯一中立を貫いていた御家であったからだ、メル・ミレニアム。それ以上でもそれ以下でもない」
カルサス王国第三王子レイ・カルサス。
三男にもかかわらず、彼は王位継承権が一位。
その理由は、長男及び次男が十年以上昔の政争にて命を落としてしまったからだった。
人を呪わば穴二つ。
お互いに蹴落とし合い、策謀を張り巡らせていた二人の王子はその言葉を体現するようにお互いが落命してしまった。
その結果、第二王子派と呼ばれる第二王子に与する貴族によって事故死に見せかけるよう城を追われたレイが漁夫の利を得るという皮肉に満ちた結果に落ち着いた。
「……つまり、これはお飾りの婚約であると」
「どう捉えて貰っても構わない。勿論、卿には全て話してある。その上で今回の件は了承を得ている、が、どうにも貴女にその話が伝わっていないように感じたものでな」
だからこうして話させて貰ったと、レイが語ってくれる。
その初耳でしかない事実を前にして、私は無性に黙って送り出してくれた父へ恨み言を吐き散らしたくなった。
……いや、婚約者の件を受けた理由は分かるよ。
お飾りとは言っても次の国王の妃候補って訳だし。何かの間違いでお飾りがお飾りじゃなくなる可能性は十分あるだろうからそこを狙ってたのも分かる。
あと、あの父はなんだかんだお人好しだから、元第一王子派と元第二王子派の貴族からお飾りであっても婚約者を迎え入れたくない。
頼みの綱である他国の姫は、現国王陛下がレイにもしもの事がないよう信用出来る御家から嫁を迎えたいという意向の下、却下されてしまっている事も知ってるから、それを汲んで私を寄越したんだと思う。
「……ご配慮痛み入ります」
……ただ、だとしても事情は最低限私にも共有しておけよと言わずにはいられなかった。
「怒らないのか」
「怒ってますよ。現在進行形で、父になら」
どうせ、家に帰って問い詰めても「あれ? 言わなかったっけ?」みたいな調子で恍けるに違いない。
そろそろ、父のお気に入りの壺を叩き割るくらいしないといけないかもしれない。
「……違う。俺に対して、だ」
レイのその物言いに、私は思わず小首を傾げずにはいられなかった。
「……? どうしてですか?」
お飾りの婚約者の件だろうか。
はたまた、父と二人でその件を進めていた事についてだろうか。
詳しい理由は判然としていないが、前者は兎も角、後者は貴族令嬢として受け入れなければならない事。
前者に関しては、彼の生い立ちを考えれば仕方がないと私は割り切れてしまう。
私がレイの立場だったなら、貴族との婚約なんて願い下げだって間違いなく言ってただろうから。
要するに、私が彼を怒る理由はどこにも無かった。
「少なくとも、俺の婚約者である間────王位を継ぐその瞬間まで、貴女は人生を棒に振る事になる」
婚約者として報われる事はなく、その上、次期国王の婚約者として周囲から嫉妬や妬みを買う事は避けられない。
お飾りの婚約者として選んだ時点で、それを強要したと同義。
きっとだから、彼はそんなにも申し訳なさそうな表情を浮かべていたのだろう。
王位を継ぎさえすれば、貴族諸侯は黙らせることが出来る。
しかし、如何に王位継承権が一位であろうと国王であるのとないのとではまるで違う。
少なくとも、王位を継ぐその瞬間までレイには私というお飾りの婚約者が必要なのだろう。
「……成る程。そういう事でしたか」
詳細を伝えてこなかった父にこそ怒りの感情はある。だけど、やはり私はレイを怒る気にはなれなかった。
多分、その理由は─────同情、ではなく。罪悪感に似た感情を抱いていたからなんだと思う。
元より、私に拒否権は無かったけれど、レイ・カルサスの婚約者となると聞いて私は拒否をするつもりなど更々なかった。
何故ならば。
「俺に出来る贖罪ならば、何でもしよう。望みがあるならば、なんでも言うがいい」
私は、レイの性格を一番よく知ってるから。
私は、レイの生い立ちを一番よく知ってるから。
さびしんぼで。
ちょっとだけ意地っ張りで。
物凄く義理堅くて。
たった一年の付き合いでしかなかった人間の遺品を十数年と持ち歩き、未だにそれを引き摺ってるような人間であると今こうして知ってしまったから。
だから余計に、責める気になんてとてもじゃないがなれなかった。
出来る事ならば、今すぐに打ち明けたかった。
私がメル・ミレニアムとして生きてきた十六年間胸の内に仕舞い込み、秘密にしてきたものを、彼に。
でも、それをすればあの時あの場所で、前世の私がレイという名の少年を助けた理由が、恩を着せたかったから。に変わってしまうような気がした。
それが嫌で、私は打ち明けるに打ち明けられなかった。
「でしたら、一つだけ願いがございます」
勿論、馬鹿正直にそれを伝えたところで信じてくれる筈も。ましてや、受け入れてくれる筈もなかっただろう。
そもそも、それが無理だと分かっていたから、私はこれまでの十六年間秘密にしていたし、わざわざ打ち明ける為に彼の下へ己の意志で訪れる気もなかったから。
「構わない。教えてくれ」
本当に、無条件で了承しそうな勢いだった。
私がここでとんでもない事を要求したら、どうするつもりなのだろうか。
……いや、多分、とんでもない事であってもレイは了承するのだろう。
それが、己に出来る事の範疇であるならば。
レイはそういう人だ。
