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英雄症候群

本日2回目の更新です。

……………………


 ──英雄症候群



 久隆は工具箱を取って、また車に乗り込む。


 あの年寄りの家は結構老朽化していたはずだ。だが、老い先短いせいか、近々ホームにでも入る予定なのか、リフォームをする様子はない。


 久隆も自分が年寄りになったら記憶が覚束なくなり、手足が上手く動かず、トイレの世話まで他人にしてもらわなければいけないだろうかと思った。そうなることは最悪だが、ぽっくりと死ぬことでもない限り、そういう運命にあるのだ。


 ナノマシンは不老不死の人間を作り出す技術じゃない。老化を先延ばしにするだけの技術だ。それ以上のことをナノマシンに求めてもしょうがない。


 完全に介護士の世話になるのはまだかなり先の話だろう。だが、老化は確実に訪れる。避けようがない。しかし、田舎の年寄りたちを見るたびに久隆は年を取りたくないと思うのだ。老いていく彼らを見ると年を取りたくなくなる。


 戦場で死ねばよかったと思うことすらある。そうすれば英雄として死ねた。


 久隆はそこで小さく笑った。俺はきっと海軍時代のことをずっと自慢話にして何度も何度も聞かせて人をうんざりさせる年寄りになるに違いない、と。


 久隆は自分は英雄になりたかったのだろうかと思う。


 居場所は欲しかった。仲間も欲しかった。だから、戦場が欲しかった。


 だが、英雄にはなりたかったのだろうか?


 久隆は部下を英雄にさせることがないようにしていた。自分自身も英雄になることはないようにしていた。英雄とは死んで完成する。生きている人間は英雄にはなれない。生きている人間は生きている限り、常に英雄の名を汚す可能性がある。


 だが、平和の中で年老いて、他人の世話になりながら死ぬよりは、戦場で愚かに英雄として死ぬ方がいい気がする。


 久隆は英雄にはなるなと部下には言ってきた。自分にも言い聞かせてきた。


 だが、平和の中で鈍化した生活を送るうちに、年老いて、衰えて、自分がかつての自分ではなくなっていくことが怖くなってきた。


 どうせこんなことになるならば英雄として死ねばよかったと久隆は思う。


 しかし、自分が英雄として死ぬことで他の人間に迷惑がかかることは望ましくなかった。久隆は部隊の指揮官で頭脳だった。自分が死ぬということは指揮系統に影響が生じることを意味していた。


 ハリウッド映画の世界じゃないのだ。英雄的に主人公が死んで、みんなハッピーエンドなんてのは映画だけだ。実際は混乱が生じるし、主人公が英雄として死ぬことで、他の人間まで巻き添えになる可能性もある。


 軍隊とは基本的にある程度の損害を負うまで機能するようにできている。指揮官が死んでも代わりが動き、指揮を引き継いで行動を続ける。機関銃の射手も代わる。兵員が死に絶えるまで代わりが生まれる。


 軍隊は3割の損害で行動不能になるというが、それは前線部隊と後方部隊の割合の問題でもある。現在の軍隊は指揮通信部隊や、兵站部隊などの後方支援部隊の割合が大きい。純粋な戦力としての軍隊は3割程度の損害で行動不能にはならない。そんなことで行動不能になっていれば、硫黄島も、沖縄ももっとあっさりと陥落していた。


 もちろん、それは兵士たちが損害を恐れなければの話だ。


 狂信的な戦意がある軍隊ならともかく、まともな軍隊は損害が出れば負傷した兵士を戦線から離脱させるために友軍が負傷者を離脱させるのに兵力を割く。1名が負傷すれば2名の兵士が手を取られるだろう。だから、狙撃手も地雷も相手を即死させないのだ。負傷させて、助かると思わせることで相手の兵力を前線から遠ざける。


 それに味方がバタバタとやられているのに戦意を維持してられるのは難しい。隣で戦友が死に続けているのに、機械的に戦闘を継続出来たら大したものだ。この場合、損害がまだ1割だろうと指揮官は作戦行動を断念するかもしれない。


