ビールと枝豆
本日2回目の更新です。
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──ビールと枝豆
結構な額の買い物となったが、久隆の財布はさして痛んでいない。
だが、非常用発電機と買った植物の苗と肥料、そして鉢をダンジョンに持ち込むのは明日以降ということになった。今日はもう遅いし、明日にはダンジョン内の魔物が再構成される。下手に日付を跨ぐようなことになり、魔物のいるダンジョンに閉じ込められるのはあまり好ましいとは言えない。
何事も慎重に。生き残りたければ英雄になろうとするより、臆病者であるべきだ。英雄は死ぬことで途中退場するが、臆病者は最後まで生き残って任務をやりとげる。軍にとっては英雄よりも臆病者の方が望ましいのだ。
「よう、久隆。また随分と散財してきたな」
「必要なものだ」
「非常用発電機が?」
「ダンジョン内で植物を育てると魔力を宿すらしい」
「マジかよ。それを食ったら俺たちも魔法が使えるんじゃないか?」
「んなわけあるか」
朱門はいつの間にかカップ麺でまた夕食を済ませており、ビールを飲みながら久隆たちの帰りを出迎えた。
「一本どうだ? 今日も暑いだろう?」
「全くだ。ナノマシンによる大気洗浄は本当に上手くいっているんだろうか」
温室効果ガス削減のために地上では化石燃料の使用がほぼ止まり、大気中の二酸化炭素などの温室効果ガスを別の化学物質に置き換えるナノマシンが大気中に放出され始めて、今年で10年目になる。
北極の氷の減少は止まり、異常気象も減ってきたが、まだまだ夏は暑い。昔よりずっと暑い。これがかつてのようになるのはいつのことだろうかと思われる。
「暑い日はビールに限る。枝豆もあるぞ」
「まさか自分で茹でたのか?」
「天変地異が起きたみたいに言うな。俺だって枝豆ぐらい茹でられる。失礼な奴だな」
むっとした様子で朱門が告げる。
「自炊はしないと断言していたからな」
「酒の肴は別だ。ここにはコンビニもないし、スーパーの総菜ってのも侘しい。そしたら枝豆が偉く安く売っててな。こいつはいいと思ったんだ。患者ももう安静にしているだけで、状況が急変する様子もないし、こんな田舎じゃ酒飲んで過ごすことぐらいしか楽しみないだろ?」
「他にも酒の肴を作るのか?」
「ああ。アヒージョと湯豆腐かな。基本的に何かを鍋にぶち込んで煮込むだけの奴だ。揚げ物やらはしない。できない。片づけが面倒だし、俺はそういう訓練は受けてない」
「そりゃ軍隊でつまみの作り方は教えんだろうさ」
久隆は今日はもう車を出す必要性はないことを確認すると朱門からビールを受け取り、ぐびぐびと飲み干していった。
「やっぱり夏はビール、か」
「だろ?」
久隆は一息つくと、レヴィアたちの方を見た。
レヴィアたちは買ってきた衣類を部屋に運んでいる。これから早速着替えるのだろうか? 風呂に入ってからの方がいいと思うのだが、と久隆は思った。
「しかし、年頃の娘がいい年のおっさんとひとつ屋根の下、か」
「フルフルとマルコシアは酒が飲める年齢らしい」
「本当か? フランスみたいにアルコール規制が緩いだけじゃないのか?」
「かもしれん。どう見ても、あれは15か16歳だ」
久隆はダイニングに進み、席に座ると朱門の茹でた枝豆を口にした。
「しかし、いつまで面倒を見るんだ?」
「ダンジョンごと元の世界に戻るまでだ」
「ダンジョンってのは地下に伸びているんだよな。何階層ほどなんだ?」
「最低でも25階層」
「広さは?」
「相当広い。国防大学校のグラウンドほどだ。それも入り組んでいる」
「ふうむ」
朱門が枝豆をつまみながら考える。
「そこまで面倒を見てやる必要はあるのか? それは確かにあの子供たちを見れば、見捨てられないのは分かるが、ダンジョンの中には魔物がいて、命の危険もあるんだろう? わざわざ非常用発電機まで購入してまで助けるのか?」