私だからこそ、それはよく知っていた。
「お飾りの婚約者のままで構いません。ですがその上で、私を殿下の側に置いてはいただけませんか」
私の言葉に驚くレイの表情は、「ぽかん」という効果音でも聞こえて来そうなものだった。
それは、私が十数年前に見たものと全く同じもので。無性に懐かしさに襲われ、私は彼と出会った日のことを一人、思い出していた。
†
かつて第二王子派によって、レイは事故死に見せかけるよう城を追われた。
そんな彼が漁夫の利を得られた理由は。
無事だった理由は、「魔女」と呼ばれていた人物と出会っていたから。
出会った日のことは、未だによく覚えてる。
あの日は確か、ざあ、ざあと身体を強く打ち付ける篠突く雨が降り注いでいた。
限りなく嵐に近い日だった。
そんな日に、私は一人の少年と出会った。
澱のように淀んだ瞳を浮かべて雨に打たれながら空を見上げていた少年。
まるで、捨てられた子犬のようだった。
ただ、捨て犬と明確に異なっている点は、己の現状を理解していた事だろう。
齢は六、七歳といったところだろうが、私には浮かべる瞳が死を望む人間のソレにしか見えなかった。
否、事実、少年は己だけでなく彼の周囲にいた人間からも死を望まれていたのだろう。
でなければ、私がすまう〝魔の森〟などと呼ばれる僻地に迷い込む事などあり得ない。
何処となく品を感じさせるこの場にあまりに不似合いな服も、その可能性を助長させる一因となっていた。
『そんなところで雨に打たれてたら、風邪を引くよ』
どうして私が目の前の少年に、そんな言葉を投げ掛けたのか。
理由は私も分からない。
もっともらしい理由を挙げるなら、放っておくのは寝目覚めが悪いからとか。
幾らでも思い付く。
だけど、彼の身なり。
様子から、その行動が面倒事に繋がるであろう事は考えるまでもない。
なのに手を差し伸べようとした理由は────きっと、ただの衝動的な行動だったのだろう。
『帰る場所がないなら、うちに来る?』
昔の自分に重なってしまったから、とか。
放っておけなかった、とか。
それらを引っくるめての衝動的な行動。
結果、真っ当とはいえない最期を迎える事にはなったけれど、不思議とその行動に対して私に後悔はなかった。
ただ一つ後悔を挙げるとすれば、それはレイに背負わせてしまった事だろう。
ただ、私がドジを踏んだだけなのに。
私の死という十字架を、レイに背負わせてしまった。そして、助けると約束したのに、最後まで助けられなかった。
レイに関しては本当に、後悔が沢山あった。
割と貴族という人種が嫌いな私が、こうして真っ先に逃げ出そうとしない理由は、そういった部分が大きかったのだと思う。
「────訳を、聞かないのか」
意外そうに、レイが言う。
私が一人、過去を懐かしんでいた間にレイは落ち着きを取り戻していた。
驚愕の色に染まっていた表情も、無表情に近いものに戻っていた。
「訳、ですか」
「どうして、貴女を婚約者に指名したのか。どうして、お飾りの婚約者のような関係を俺が望んでいるのか」
今から十数年前に起こった第一王子と第二王子が落命した政争の後。
事故死に見せかけて殺そうとしたレイが存命と知るや否や、実は政争から遠ざける為にレイを隔離していたという嘘を貫く為に、事情を知る私の口封じを敢行した第二王子派の人間が、ある程度の地位を築くという胸糞展開で終わったという事は幼少の頃に読んだ文献のお陰で知っていた。
勿論、その文献には都合よく第二王子派だった一部の貴族達が美化される形で纏められていたが。
それもあって、今の王城は第二王子派と呼ばれていた貴族達が席巻している。
そして、彼らが差配しようとした縁談をレイは断り続けていた事は有名な話だ。
どうして、表向きは恩人である筈の彼らとの縁を拒み、私の生家であるミレニアム公爵家を選んだのか。
私が望むなら、それを話す用意があると言わんばかりの物言いだった。
「気にならない、と言えば嘘になります」
第二王子派だった貴族達の件は、知ってる。
でも、私が知っているのはあくまで、それだけ。
にもかかわらず、私が疑問らしい疑問を投げ掛けなかった理由。
それはひとえに、
「でも、殿下は悪い人ではないと思うのであえて聞く必要はないかなと」
レイの為人を誰よりも知っているから。
何より、お飾りの婚約者である事を望んだくらいで、本気で申し訳なく感じて。
「贖罪」をすると言って。
そんな人間が、あえて伝えなかった事だ。
きっと相応の理由があるのだろう。
そして、レイ自身が伝える必要がないと判断した。ならば、あえて聞く理由もないと思った。
思ったまま。ありのままを告げるとまた、レイは驚いていた。
「……お人好しだな」
「そう、ですかね?」
「ああ。底抜けにお人好しだ。少なくとも、そんなお人好しを俺は他に一人しか知らない。俺ならば、間違いなく問い質しているだろうよ」
他に一人いたのか。
……でも多分、その人もレイの性格を知っているが故。もしくは、見抜いたが故のお人好しだったのではないだろうか。
その際、服に隠れながらも首に下げられていた銀のロザリオを軽く握り締めるレイの行動が、不思議と頭に強く残った。
(あのロザリオ……)
見覚えがあった。
でも、その記憶は虫食いで、うまく思い出せない。恐らく前世の頃に見たものだと思う。
