71.父と母の願いなら
「選ばれたのが君で良かった」
サタグレアは優しく微笑む。
亡き父の姿と重なって、心に響く。
滅相もない。
俺のほうこそ、貴方に選ばれたことを誇りに思う。
今まで俺を助けてくれて……ありがとう。
サタグレアの身体が光り出す。
淡く光る粒子になって、ゆっくりと崩れていく。
「父上!」
「ああ、すまない。そろそろ時間のようだ」
彼がそう言うと、空間そのものが振動し、崩壊を始めた。
ルリアナが彼の身体を掴んで叫ぶ。
「嫌じゃ……嫌じゃ父上。せっかくまた会えたのに……もうお別れなのか?」
「……ああ」
サタグレアはルリアナの頭を撫でながら言う。
その微笑みは切なく、悲しそうに見えた。
「本当のことを言うとね? お前に会うつもりは……なかったんだよ」
「え?」
「この本の解除に必要なのは、私の力を受け継いだ彼だけだ。この機会は元々、彼に全てを伝えるために用意したものだから」
「父上は……妾に会いたくなかったのか?」
「会いたかったさ。娘に会いたくない父親がどこにいる? でも……でもね? 会えばどうしたって、後悔が膨れ上がってしまうから」
サタグレアの瞳から、涙がこぼれ落ちる。
ずっと笑顔を保ち続けていた彼は、最初から我慢していたんだ。
最愛の娘ともう一度会えたことを、心から喜びたかった。
残された時間の短さを理解していて、感動に浸りたい気持ちを押し殺し、俺に真実を伝えてくれた。
そんな彼の涙を見てしまったら、俺まで涙ぐんでしまう。
「ごめん、ごめんねルリアナ。お前を一人にしてしまって、ちゃんと傍にいてあげられなくて」
一度零れてしまったら、滝のように感情が流れ落ちる。
もう、彼自身も抑えられない程に。
「ずっと一緒にいたかった。お前が大きくなるまで、傍で見届けてあげたかった」
「父上ぇ……ちちうえ」
「ごめん、ごめん……そんなことすら出来ない私が、今さら父親面するなんておこがましいとわかっている。それでも最後に言わせてほしい」
ルリアナが顔をあげる。
互いの目が合い、サタグレアは精一杯の笑顔で言う。
「どうか、幸せになってくれ。復讐ばかりに囚われないで、お前自身の幸せを掴むために生きてくれ。それが私の……いいや、私たちの願いなんだ」
私たち――父と母。
おぼろげだった母親の笑顔が、父の笑顔の隣に映る。
ルリアナの涙は、さっきよりも大きくなって流れ落ちる。
言葉はなく、涙を拭うように、父親の胸に顔を当てる。
サタグレアも、娘の存在を噛みしめるように、彼女を抱きしめていた。
身体はすでに、半分が消滅していた。
「エイト」
「はい」
「こうして、君たちが二人で私の前に来てくれた時、私は確信したんだ。人間と悪魔は共に歩くことが出来ると。だから頼む。私とアリシアの……世界中の者たちが願う未来を、掴んでくれ」
「はん……はい! 必ず証明してみせます。あなたの選択が間違いじゃなかったことを、貴方の力で世界に示します」
俺の瞳から流れる涙も、気づけば止まらなくなっていた。
「ありがとう。それと、娘のことも――」
頼む。
そう、最後に聞こえた気がした。
淡い光に包まれて、真っ白な世界は消えていく。
優しい笑顔と共に。
眩しさに目を瞑る。
次に目を開けた時、俺とルリアナは本の前に立っていた。
本棚に囲まれた魔王だけが入れる部屋。
魔王の娘であるルリアナと、先代魔王の力を宿した俺。
二人とも、涙で前が見えなかった。
しばらく俺たちは、じっとその場で立ち尽くしていた。
涙が止まるまで待っていたとも言える。
服の裾で涙を拭い、受け取った言葉を思い返す。
「ルリアナ」
「……言わんでもわかっておるのじゃ」
「……一緒に戦おう」
「言わんで良いと言ったぞ」
「うん。でも、ちゃんと言いたかったんだ」
彼女も同じように服の裾で涙を拭う。
俺よりもたくさん泣いたから、目の周りが真っ赤だ。
「それで答えは?」
「戦うに決まっておるじゃろ」
「そう。いいのかい?」
「当たり前じゃ。父上からのお願いじゃぞ? 無下にするような妾ではないのじゃ」
「うん……そうだね。俺も恩返しをしなきゃ」






