第56話 現れた人
重い鍵盤の音に混じり、部屋時折ガラス窓が割れる音がこの部屋に響いてくる。
私は黙ってピアノを引き続けた。脳裏によぎるのはこの城で大好きな父と母と幸せに暮らした懐かしい日々。親切な使用人たちに囲まれ、伯爵令嬢として何不自由なく、永遠にこの幸せが続くのだと信じて止まなかったあの頃はもう二度と帰ってくることはない。
お父様…お母様…こんな事になってごめんなさい。この城を守ることが出来ませんでした。大勢の人を殺戮し、この手を血で汚してしまいました。
私は死んでもお2人の元に逝くことは出来ないでしょう。
恐らく私が死んだ後、この魂は地獄に落ちてしまうでしょう。
親不孝な娘をお許しください…。
その時―。
「…ネ様ーっ!!」
何処かで誰かが私の名を叫んでいる気がした。でもきっと気の所為に決まっている。それとも地獄からの死者が私を呼んでいるのだろうか…?
「…ネ様ーっ!フィーネ様っ!何処ですかっ!」
「え?」
はっきり私の名を呼ぶ声が聞こえ、ピアノを弾く手を止めた。
あの声は…?まさか…そんなはずは…。
その時―。
「フィーネ様っ!!お願いですっ!返事をして下さいっ!!」
「そ、そんな馬鹿な…」
その声は私が逃したはずのユリアンの声だった。まさか…こんな燃え盛る炎の中、私を探しに戻ってきたのだろうか?
「フィーネ様ーっ!!うっ!!」
ユリアンの苦しげな声が聞こえた。
「ユリアンッ?!」
席から立ち上がると、広間の扉が勢いよく開かれた。
「フィーネ様っ!!」
「ユ、ユリアン…?」
広間に飛び込んできたユリアンの身体は金色の光に包まれていた。
「フィーネ様…っ!!」
ユリアンは駆け寄ってくると、無言で私を強く抱きしめてきた。
「良かった…。まだ…無事で…本当に…」
ユリアンは泣いているのだろうか?肩を震わせ、私のことを力強く抱きしめてくる。
「ユリアン…な、何故ここに…?それにその光る身体は…?」
するとユリアンはますます私を強く抱きしめてきた。
「そんな話はこの城を出た後にいくらでも聞きます…。早く一緒に逃げましょう!」
「駄目よっ!行ける訳無いでしょうっ?!私はこの城と一緒に死ぬのだからっ!」
「そんなの駄目ですっ!!」
ユリアンは叫んだ。
「ユ、ユリアン…」
するとユリアンは私から少しだけ身体を離し、両頬に触れながら言った。
「死んでは駄目ですっ!!貴女は死んではいけないっ!!」
そしてユリアンは有無を言わさず、私の身体を抱きかかえると口の中で何やら呪文のようなものを唱えた。
途端にユリアンの身体から眩しい光が放たれ、私はそのあまりの眩しさに思わず瞳を閉じた。
次の瞬間…フワリと身体が浮くような感覚に襲われた私はそのまま意識を失った―。