転生による弊害なのか。
前世の頃の記憶は、ところどころが虫食いだから、分かりやすい。
かつての私とレイには面識があったし、覚えのあるロザリオをレイが持っていても何らおかしな事でもないか。
そう結論付け、私は思考をやめた。
「……あぁ、そうだ。明日の夜に執り行われるお披露目パーティーの事なんだが」
「はい?」
婚約の件がひと通り纏まった事を確認し、レイは口を開く。
だが、私はまっったく以て聞いていない初耳な話を前に素っ頓狂な声を漏らしてしまう。
お披露目パーティーとは何の事だろうか。
「……待って、下さい。もしかして、お披露目パーティーって、私の事、ですか?」
王子殿下であるレイの婚約者が決まったのだ。常識的に、お披露目パーティーをして然るべきだろう。
父から何も伝えられていなかったので、完全に失念していた。
だがあの父のことだ。
貴族があまり好きじゃない私にとって、お披露目パーティーが地獄でしかないと理解しているから、私が逃げ出さないように仮に問い質していたとしてもはぐらかしていたに違いない。
「……やはり、これも伝えられていなかったか。いや、道理でドレスだけが先に城に届けられていた訳だ」
やっぱり確信犯だったらしい。
うん。家に帰ったら父の一番のお気に入りの壺を叩き割ってやる。
がしゃんと木っ端微塵にしてやる。
「まぁそれは兎も角だ。……ガナン・フェイルには気を付けてくれ」
「ガナン・フェイル、ですか」
「あいつは既に隠居をした身。ないとは思うが、もしちょっかいを掛けてくるような事があれば、俺の名前を出してくれていい。出来る限り関わらないようにしてくれ」
フェイル公爵家の先代当主ガナン・フェイル。
それは、第二王子派と呼ばれていた貴族の中心人物にあたる人間の名前あり、前世「魔女」などという仰々しい呼び名が付けられていた私を殺した張本人だった。
†
「……先代。どうやら、レイ・カルサスがミレニアムの長女を婚約者に迎えたのは事実のようです」
「……あの小倅めが」
カルサス王国城内。
先代と呼ばれた老齢の男────ガナン・フェイルは、己に向けられた言葉に対して苛立ちを隠す事なく吐き捨てる。
「全く、面倒な真似をしてくれるわ」
かつては第二王子派と呼ばれる人間だったガナンは、己らの神輿であった第二王子を失った時、己らの手で城から追い出した第三王子の存在に目をつけた。
蜘蛛の糸ほどの可能性だったが、事故死に見せかけるべく〝魔の森〟と呼ばれる『魔女』がすまう地に捨て置いた第三王子は、存命だった。
だからガナンは事実を捏造し、第三王子を新たな神輿として担ぎ上げ、第一王子派だった連中を蹴落として己らの地位を確固たるものにした。
「……まさか、ミレニアム公爵家と水面化で話を進めていたとは」
「あの小僧なりに頭を悩ませたんじゃろ」
誰にも悟られないよう、ミレニアム公爵家と縁談を推し進め、ガナン側にはフェイル公爵家と縁のある御家から婚約者を迎える素振りだけを見せていた。
そして城に迎えた翌日に婚約者のお披露目パーティーを開くという用意周到さ。
しかも、ガナン側のお家から婚約者を迎えると口約束ながら素振りを見せていたレイが観念したと信じて疑わなかったガナンは、彼に言われるがまま、多くの貴族を集めてしまっている。
明日にはレイの婚約者のお披露目パーティーという事でカルサス王国の大半の貴族が集う事だろう。
このまま事態が進めば、少なくともレイを傀儡とし、フェイル公爵家の血を王家に入れ、ゆくゆくはカルサスを掌握する。
というガナンの計画は破綻する。
「……嵌められましたね」
「確かに、儂らはあの小僧を侮っておったかもしれん。だが、それはあの小僧も同じよ」
「と、言いますと」
「あの小僧も詰めが甘いわ」
口角を吊り上げ、下卑た笑みを浮かべるガナンに、報告をしていた貴族然とした男はぞくり、と得体の知れない恐怖心を抱く。
既に隠居したとはいえ、フェイル公爵家の先代当主。
徹底した冷徹な性格、行動故に多くの貴族諸侯に恐れられていたかつての威光は健在。
そう思わずにはいられない。
「本当は、もう少し後にする予定じゃったが、この機会にミレニアム公爵家を潰してやるのも悪くないわ。まこと、レイの小僧は儂等ら想いの良き殿下よな?」
愉楽を表情に貼り付け、怒りの感情を上塗りしながら、くくくとガナンは喉を鳴らし嗤う。
「……ですが、そう事が上手く運びますでしょうか」
「確かに、城内で事を起こした場合、万が一という事がある。だが、幸いにも明日はアレの命日よ」
「アレ、と言いますと……『魔女』ですか」
〝魔の森〟にいた『魔女』が死んだ日。
それが、ちょうど明日の事だった。
表に出回っている嘘の事実ではなく、真実を知る彼らは、レイが『魔女』に執着している事を知っている。
四六時中首に下げているロザリオは、彼が唯一持つ『魔女』の遺品だった。
「小僧は間違いなく、アレの墓参りに向かう。その際に、ミレニアムの小娘を向かわせれば良い。騒ぎを起こしてミレニアムの責任を問えば、後はどうとでもなるわい」
レイの生死に関わる騒ぎを起こし、それをメルのせいにする。
あまりに単純な計画であるが、単純故にハマる時はとことんハマる。
「なにせ、死人に口なしとも言うしの」
騒ぎを起こしたメルは、死人に口なし。
自業自得の末に死んだ事にすれば、後はどうにでもなる。
