ワイバーン撃破の知らせ
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──ワイバーン撃破の知らせ
久隆たちはアガレスたちが拠点を構える70階層まで戻ってきた。
「ワイバーンは死んだ。拠点を80階層に移せるぞ」
「おお。負傷者は?」
「幸いにして回復魔法の世話になることはなかった」
「それは何よりだ」
しかし、とアガレスが唸る。
「何もかも久隆殿たちに任せきりで申し訳ない。本来ならば我々が解決しなければいけない問題だというのに、久隆殿には迷惑をかけている」
「いや。気にしないでくれ。こっちがやっている勝手なお世話だ。それに敷地的には俺も無関係とは言えない。ダンジョンがある山の所有者ともなると固定資産税がどういうことになるのか分からないからな」
久隆はアガレスが深刻そうな表情しているのを見取ってそう告げた。
アガレスが思っていることは久隆にも分かる。
このダンジョンに閉じ込めらている原因は魔族たちの側──というよりも、ヴェンディダードのある世界の側にあるのは明らかだ。久隆がダンジョンを召喚したわけではないし、日本国政府の仕業でもない。
もっとも適切なのは彼らが彼らの手でダンジョンコアを手にし、元の世界に戻ることだ。少なくともべリアはその義務を果たそうとしている。
だが、アガレスたちにも限度というものがある。
ここまで孤立した状況で、増援も補給もなく、地下に潜り続けるなど自殺行為だ。兵站が途絶えた時点で軍として戦闘力は大幅に低下したと判断するべきである。それでもなお義務を果たすというのならば人間としては感心するものの、軍人としては愚かであると判断するしかない。
確かに久隆にはダンジョンを放置するか、国に通報して国に任せるというてもあった。だが、いずれにせよ碌な結果にならないのは目に見えている。人道的な見地からして、久隆が支援するのが適切だと思われた。
アガレスとしては支援はありがたいだろうが、久隆が主体となってダンジョンの深層への道を切り開いている現状には苦しいものがあるだろう。自分たちを兵站的に支援してくれてる人間が、ダンジョンの中でもっとも危険な任務に当たっているのだから。
久隆がアガレスの立場だったとしたら、なんとしても自分たちも力になり、一方的な借りを作らないようにするだろう。アガレスも同じ気持ちだろうが、残念ながらアガレスが連れてきた部隊は後方の兵站線確保に回されている。
「また偵察を頼みたい。俺たちにはできない仕事だ」
「任せてくれ。詳細な情報を渡せるように準備しておこう」
久隆はアガレスの軍人としてのプライドを守るためにも、彼らができることを提示する。偵察はレラジェのような専門の装備を持っている部隊にしかできないことだ。
軍事作戦にプライドなど持ち込むべきではないが、軍事作戦とて人間の営みだ。人間同士が関わる以上、そこには個人的な感情が生まれるのはやむを得ない。
円滑な作戦遂行を求めるならば人的トラブルは避けろ。そういうものだ。
味方同士で戦功を争っていられるほど、今は余裕があるわけではない。アガレスたちにはアガレスたちにしかできないことをしてもらい、久隆たちが引き続きべリアたちを追いかけるべきなのである。
久隆は少なくともステータス上はここにいる魔族たちの中でもっとも優れている。久隆はステータスをいまいち意識していないが、人工筋肉の出力が上がり続けているのは把握している。
そして、何より久隆は他の魔族にはない豊富な経験というものがある。それは民間軍事企業が金を払ってでも欲しがるものだ。実戦を何度も潜り抜け、鍛えられた能力は何ものにも代えがたい。
もちろん、久隆だけではやれることは限られる。
仲間との連携も必要だ。レヴィアとマルコシアの魔法攻撃、フルフルの付呪、フォルネウスの近接戦闘と魔法剣、サクラの遠距離狙撃。それらを組み合わせて指揮することによって戦力は大幅に増加する。
そして、この6名による編成こそ、このダンジョンを攻略するために相応しい編成であった。少なくとも未知のエリアに突入し、エリアボスを殴り倒し、道を切り開くのは久隆たちがもっとも適している。
結局のところ、久隆はベテランの前線指揮官であるし、ベテランの兵士であるのだ。
魔族たちは新米少尉が2名という悲惨な有様でダンジョンにやってきた。彼らはこんなことになるとは思ってもみなかったのだからしょうがない。
アガレスは前線指揮官というより、後方の将軍たちだ。前線指揮もできるかもしれないが、ここでアガレスを失い、魔族たちが混乱状態になるのは決して望ましくない。
「偵察の報告はまた3日ほどとして、補給は十分か?」
「ああ。ありがたいことに今は誰も飢えていない。万全な状態で戦える。久隆殿のおかげだ。報酬を支払いたいのは山々なのだが、いかんせん我々は本国から切り離されているのでな……」
「大丈夫だ。ダンジョンで得たものを換金している」
久隆は朱門への報酬──怪我や病気の人間がいなくとも、人工筋肉に異常がないかを常に確かめてもらっている──にはダンジョンの富を使っているが、魔族たちへの補給には朱門から受け取った換金された金を使っていない。
マフィアがマネーロンダリングした金だ。下手に使ってどこで足がつくか分からない。今は下手に国の注意を引きたくなかった。
朱門自体がリスクのようなものなのだ。朱門は警察にはマークされていないと言っているが、彼はID偽装をしていることを久隆は知っている。ID偽装をしなければいけない後ろ暗いことがあるのは間違いない。
ID偽装は重罪だ。だが、一部では平然と行われている行為でもある。
というのも、日本でIDを管理している警察庁と日本情報軍、そして情報セキュリティー企業の3つの組織はあくまで国内の人間のID管理を行っている。顔認証、網膜認証、指紋認証などIDを照合する方法は様々だが、それには基になるデータが必要だ。
国外からの観光客や就労者のID管理を行っている法務省入国管理局では、IDデータをその国の政府系データベースから取り寄せる。
その際に偽装が行われるのだ。
朱門が使っているのは中国人のIDだ。あのアジアの戦争が起きるまで中国のID管理は徹底されており、日本より数段上の国民管理システムを構築していた。
だが、戦争が起き、IDを管理していたサーバーが物理的、電子的に破壊されたことにより、個人情報の多くが失われた。中国の政府系データベースは大混乱に陥った。
戦後になって、再構築が始まったが、その際にIDの売買が中華系マフィアによって行われた。農村部の人間やテロの嵐が吹き荒れた内陸部の人間のID情報を書き換えて、他人に売買するという電子的人身売買が行われたのだ。
朱門もそれでIDを買った口である。朱門は日本に永住権のある3人の中国人のIDを使い分け、警察や日本情報軍の追跡を逃れていた。
そんな人間が何も後ろめたいことはないといっても信頼できるはずがない。
朱門は必要なリスクであるとして、彼のもたらす金銭は不必要なリスクだ。
どこで警察や日本情報軍が監視しているか分からないのに、迂闊な真似をするべきではない。久隆はそう考えていた。
だが、それを正直に話してアガレスたちを委縮させる必要もなかった。
彼らには無駄な責任を背負わせたくはない。
「それでは拠点を80階層に移そう。前に話したようにここにも魔族を残す。彼らには引き続き、上層までの兵站線を確保してもらう。70階層から80階層の通路はまた別の部隊が確保していく」
「賢明な判断だ。支持する」
久隆はそう告げてアガレスの下を去った。
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