第55話 せめて最期は…
月明りで青白く照らされた城の廊下は血にまみれていた。城の内部はむせかえるような血の匂いが充満し、血だまりの中には無数の骸骨が転がっている。
ピチャッ
ピチャッ…
そんな血の海の中を私は1人、フラフラと歩いていた。目指す場所はかつて父と母の3人で同じ時間を共に過ごしたお気に入りの広間…。そこで私と母は2人で並んでピアノを弾き、父がその音色を楽しんだ…思い出の広間―。
ガチャ…
広間の扉を開けて、中へ入るとその空間だけは何所も荒らされた形跡も無く、惨劇の跡も無かった。
「フフフ…この部屋だけは…醜い血で汚される事は無かったのね…」
私はピアノの前に座り、鍵盤の蓋を開けた。
ポロン…
叔父家族がこの城に乗り込み、私が離れへ追いやられていた間にピアノの調律は狂っていた。ヘルマはピアノが弾けなかったので誰も気にかけてはくれなかったのだ。
「このままでは弾けないわね…」
私は魔力を使って、ピアノの調律を戻すとすぐにピアノを弾き始めた。最初は父が大好きだったピアノ曲。今や誰も聞く人がいない城の中で、ただ1人私はここでピアノを弾き続ける。自分の最期を迎えるその時まで…。
彼等に対する復讐を計画した時から、最期はこの城と共に一緒に燃えて朽ち果てようと決めていたのだ。
いくら直接手を下さなかったとはいえ、私は狼たちを使って数多の人々を残虐に殺してしまった。もはや私のような大罪人は生きていてはいけない。だからここで…この城と運命を共にして死ぬつもりだ。
魔女と化し、このうえない残虐な方法で大量殺人を行った私は父と母のいる神の身許に行く事は絶対出来ないだろう。それならせめて両親と楽しい日々を過ごしたこの城で自分の人生を終わりにしたい。家族3人で幸せな時を過ごしたこの部屋で大好きなピアノを弾きながら…。
父の好きだったピアノを弾き終えた頃には大分城の中に火の手が回って来ていた。窓から城の向かい側の塔が見えるが、既に真っ赤な炎に包まれている。
「後2曲位は弾けるかしら…?」
そして私は次に母が大好きだったピアノ曲を弾き始める。そしてピアノを弾きながらふと思った。
そう言えば…ジークハルトは一度も私のピアノの演奏を聞いたことは無かった。「貴方の為にピアノを演奏したい」といくら私が言っても彼はいつもやんわりと断っていた。今にして思えば魔女の私が弾くピアノの演奏等彼は聴きたくも無かったのだろう。
「フフフ…。ジークハルト様…聴いてくれていますか…?私のピアノの演奏を…。出来れば貴方が生きている間にお聴かせしたかったです…」
バリーンッ!
バリーンッ!
あちこちで炎にまかれ、窓ガラスが割れる音がし始めて来た。…意外に火の手が回るのが早そうだ。
「最後に引く曲は…『葬送』」
私はポツリと呟いた。これは…この城で死んで逝った人々へ贈る曲であり…この城で最期を迎える自分に向けた曲でもある。
私は深呼吸すると、恐らく最後の演奏曲である『葬送』を弾き始めた―。