地上世界と魔族
本日1回目の更新です。
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──地上世界と魔族
「おおい。朱門、患者の調子はどうだ?」
「帰ってきたか。安定しているし、回復傾向にある。患者に食わせるのにレトルトのかゆを使わせてもらったがよかったか?」
「ああ。必要なら買いだめておく。これからまた疲労した連中を拾ってくることになりそうだからな」
朱門がリビングでタブレット端末で読書をしてると久隆が声をかけた。
「やはり、3、4日はかかりそうか?」
「そうだな。傷が塞がってもすぐに動くわけにはいかん。暫くは安静だ。疲労も取れていないし、医者としては3、4日は安静にしておいてもらいたい」
「ふうむ。まあ、その前に戦闘は片付きそうだから安心だな」
残り2日で1階層から4階層の魔物が復活する。その次の日は5階層から9階層。
纏めて片付けようと久隆は考えているので4日間、しっかりと休養を取ってもらってから、彼らを動かすことに異論はなかった。
流石に負傷者にすぐに戦えというほどの状況ではない。
「ところでファミレスに行くんだが、晩飯はもう食ったか?」
「食った。カップ麺を買ってきた」
「相変わらず料理はしないのか?」
「しないね。まして、他人の台所ではな」
日本陸軍は日本海軍と違って食事を作る専門の部署は存在しない。兵士たちが当番制で食事を作ることになっている。被災者にカレーや豚汁を振る舞っている日本陸軍の兵士を見たことは少なからず誰にでもあるだろう。
対する海軍は調理専門の部署が存在し、艦艇ごとに違うカレーを出すことで有名だ。海軍カレーと銘打ったカレーが販売されているのを軍港のある街で見かけた方もいることだろう。海軍カレーはお土産の品にもなっている。
このような差が生まれた理由は戦場との距離だと思われる。
海軍は数十キロ先の軍艦に向けて対艦ミサイルを叩き込み、成層圏の弾道ミサイルを叩き落とし、遥か内陸部に向けて巡航ミサイルを発射する。海軍特別陸戦隊でもない限り、海軍と戦場との距離は空軍のパイロットが地上に爆弾を落とす程度には遠い。
だからこそ、余裕があると言えば余裕がある。
対する陸軍は戦場との距離は物凄く近い。軍用ナイフの届く距離。ライフル弾の届く距離。砲弾の届く距離。歩兵たちも砲兵たちも航空兵たちも戦場との距離は極めて近い。戦場は基地から出ればすぐなどという環境にある。
彼らには余裕はない。調理専門の兵士など養っている余裕はない。
もっとも今の陸軍の海外派遣部隊は民間軍事企業の力を借りている。民間軍事企業と一口に言っても様々な専門性を持った会社が存在する。ある民間軍事企業は航空機の整備を行い、ある民間軍事企業は軍隊の機動力を支える航空機や輸送機を運用する。そして、民間軍事企業のひとつには兵士たちに食事を提供するものがあった。
それでも日本国内の陸軍は自己完結性を重視しており、自分たちでやれることは自分たちでやる。もっとも佐官の軍医がそのような仕事に動員されることは滅多にないものの。それでも陸軍で十数年暮らしていた以上、それなりの家事ができることは当然のように思われていた。
だが、朱門は自炊はしないと断言して憚らない。
コンビニ弁当。レトルト食品。カップ麺。
医者の不養生とは言ったものだが、いざとなれば体内循環型ナノマシン治療を受けられるだけの金を持っている朱門は仕事以外のところでは手を抜くのだろう。
「しかし、その娘っ子たちを連れてファミレスか? 騒動になるんじゃないか?」
「それが以前ショッピングモールとラーメン屋に入った時には何の反応もなかった」
「正常性バイアスか。なんとも日本人は。空気の文化って奴だな」
場の空気。それが日本では意志決定に関わることがある。
旧帝国海軍の大和特攻も『場の空気』というものが原因だったし、東南アジアに日本海空軍を派遣するという決定をした官邸も『場の空気』だったと言われている。空気による意志決定というのは科学的な根拠もそれ相応の理屈もないため、外部から見るとどうしてこんなことをしたのだろうかと誰もが不思議がる。
そして、今も日本人は空気を重視している。
改正個人情報保護法の法律の制定もあっただろうが、レヴィアたちを見て、誰も騒いでいないのだから、自分だけが騒ぐのは空気が読めていないと思うのだ。ラーメン屋の店員からショッピングモールのレジ係まで全てがそういう空気に支配されていた。
「それじゃあ、引き続き患者のことを頼むぞ」
「任せとけ」
朱門は手を振って、久隆たちを見送った。
「じゃあ、乗ってくれ」
「な、なんですか、これ? 巨大な虫?」
初めての自動車を前にマルコシアが首を傾げる。
「この世界の乗り物ですよ。私も最初は驚きましたが、とても乗り心地がいいのです」
「へー。これが乗り物なんだ。変なの」
フルフルは異世界における先輩として張りきっているように見えた。
「晩飯はファミレスだ。言っておくがここで魔法を使ったりするなよ?」
「了解」
「それからシートベルト。フルフル、付け方教えてやれ」
「しーとべると?」
マルコシアが首を傾げる。
「このベルトのことです。どういうわけかこれをつけなければならないのです」
「道交法で決まっているんだよ。法律だ。そして、搭乗者の安全を守るためでもある」
久隆はフルフルたちがシートベルトをつけたのを確認すると、自動車を出した。
「おお。走ってる、走ってる! なんで!? それも揺れないし!」
「きっと宙に浮いているのですよ」
だから、それはない、と久隆は内心で思った。最新の電気自動車のモーターやサスペンションについて説明するのが面倒なので勘違いさせたままにしておいたが。
「ところで、フルフル。ふぁみれすって何?」
「え、えーっと。私も知らないです……。けど、この世界の食べ物は美味しいのですよ。魔族だからと言って店から摘まみだされたりもしませんし、この前はラーメンという料理を食べましたが、こってりとした味わいが美味しいものでした」
「そうなんだ! あたしもあの持ってきてもらった食料美味しかったよ。保存食って言えば干し肉に固く焼いたパン、ドライフルーツ、ナッツの類だろうけど、あの食料は普段の食事より美味しいぐらいだったなあ。私は五目御飯ってものを食べたけど、あれは美味しかったー」
「この世界の人間は美食を追求しているようです。興味深いですね」
フルフルもマルコシアが相手だと人間嫌いを隠すらしい。というよりも、人間嫌いというのは人間への恐怖心から来るもので、友達がいれば怖くないから冷静に人間のことを見れるということかもしれない。
「フルフル。調子いいみたいだな」
「ま、ま、まあ、そうですね。人間も評価ができるところがあるとは思いますよ。食事に関してぐらいですけれど」
やはり久隆のことはまだ苦手なのか、言葉が乱れる。
「楽しみだね、フルフル」
「そうですね、マルコシア」
ふたりはとてもいい友人のようだ。
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