36.幼い日の記憶
二階部分が倒壊した家を見つめるレナさん。
ここに住んでいたと口にした。
「もしかして……レナさんは」
「違うわよ」
「えっ」
「魔王軍がここを滅ぼしたのは一年前でしょ? その頃にはもう、私はここにいなかったわ」
滅んだ街を見て、俺はレナさんの家族や友人が、魔王軍に殺されてしまったのではと心配した。
レナさんの口ぶりからして、どうやらいらぬ心配だったらしい。
ならばいつ頃、この街に住んでいたのだろう。
そんな疑問の答えは、彼女の口からポロリと落ちる。
「……もう百年は経つわね」
「百年ですか。それはかなり前……え? ひゃ、百年!? 百年前って言いましたか?」
思わず聞き返してしまった。
レナさんは慌てる俺を見て、何を今さらみたいな顔をする。
「ああ、まだ教えてなかったかしら? 私は純粋な人間じゃないのよ。人間と精霊の混ざり物なの」
「そうだったんですか?」
「ええ」
「人間と精霊の……そんな人もいるんですね」
異なる種族同士の間に生まれた子供。
人種の違いはともかく、人間と精霊は構造からまるで違う。
そもそも精霊は意思を持った魔力の集合体で、人間のように子供をつくることは出来ないと思っていた。
少なくとも俺の知識では、それは不可能なことだった。
「誰も試さなかっただけよ。案外簡単に出来るみたいね。私みたいに」
「簡単って……」
あまり良い表現じゃないな。
「簡単に……よ。特に考えもなしに作って……結局は捨てちゃったんだから」
「捨て……」
「精霊ではない半端者を、精霊たちは認めなかったのよ。だから早々に捨てられて、私は一人でいろんな場所を歩き回ったわ。そんな時……私はお兄ちゃんに出会ったの」
レナさんは懐かしそうに語る。
思い出深い建物を見たからなのか。
俺が知っているこれまでのレナさんなら、軽く流してしまいそうな話を、俺に聞かせてくれた。
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私がアルギニアを訪れたのは、今からずっと昔。
精霊は人間よりも長生きだから、時間の感覚が疎いの。
記憶も、どうでもいいことなんて明日にも忘れてしまう。
だけど、お兄ちゃんのことだけは、今まで忘れたことは一度もない。
あの日――
「君、一人なの?」
路地で丸まる私を見つけてくれた。
声をかけてくれた。
その笑顔は眩しくて、温かくて、とても優しかった。
「行くところないなら一緒にくるかい?」
「どうして?」
「何でだろう。俺もずっと一人だからかな? 放っておけないっていうか」
「……変なの」
「ははははっ、そうかもしれないね。俺はラルク、君は?」
「レナ」
「レナ、一緒に行こう」
「……うん」
お兄ちゃんの手は暖かくて、握った途端に私を引っ張った。
暗い路地から出て、太陽の光を浴びる。
たったそれだけのことで、世界が虹色に色付いたような気持ちになったのを覚えている。
思えば私は、お兄ちゃんと出会って生まれたんだ。
それまでは死んでいたのと変わらない。
お兄ちゃんは孤児だった。
両親に捨てられ、街の教会で育てられた。
私と出会ったときには二十歳で、教会を出て一人で暮らしていた。
街の雑貨屋さんで働きながらお金を貯めて、いずれは教会に恩返しをしたいのだという。
私にはよくわからなかったけど、立派な人だとは思った。
お兄ちゃんと過ごす日々は、毎日が発見の連続だった。
果物の甘さとか、野菜は苦いものもあるとか。
フカフカの布団で眠ると、朝に起きるのが嫌になったり。
風邪をひいた人は、顔が真っ赤になることも、辛いときに誰かが一緒にいてくれるだけで、その辛さが和らぐことも。
たくさんのことを知って、本当に楽しかった。
私の一番大切な……思い出。
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「血のつながりはなかったけど、本当の家族みたいに思えたわ。一緒に暮らした時間は……幸せだったもの」
「そうなんですね。良いお兄さんだ」
「ええ。私には勿体ないくらい……」
「レナさん?」
俺のことをじっと見つめている。
「雰囲気だけなら少しだけ、貴方に似てるわね」
「そうなんですか?」
「ええ、たぶん」
「たぶん?」
「顔は上手く思い出せないのよ。もう何十年も昔の話だから」
「じゃあ今、お兄さんはどうしてるんですか?」
「とっくの昔にいないわよ」
ああ、そうか。
精霊と人間では生きる時間の長さが違う。
お兄さんは人間だったから、レナさんよりも……
「すみません」
「良いわ。悪いのは私だから」
「いや、別に悪くは」
「悪いのよ。だって……お兄ちゃんが死んだのは、私の所為なんだから」
「え?」
それってどういう……
「行きましょう。ここには何もないわ」
そう言って、レナさんは一人で歩きだしてしまった。
俺は彼女の言葉が引っかかって、しばらく頭を悩ませていた。