嘘の事実であるとはいえ、ガナン達、第二王子派だった貴族は陛下からの信も厚い。
疑われる事はないだろう。
「そうなれば、嫌でも殿下は理解する事でしょう。我々と、共にする以外に道はないと」
お前のせいで、関係のないミレニアムが責め立てられ、婚約者は死んだ。
そうなれば、あの小生意気なレイも我々の言葉にこれ以上反抗出来まい。
そんな未来を想像し、彼らは気分を良くしたように笑う。
「まこと、明日が待ち遠しいものよな?」
出し抜いたと思っていた人間が、実は手のひらで踊らされていたと知った時、一体どのような表情を浮かべてくれるのか。
出来る事なら反骨心の一切をこれで失ってくれれば、扱い易い傀儡が出来て嬉しいのだが。
ガナンはそんな事を思いながら、悪辣に。醜悪に唇を三日月に歪めていた。
†
「……どこにもいないんだけど」
それから一夜明けた翌日。
今日がお披露目パーティーという事もあり、朝から続々と多くの貴族家当主達が城へとやって来る。
不幸中の幸いは、私が婚約者になった事がまだ、伝えられていないようで、注目を浴びずに済んだ事だろうか。
ただ、部屋に避難していていいのか。
はたまた、挨拶する為に部屋から出てた方がいいのか。
その疑問を解消する為に私は朝からレイを探していたのだが、部屋を訪ねた時、既にレイは部屋を後にしていた。
食堂をはじめとした場所を巡ってはみたものの、やはり見つからない。
もしや、多くの貴族を出迎えているのかと思えば、勿論そこにもいなかった。
一体どこで何をしているのだろうか。
半ば諦めに似た感情を抱きながら、私は溜息を吐いた。
「今回のパーティーの主役でしょうに、一体何をしているんだか」
もちろん、行き先は私に告げられていない。
お飾りなのだし、別に伝えなくてもいいと思われたのだろう。
……よし。何かを言われたらレイのせいにしよう。
私は最低限、レイを探して指示を仰ごうと試みたし、責められる事はないだろう。
お飾りの婚約者である私が、下手な事をするべきではないと思いました。
この言い訳で問題ない。
そうと決まれば、部屋に閉じこもって避難しておこう。
そう決めた時だった。
「あぁっ。やっと見つけました。メル・ミレニアム殿」
背後から声が聞こえた。
漸く出会えたという安堵の色が込められたその発言は、間違いなく私に向けられたものだった。
振り返ると、そこには紺色の髪を持った貴族然とした男性がいた。
でも、私の知らない人物。
にもかかわらず、どうして彼は私の名前を知っているのだろうか。
「殿下の婚約者である貴女に、お願いしたい事がありまして」
城に赴いている貴族の大半が知らないであろう情報。
つまり目の前の彼は、元々城にいた人間で、レイから私を婚約者として指名したと聞かされている人間という事になる。
「お願い、ですか」
「殿下を、城へ連れ戻しに向かっていただけませんか」
話が全く見えてこなかった。
レイを連れ戻す、とは一体どういう事なのだろうか。
「……多くの来賓の貴族方がお越しになられる中、やはり殿下が不在というのは、その、色々とまずいのです」
「それは分かりますけど、私にも肝心の殿下の居場所が」
分からないからどうしようもない。
私がそう告げようとしたところで、彼は紙のようなものを差し出してきた。
「……えっ、と、これは?」
「恐らく殿下は、この霊園にいらっしゃると思うのです」
どうしてそんな場所にいるのか。
一瞬疑問に浮かぶけれど、霊園に向かう理由なぞ一つしかない。
同時、居場所を知ってるなら私を探す前に自分達で連れ戻したら良いじゃないかと思わずにはいられなかった。
「我々は、その、殿下に避けられている……といいますか」
私の視線から言いたい事を感じ取ったのか。
目を逸らしながら彼は言い辛そうに教えてくれる。
少なくとも、第一王子派と呼ばれていた者達と、第二王子派だった人間達の事をレイは毛嫌いしている事だろう。
それに関係が少なからずある貴族も、また。
となると、レイが嫌っていない貴族家など片手で事足りるほどしかいないかもしれない。
……成る程。
だから私がレイを連れ戻す役目をこうして押しつけられようとしているのか。
でも。
「にしても、こんな天候の中で霊園ですか」
外は雨音が小さく響いている。
勢いは緩やかではあるが、外に出るには適さない天候であった。
余程に大切な人だったのだろう。
レイの義理堅さというか。
真っ直ぐな性格をしている事は私も知るところだったので、次第にレイらしいかと納得出来てしまう。
何というか、一度決めた事はやり通す性格のレイはたまに周りが見えなくなる事がある。
他の貴族の人だと不機嫌になるっぽいし、それだと折角のお披露目パーティーがぶち壊し。
だから、出来る限り当たり障りのない私を選んだ、という事か。
「でも、分かりました。そういう事なら、私が殿下を連れ戻してきます」
その霊園までは少し遠くはあるけど、元々他にやる事もない。
貴族とあまり関わりたくない思考の私としてはむしろ望むところでもあった。
そんな訳で、私はレイを城に連れ戻すべく霊園へと向かう事にした。
「……これで良いんですよね」
にしても、誰のお墓参りなのだろうか。
王族だとすれば、国王陛下も同行してるだろうし、そうでないあたり、レイの個人的な付き合いがあった人……?