「そうだな。確かに客観的に見れば俺の行動はおかしいかもしれない。警察に一言通報すれば、問題は俺の手を離れ、軍が裏山を買い取って、ダンジョンを征服するだろう」
「何故そうしない?」
朱門はビールのプルを開けてそう尋ねる。
「俺がまだ軍人であろうとしているからだろうな。エゴだよ。完全なエゴだ。俺は自分の欲求を満たすためにあの子たちを救おうとしている。軍人であるならばこうするという判断で行動している。俺にとってはあのダンジョンこそが、東南アジアに代わる戦場ということなんだ」
久隆はそう告げてビールを飲み干し、缶を潰した。
「戦場にそこまで惹かれるのか? 俺には理解できない。戦場はクソッタレだ。理不尽を煮詰めたような場所だ。もう一度中央アジアに行けと言われたら、俺はアメリカに亡命する。戦場など二度とごめんだ」
「それが正常な精神なんだろうな。だが、俺は戦場に望郷に似た感覚を覚えている。あそこでは必要とされた。あそこにはやるべきことがあった。あそこには仲間がいた。今はもう何もない。何もないんだ」
喪失感。戦友たちがどうして自殺したのかを説明するもの。
平和な日本で退役軍人は異物だ。社会から必要とされず、社会的リソースを蝕むだけの厄介者だ。確かに傷病除隊した軍人に対する手当てを減らして、他のことに使おうと提案した議員が世論に叩かれて、選挙で落選した。しかし、それでも傷病退役した軍人が、平和な日本に馴染めないのは社会が彼らを求めていないからだ。
普通に退役したり、引き抜かれたりすればクソッタレな民間軍事企業で第二の人生を送れただろう。だが、久隆たちは傷病除隊したのだ。軍務に適さないとして軍から蹴り出されたのだ。そんな人材を民間軍事企業は求めない。
社会から必要とされず、仲間もいないという人生は虚しいものだ。
「そういうものか。軍人というのは俺が言うのも何だが、窮屈な考えをしているよな。ないなら作ればいい。新しい人生を始めるには決して遅くはない。こんな田舎で腐っているよりも、もっと創造的なことをすればいい。小説を書くとか、絵を描くとか、3Dモデルを作ってみるとか。社会に認められるまでやってみればいいじゃないか」
「俺は20代で軍人になって、10年以上海軍の軍人だったんだぞ。今さら何ができる。俺にできるのは戦争だけだ。他にできることなどない」
「そう決めつけているだけだ。試したのか? 他のことに挑戦することを?」
「……いいや。だが、やらなくても分かる。俺は軍人だった。軍人は軍人としてしか生き続けられないんだ。応用は利かない」
「お前の頑固さは本当に軍人だよ。それも海軍の軍人だ。第二の人生ってのがそんなに受け入れられないかね? 楽しいものだぞ。軍上層部から支離滅裂な命令を受けることがない人生ってのは」
「お前は本当に人生を楽しむコツを知ってるよ、朱門。尊敬すらする」
久隆はそう告げて枝豆をつまんだ。
「俺の人生はなんだったんだろうかと時々思うよ。俺はずっと海軍でキャリアを築いていくつもりだったんだ。将官になれるかどうかは分からなかったが、キャリア組ではあった。それがどかん、だ。何もかも失った。不用品のラベルを貼られてお払い箱だ」
久隆はため息をつきながら続ける。
「この国は平和すぎる。温度差が酷いんだ。東南アジアの地獄の後で、この日本で暮らすというのは気が狂いそうになった」
「俺も一時期は酒浸りだった。陸軍は海軍より温情がない。カウンセリングもナノマシン治療もなしで精神的傷病除隊の軍人を放り出す。俺は自棄になっていた。だからこそ、マフィアの申し出を受けたんだろう」
朱門が告げる。
「第二の人生ってのはどういう風にやってくるか分からないが、自分から踏み出そうとしない限り永遠に訪れない。軍隊と同じだ。求めるなら挑戦しろ。勝利のためには攻撃しろ。主導権を握り続けろ。人生も戦争も同じだ」
「そうなんだろうな」
久隆は頷き、もう1缶だけビールを空けた。
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