 陸戦の損害と作戦行動不能の関係には諸説諸々あるが、時代と兵科と作戦に応じて変化するので一概には言えないだろう。


 しかし、いくら代わりが用意されている軍隊であっても、指揮官がいきなり戦死すれば混乱は生じる。だから、ベトナム戦争中のアメリカ軍は作戦行動中に階級章を外すということを決めたのだ。堂々と指揮官が着飾って見せる時代はとっくに終わった。


 だから、久隆は英雄になるわけにはいかなかった。部下も生き延びさせ、自分も生き延びなければ、損害は自分だけでは済まない。


 だが、今は英雄として死ぬことに憧れている。


 この田舎で腐って死んでいくよりも、戦場で輝きを伴って英雄になりたかった。


 そこまで考えて久隆は首を振った。


 馬鹿げている。今さら英雄になりたがるなど。子供じゃないんだ。現実を見ろ。年老いていくのは、衰えていくのは仕方ないことだ。それは人間が人間である限り逃れようがない。少なくともナノマシンのおかげで平均寿命は90歳を超えているではないか。それだけの技術力の恩恵が受けられる社会で、それでもなお文句をいうのはわがままだ。


 久隆はそう思いながら件の年寄りの家を訪れた。


 子供の声がするのに久隆がびくっと身構えた。


「ああ。球磨さん。もう来てくれたのかい?」


 玄関で年寄りが久隆を出迎えた。


「なるべく早い方がいいでしょう。水道が不調なのは生活に関わりますから」


「ありがとう、球磨さん。この村はもう若い人がほとんどおらんからね」


 この村の中で一番若いのは久隆だろう。


 もはや青年団も組織できない。消防団の業務はアウトソーシングされている。


 何でもかんでもアウトソーシングする時代だ。珍しくもない。新宿区は新宿駅爆破事件ののちに警察を信頼しなくなり、民間警備企業という名の民間軍事企業(PMC)に重要施設の警備を任せるようになった。元日本陸軍の兵士が自動小銃を持って、新宿の駅やオフィスビルの警備をしている。


 そして、また子供の声がする。


「お孫さんがお戻りですか?」


「そうなの。この時期は賑やかでいいよね。孫と一緒にゲームするのが楽しみなのよ」


 年寄りはニコニコした笑顔でそう告げた。


「それは何より」


 畜生。こんな田舎に逃げても子供からは逃げられないわけかと久隆は思う。


「じゃあ、水道管の方、見てみますね」


「よろしくね、球磨さん」


 久隆の海軍での最初のキャリアは汎用駆逐艦での仕事だけあってこの手の仕事は無理なく行える。汎用駆逐艦勤務のときは応急処置訓練などの訓練で腕を磨いてきた。


 だが、今の最新の艦艇はダメコン要員すら無人化されているという。冷戦時代の構想であったアーセナルシップはネットワーク中心の戦いの中で現実のものとなり、大量の艦対空ミサイルや巡航ミサイルを搭載した艦艇では、乗組員は20名足らずだ。それでもダメコンなどの業務に支障はないというのだから驚きだ。


 軍は人間に頼らない方法でその軍備を少しずつ拡張している。これも軍学複合体の恩恵というべきか。


 久隆は手慣れた仕草で以前にも破損していた箇所を確認すると案の定、同じ場所が破損していた。もう古いのでいくら修繕しても壊れる運命にあるのだ。問題を解決するには全てをリフォームするしかない。


 だが、ここの年寄りがこの家に住み続けるのも後何年のことか。介護が必要になり、ホームで暮らすようになればこの家は無人になるだろう。


 それからは取り壊されるだけだ。


「破損した個所、一応直しておきました。まだ不調なら専門の業者に頼んでください」


「ああ。ありがとね、球磨さん。本当に助かるよ」


 畜生。俺の人生はまだ軌道修正が利くだろうかと久隆は思った。


……………………

本日の更新はこれで終了です。


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