そんな考え事をしていたせいで、先の貴族の男性の呟きに私が気付く事はなかった。
†
歩く事、三十分ほど。
供を連れて向かうべきかどうかを悩みはしたが、堅苦しい供を連れては堅苦しい事この上なかったのでそれは却下。
何より、これでも一応、「魔女」などと呼ばれていた身。
今生であっても魔法の技量には自信があった。自分の身くらい、自分で守れる。
だから、一人こっそりと向かう事にした。
やがて見えてくる霊園。
徐々に強まっていく雨脚。
意外と広いその霊園で、レイを見つけるのは困難かと思ったけど思いの外、すぐに見つかった。
雨雲に覆われていても、レイの赤髪はよく目立つ。
「……あれ。レイの前にあるあの墓石だけ、なんで名前がないんだろう」
他の墓石には、名前が刻まれている。
でも、レイの目の前にある墓石だけ、言葉一文字として刻まれていなかった。
レイが何やら呟いているが、気付かれないように距離を取っているせいで全く聞こえない。
……いや、聞こえる距離であっても聞くのは無粋だ。
「というか、傘を持たずにやって来たんだ」
レイが城を後にした時はまだ、雨が降っていなかったのかもしれない。
思い出に浸るレイの邪魔をする事は忍びなかったけれど、このまま雨に打たれるところを黙って見ているのはまずいだろう。
そう思って、私はレイの下に歩み寄る。
「そんなところで雨に打たれてたら、風邪を引きますよ」
頭に浮かんでいた言葉をそのまま告げると、何故か墓石と向き合っていたレイは、まるで幽霊にでも出くわしたかのような形相で、勢いよく此方を振り返った。
昨日は服に隠されていたロザリオが、今はどうしてか手に握られていた。
「……メル、ミレニアム?」
「どうかなさいましたか?」
尋常でないその様子は、どうして私がここにいるのだと問い質したいが故のものは到底思えなかった。
だから、私は疑問に疑問で返していた。
「……い、や。悪い。俺の勘違いだったようだ。ぁあ、そうだ。あいつがここにいる訳がない」
「? 取り敢えず、これ。使って下さい」
言ってる意味はよく分からなかったけど、取り敢えず私は余分に一つ多く持ってきていた傘をレイに手渡した。
もしかしたら、と思って持って来ていて正解だった。
歳はあれから随分と食ってるみたいだけど、抜けてるところはやっぱり相変わらずだ。
「……よく分かったな。俺が、傘をさしていない事」
「偶々ですよ。ただなんとなく、傘を忘れてるんじゃないかなって思っただけです」
────レイの性格的にも。
最後の一言は、メル・ミレニアムとしては不適だったので、心の中に留めておいた。
そして、墓参りはもう気が済んだのか。
レイは歩き出し、私がその側を歩く。
特別話すような仲という訳でもないので、歩く際は無言に包まれてしまう。
そんな中、何を思ってかレイは口を開いた。
「何も聞かないのか」
「……と、いいますと」
「パーティー当日の癖に、どうして城から出ていたんだ、とか。あれは誰の墓なんだ、とか。他にも、聞く事は色々あると思うが」
「気にならない、と言えば嘘になりますね。でも私から言える事はせめて一言くらい言って欲しかった、くらいです」
こちとら、知り合いらしい知り合いはレイしかいないのに、一人城にぽつんと取り残されてたんだぞ。
割とむごい事してたんだからな、お前。
などと思いはするけど、どうにか胸中で押し留める。
「……あいつではなかったが、なんというか。貴女は何処となくあいつに似ているな」
哀愁の混じる呟き。
一瞬ではあったが、レイの表情に悲哀の色が浮かんでいたことを私は見逃さなかった。
誰の事を言っているのかは気になったけれど、私を誰かと重ねている事はあえて言われずとも分かるところであったので、私は黙っておく事にした。
「まぁいい。ところで、俺は墓参りにここまでやって来た訳なんだが……貴女はどうしてここへ?」
「……あぁ、そうでした。殿下が城にいないから、他の貴族の方が心配なさってましたよ。でも、連れ戻そうにも自分達は避けられてるから出来ないって。そういう訳で婚約者の私に向かってくれって頼まれたんです」
お陰で城を抜け出す口実が出来たのは良かったけれど、今度からは気を付けてほしい。
そう伝えると、何故かレイの眉根が寄って険しい表情へと移り変わってゆく。
……なにか、まずい事でも言っただろうか。
「それは、おかしい」
「おかしい、ですか?」
「貴女と俺の婚約の話は、卿────貴女のお父上と俺を除いて誰も知らない話だ。城にいる貴族だろうと、それを知っているのはおかしい」
たしかに、それならばおかしいと口にする理由も分かる。
よくよく思い出してみれば、婚約者とは言われていなかった。
あくまで、私がそう捉えただけ。
でも、数いる貴族の中であえて私一人を名指ししてレイを迎えに行かせる理由が他に浮かばないのもまた、事実だった。
「貴女に、俺を迎えに行けと頼んできた人間の名前を覚えているか」
「……名乗られていなかったので、名前までは」
「なら、蛇の柄が入った家紋のバッジを何処かに付けていなかったか」
蛇、蛇と記憶を探る。
そういえば、胸の辺りにそんな家紋のバッジがついていたような……。
「……ガナン子飼いの貴族の仕業か」
私の反応から察し、レイは結論を出す。
「だが、貴女には万が一がないように信頼出来る騎士を置いて来た筈なんだが……」
「…………」
またしても、納得のいかない様子でレイが呟きを漏らす。
しかし、その言葉に私は覚えがあったので、口を真一文字に引き結んで黙り込む。
……なんか、私のことをつけてる気配が二つ三つあったから、レイを探し回るついでに撒いてきたとか言えない。
というか、そういう用意があるなら事前に言っておいて欲しかった……。
「……まぁいい。起きてしまった事は仕方があるまい。しかし、成る程。貴女を俺の下に向かわせたのはそういう事か」
