「J」地面に突っ伏したいくらい
お題「ジェラシー・嫉妬」
ひろし視点
いつもの塾帰り。楽しみなはずのこの時間は、重苦しい憂鬱な時間に成り果てていた。
理由は明白。押し黙った俺のせいだ。先程から話しかけてくれるゆいこにも、曖昧な返事しか返すことができない。
しかもこんなときに限ってたくみは居ない。ムードメーカーのあいつがいれば、もう少し空気も変わったのに。
これもついさっき小耳に挟んでしまった、ゆいことその友人の会話のせいだ。
思わず拾ってしまった単語が、さっきから俺の胸の奥をざわめかせている。口を開けば嫌な受け答えしかできない気がして、俺は黙ることしかできないでいた。
「あっ、あのね、ひろし?」
おそるおそる、ゆいこが俺の名前を呼ぶ。はっとして振り返ると、不安そうな顔でこちらを見つめるゆいこがいた。
「あの……なにかあった?」
風が、ふわりとゆいこの髪の毛をさらっていく。右手が、何かを決意したように胸元で固く握られている。
「私じゃ頼りないかもしれないけど、話してくれない、かなって」
「……べつに、何も」
真っ直ぐな瞳を直視できなくて、俺は目をそらした。
「それとも……私ひろしに何かしちゃった?」
「何も、ないよ」
「嘘!」
なぜだか泣きそうな声に、俺はびくりと肩を震わせた。
「だって……今のひろし、怖いもん」
その声が、あまりにも消え入りそうで、俺は唇を噛んだ。
怖がらせるつもりはなかった。これから吐き出す言葉の方がゆいこを怖がらせそうで、それが俺は怖いんだ。意を決して俺は口を開いた。
せめて少しでも、どす黒い気持ちを悟られないように。
「ゆいこ、彼氏、できたの?」
「……どうして?」
「さっき、聞こえた。"ゆうくん"って」
塾終わりのざわめきの中、聞こえた会話。同級生の女の子と話しながら彼女は「ゆうくん」を話題にあげていた。
「凛々しくて、スマートで、かっこいいんだよー!」
楽しそうに。そして、少しはにかみながら。
俺の知らない名前を口にした、ただそれだけだというのに、胸の奥が掴まれたように苦しい。
ゆいこは顔を赤くして、恥ずかしそうに小さくもにょもにょと言っていたが、俺を見上げると困ったように口を開いた。
「ひろしって、犬派だったっけ?」
聞かれた意味がわからずぽかんとしていると、ゆいこがスマホを操作して俺に画面を突きだした。
「ゆうくん、この子」
画面には、きりっと凛々しい顔をして、どこかキメ顔の、
黒い犬。
「えっとね、近所の人が飼ってて、この前脱走しそうになってたとこを、たまたま私のほうに向かってきたのを捕まえてね、捕まえたって言うか、すごく人懐こくて撫でてただけなんだけど……ひろし?」
"彼"との馴れ初めを聞きながら、自然と足の力が抜けてしゃがみこんだ。たぶん、さっきのゆいこより顔が赤い。
穴があったら入りたい。いやむしろ掘ってもぐりこみたい。
俺は、犬に嫉妬していたのか。
顔が上げられない俺の後頭部に、ゆいこの指先が滑る感触。
「心配、してくれたんだよね? ありがと」
まだ熱さのの残る頬のまま、ゆいこを見上げる。その顔は、はにかむように微笑んでいた。
その誤解を肯定も否定もできなくて、また目をそらす。
――俺は、ゆいこが思うほど大人じゃないよ。
胸のなかで呟いて、なんだかくすぐったい後ろ髪をくしゃりと握りしめた。
たくみは猫派、ひろしは犬派(妄想)