私を置いてきぼりに、一人、レイは事態の把握を既にしたようだった。
一体どういう事だろうか。
疑問に抱いたその時、レイが口にした言葉の意味を私も否応なしに分からされる事となった。
「『───────』」
思わず身震いしてしまいそうになる程の、悍ましさ。人と隔絶したその相貌。
向けられる殺気の高さ故か、じり、と肌を灼かれるような錯覚を抱く。
しかも、その気配は一つだけではなく、他方からいくつも。
姿を現すそれの正体を、私は知っていた。
「〝死神〟」
骸骨姿で、煤けた襤褸同然のローブを身に纏う人を超えた怪物────魔物にカテゴリされるその名を、〝死神〟。
背負うように担がれる漆黒の大鎌の切れ味は、遠目からでもよく分かる。
アレを振るえば、人の首など容易く刈り取れてしまう事だろう。
「……あの老獪、随分と手の込んだ真似をする。どうやって魔物を使役しているのかは知らんが、確実に殺すつもりで仕向けてきたな。しかも、万が一を想定して魔物を用意したか」
人が魔物を使役するなど、聞いた事もない。
特に、魔物の中でも上位に位置する〝死神〟ともなれば余計に。
だけど、レイの物言いから察するに、この事態は老獪呼ばわりされるガナンの仕業なのだろう。
「もしかして殿下って、恨まれてます?」
「恨まれてはないが、嫌われてはいるだろうな。散々、俺に出来る最大限の嫌がらせをあいつらにしてきたから」
レイの場合、第二王子派だったガナンと仲良くする理由はない。
私がレイの立場でも、散々に嫌がらせをしてやったと思う。
その結果、思うように動かないレイをガナン達が毛嫌いを始めた、と。
「恐らく、お披露目パーティーの前日に貴女を呼び寄せた事で勝手に決めつけたんだろうな。散々縁談を拒み続けてきた俺が、貴女を迎えた、と。で、ミレニアムと縁を結ぼうとする俺の魂胆と、中立派だったミレニアムをここで潰そうと試みた、といった筋書きか」
「私をこの場で殺して、魔物の件も含めて全てを私に押し付ける。そしてミレニアムの悪評を吹聴して、一石二鳥という訳ですか」
「……そうだ。というか、こんな状況にもかかわらず、随分と冷静だな」
レイは私の様子に驚いていた。
でも、その理由は単純にして明快だ。
「だって、殿下も然程慌てていませんから」
こんな状況で尚、慌てない人間は大きく分けて二種類。
状況を理解出来ない阿呆か。
または、この状況を打開出来る手段を持ち合わせているかの二つ。
間違ってもレイは前者ではない。
ならば、対処する手段があるのだろう。
なのに私が一人慌てても迷惑なだけだ。
……もっとも、魔女だった過去を持つ私もレイと同様にこの状況で慌てる必要はあまりない。
ただ、引っ掛かりを覚えるのは私だけだろうか。
用意周到に、己の欲を満たすためならば人を殺す事さえも躊躇わない老獪が、公言をしていなかったからといってレイの技量を見誤るだろうか。
答えは────否。
事実、そんな与し易い相手ならばかつての私がドジを踏んで死ぬ事はなかった。
それは、間違いなく。
だが、それも相まって私は過去を懐かしんでしまう。
「魔法陣展開」
レイが程なく展開する魔法陣。
そのやり方は、かつての私が教えた時のまま。きっと、愚直に学び続けていたのだろう。
私に、魔法を教えてくれと言ってきたあの時から。だから、少しだけ感傷に浸ってしまう。
『────俺に魔法を、教えてくれ****』
遠い遠い昔。
私にとって前世にあたる記憶。
ある日唐突に、私はまだ幼かったレイから魔法の教えを乞われていた。
『あんたに守られっぱなしはみっともないだろ。これじゃ、恩が溜まる一方だ』
『……いや、別に恩を着せるつもりはこれっぽっちもないんだけど』
レイを助けたその時から、恩を返せよと迫る気はこれっぽっちもないよ?
と答えると、何故かレイはこの分からず屋。と言いたげな表情を浮かべていた。
『と、兎に角、自分の身くらい自分で守りたい。それに、いつかはあんたへの恩返しもしたいしな』
『……まあ、レイに家事の才能はなかったからなあ』
『う、うっさい』
出会ってから、一年ほど。
出会ったばかりの頃は、殆ど会話すらまともにしなかったのに、最近じゃこうして揶揄ったり、笑い合ったりするようになった。
当初、俺も何かすると言ったレイが家事の協力を申し出てくれたが、料理は壊滅的。
他の家事も、惨事になる結果が多く、協力というより妨害のレベルだったのでレイが自ら身をひくという展開に見舞われていた。
今回の魔法の件は、きっとそれもあってのこと。
『でも、レイには魔法の才能はあると思うし、教える事は構わないんだけど……』
『構わないけど、なんだよ』
『恩を返そうとか、そんな事は思わなくてもいいからね』
────これは私が、好きにやっている事なんだから。
もうかれこれ数百回以上、口にし続けていた言葉だった。
『……心配しなくていい。これはただの建前だ』
『えー。それはそれでなんか悲しいなあ』
『俺にどうしろってんだ』
笑い合う。
純粋過ぎるというか、なんというか。
レイをこうして揶揄うのが私の日課のようなものだった。
『ま、冗談はさておき。私への恩返しが建前なら、本当の理由は?』
『……あんたは、俺にとって家族みたいなもんだからな』
実の兄弟から、殺されかけて。
実の父は助けの手を一切差し伸べてはくれず。近しい人間は、全て自分を見捨てた。
一年前、そんな境遇だったレイを助け、こうして一年ほど共に過ごしている私の存在は、レイにとって実の家族よりもよっぽど家族らしい存在なのだと。
『大事なやつを守りたいって思うのは、別におかしくはないだろ』
可愛いやつめ、とレイの頭をわしゃわしゃと撫で回していた記憶を最後に、現実に引き戻される。
魔法陣を展開し、〝死神〟の殲滅を試みるレイの姿を視認。
迸る雷光は、修練の歳月を思わせる練度。
でも、それでは足りなかった。
〝死神〟を殲滅する事に問題はない。
だけどそれだけでは、ガナンの思惑までをどうにかする事は難しい。
でも、悪いのはレイじゃない。
かつての私も、ガナンの策略に引っ掛かり、ドジを踏んで死んだ。
あえていうなら、巧妙な罠を仕掛けたガナンが一枚上手であっただけの話。
しかしそれは、私がいなければの話だが。
「流石に、同じ手を食らう気はないんだよね」
防ごうと試みれば、私が魔女である事が露見する可能性は高いだろう。
使う魔法は、かつての己がよく使っていた魔法だから。
でも、たとえそうなるとしても、それ以上に同じ手で二度も殺されてやる気にはなれなかった。
「魔法陣展開」
公爵家とはいえ、貴族令嬢が当たり前のように魔法を行使しようとする。
〝死神〟の対処を第一としているからか、振り向きこそしなかったが、その事実を前にレイが驚いている事は背中越しからでもすぐに分かった。
「〝聖域〟」
「……ッ、その、魔法は」
展開するは、光の強固な結界。
だが、レイはすぐにその魔法の正体について気付いていた。
でも、それもそうか。
だってこの魔法は、かつての私がレイを守る為によく使用していた魔法でもあるから。
「伏せて、レイ。多分、〝死神〟に自爆の魔法陣が組み込まれてる」
誰もが油断する瞬間。
それは、終わった。と確信した時だ。
ガナンの目的は恐らく、レイを瀕死に追い込んだ上で、その責任を私。ひいてはミレニアムに押し付ける事。
ガナン達はレイの介抱を行い、さらに国王陛下からの信頼を厚くする。
その間に、婚約者諸々の事も既成事実にしてしまう。そんなところだろうか。
そう考えていたから、あの〝死神〟に何かがあるという前提で物事を見る事が出来た。お陰で気付けた。
やがて、レイの魔法が〝死神〟に降り注ぎ、消滅────したと確信した瞬間、彼らに組み込まれていた魔法陣が妖しく明滅。程なく、地鳴りすら伴う大爆発が引き起こされる筈だった。
しかしその爆発は、私達を守るものとは別で展開していた〝聖域〟。
それによって爆発の被害は最小限に留められていた。
恐らく、爆音は城にすら届いていまい。
周囲にひと通り、今一度警戒を向ける。
これ以上の仕掛けは用意されていないことを確認し、私は結界を解いて立ち上がる。
ただ、私の動きとは対称的にレイはその場で硬直していた。
やがて、言葉がやって来る。
「……どうして、貴女がその魔法を知っている」
魔女だった頃の私の固有魔法。
誰にも教えていないし、使い方を記した書物などは何一つとして残していない。
だから、使える人間は私以外あり得ない。
レイも、だから疑問をこうして投げ掛けて来たのだろう。
「事と次第によっては……ぃ、や。まさか、そういう事なのか?」
独り言のようにレイは喋り出す。
魔女にしか使えない魔法を、私が使った。
ならば、答えは一つだろう。
冷静になってしまえば、これ程簡単な疑問もない。ただし、その答えを認める為には、ある程度の常識を捨てなければならないが。
「あんた、メルファなのか」
ゆっくりと振り返るレイは、たどり着いた。
私が、魔女であるという答えに。
メル・ミレニアムが、かつて魔女と呼ばれていた存在、メルファである事を。
「……やっぱり、アレを使うとバレるよね」
言い訳を考えた。
どうにかして、言い逃れ出来る方法を考えた。
でも、なんとなく無理な気がした。
どれだけ言い訳を重ねても、誤魔化せる気がしなかった。
だから、私は観念する事にした。
黙ってる事を怒られるのだろうか。
ドジを踏んで死んでしまった事を、怒られるのだろうか。謝られるのだろうか。
色々と覚悟を決める。
でも。
「どうして」
ぽつりと、弱々しい言葉が聞こえた。
それは、怒りでも、謝罪でもなくて。
「どうして、あんたがあんたである事をすぐに教えてくれなかったんだ」
普通、転生を果たした。
なんて話をしても、誰しもが嘘だと断じる事だろう。それもあって話さなかったというのに、今のレイはまるで、私がそう口にしていたならば信じるつもりだった。
そう言われているようだった。
打ち明けてしまおうか、どうしようか悩む。
でも、今ここで全てを話しておいた方が後々を考えれば一番か。
そう思って、私は言葉を返す事にした。
敬語をやめて、正真正銘の本音を。
「…………。だって、私はあの時、恩を着せる為にレイを助けた訳じゃないから。一年共に過ごしたからよく分かる。レイは誠実だ。義理人情にも厚い。だからこそ、明かすつもりはなかった。そうすれば、レイは私に恩を返そうとするから。今だから言えるけど、私がレイを助けたのはただの気まぐれで、自己満足で。だから、」
打ち明ける気はなかったのだと続けようとして。
「────それの何が悪い。それの、何が間違ってるんだ」
言葉の途中でレイに遮られた。
「それにそもそも、あんたは一つ大きな勘違いをしてる」
「勘違い?」
「あんたが思ってる程、俺は誠実でもないし、義理堅くもない。それは偏に、相手があんただったからだよ、メルファ」
言っている意味が、よく分からなかった。
「あんたの行動に、俺は救われた。あんたの言葉に、俺は救われた。少なくとも、あんたがいなかったら今ここに俺はいなかった。なのに俺は、その恩を仇で返してしまった」
後悔の念が滲んでいると分かる声音だった。
「だから、後悔しかなかった。あんたを巻き込んでしまったあの時から、後悔しかなかった」
そして続けられる言葉に、
「大好きだったあんたを死なせてしまった事が、どうしようもなく後悔だった」
私は瞠目をする羽目になった。
「俺はあんたと居られればそれで十分だった。王子としての今の地位を投げ捨てることで過去に戻れるのなら、俺は逡巡なく投げ捨てる。俺にとってはあんたとの日々の方がずっと大事で、大切なものだったから」
……レイの中で、私という存在がそれ程までに大きいものとは知らなかった。
やがて何を思っての行動なのか。
私はレイに抱きしめられる事になった。
「私達、お飾りの婚約者じゃなかったっけ」
「知るか」
まるで、私という存在がいなくならないように掴んで離さないでいる。
そんな行為に思えた。
「レ、レイからの提案だった筈なのに。横暴過ぎる」
「……あんたがあんたである事を初めから打ち明けてくれていたなら、あんな提案はしなかった。寧ろ、婚約パーティーを結婚式に変えるくらいはしてやった」
「見ない間に冗談が上手くなったじゃん」
「冗談じゃなくて本気なんだが」
「え?」
「ん?」
なんか会話が噛み合わない。
……ま、まあ、それは兎も角として。
「……で、これからどうするの?」
「決まってる。ガナンのやつをぶっ殺す」
殺意を全開に、レイは言葉を吐き捨てた。
「気持ちは分かるけど、流石にそれはまずいから」
先代とはいえ、公爵家の人間を殺すのは拙過ぎる。証拠らしい証拠も残されていないので、今、どうにかするのは得策ではない。
「……なら、ガナンを信頼している愚鈍な父を殺すしか」
「さっきから物騒な事しか言わないな!? というか、耳元で言うのやめろ! 怖いわ!」
抱きついたままだったレイから、私はどうにか抜け出す。
その際、レイの表情が気持ちしょんぼりとしていたのはきっと気のせいだ。
「でも現実問題、ここで大人しく帰るのはまずいと思う」
城に戻れば策が失敗したとして、ガナンが次なる一手を打ってくる可能性は高い。
だったら、ここで策が成ったと勘違いさせておいた方がいい。
「それはそうだな。なら、ギリギリまでここで時間を潰しておくか」
「そう、なるかな」
恐らくだけど、ガナン達は爆発音が聞こえたら私達の下に向かって来る予定だった筈。
でも、結界を展開してその音を限りなく抑えた事で肝心の爆発音は届かなかった事だろう。
ならば、誤魔化しようはある。
「なあ」
「うん?」
「こんな俺が、またあんたの側にいても良いのか」
弱々しい言葉だった。
きっとここで拒絶すれば、レイは潔く身を引き、どんな形であれ私から離れるだろう事は容易に想像が出来てしまう。
「昔の事を気にして言ってるなら、一言だけ言わせて欲しい。自惚れんな」
私の言葉に、レイは表情を引き締めた。
「あの時私が死んだのは、私がドジを踏んだから。間違ってもレイのせいじゃないし、私は私がしたいように、生きたいように生きた。だから、レイが私の事で自分を責める必要は一切ない。元々、私が好きでしてた事だしね」
レイを助けたのも。
世話を焼いていたのも。
全てが私の意志。
その責任を、私でない他の誰かが背負う必要なんてどこにもない。
「……あんたらしい答えだな」
「こうして転生をしたとしても、私は私だから」
だから、これ以上気に病む必要はないと告げ、私達は笑い合った。
「ところで、メルファ」
「メルでいいよ。ううん、メルの方がいい。今の私はメルファじゃなくて、メル・ミレニアムだから」
「なら、メル。一つ提案があるんだが」
「提案?」
「ガナンに良い仕返しが出来る案が一つあるんだが、」
「なら、それやろう。私もその人には色々と借りがあるし、どうぞどうぞって感じだから」
前世と今世。
両方で、ガナンには私も借りがある。
良い仕返しがあるなら、どうぞどうぞやってくれというのが本音だ。
「ただ、それはメルにも多少影響がある仕返しなんだ」
「私に?」
疑問符が浮かんだ。
私に影響がある、とはどういう事だろうか。
でも、多少くらいならば許容範囲。
ガナンにはちょっとくらい痛い目を見て貰おう。
「別に構わないけど……」
ただ、数時間後。
ここで安請け合いをした事を盛大に後悔する羽目になるとは、この時の私は知る由もなかった。
†
「────ここにいるメル・ミレニアムを、俺の妻として迎える事にした。式は近々挙げる予定にしている。その時は、よろしく頼む」
その日の夜。
お披露目パーティーに集まった貴族諸侯の前で、レイは堂々とそんな宣言をした。
私達の関係はお飾りの婚約者なのだけれど、成る程。怪しまれないようにそこまで演技をするつもりだったのかと、幽霊にでも出くわしたかのような様子で此方を見つめるガナン達の反応に満足しながら私は感心していた。
しかし、偶然目に入った父の様子が、何故か目をぱちくりとさせ、事態が飲み込めないと言わんばかりの様子だった。
それはまるで、「お飾りの婚約者じゃなくて、本気で娘を妻に迎える気ですか……?」と訴えているようであって。
……え。そうなの?
と、レイの方を向いて確認すると、それはそれは良い笑顔を浮かべていた。
屈託のない笑みとはこの事かと思ってしまう程の。
……いやいや、流石に違うよねって私がレイに尋ねようとしたけど、口を開こうとする私の唇に、とん、とレイの指が添えられて遮られる。
そしてまたしても抱き寄せられ、レイの口が私の耳元へと向かう。
(ガナンに仕返しをすると言った際に了承しただろう?)
婚約者ならば、まだ解消の線が残されていたが、妻に迎えると宣言してしまえば、そのダメージは婚約者の比ではない、と。
確かに、私に多少の影響がある仕返しであった。……いやいやいやいやいや!
(それに、あんたが俺が側にいる事を許したんだろうが。生きてるなら、もう後悔なんて懲り懲りだ。今度こそは、俺がちゃんとあんたの側にいて、俺があんたを守る)
その言葉に、少しだけどきりとして胸が跳ねる。周りに聞こえないようにと、耳元で囁くように口にされたという原因もあるんだろうけども、どぎまぎした理由は多分、その言葉が正真正銘の本気で口にされたものだったからだと思う。
「末永く、これからよろしくな、メル」