28.俺はここにいる
アレクシアを抱きかかえて走る。
結界で閉ざされている縁にいけば、異変に気付いた仲間たちと合流できるかもしれない。
それよりも誤算だった。
まさかアレクシアがこうも簡単にやられるなんて。
「女性の天敵だな、インキュバス」
恨み言を口にした俺の前に、結界が行く手を阻む。
「何だよこの結界は!」
強度も、密度も桁外れだ。
今の俺では破壊は出来そうにない。
彼女の聖剣ならあるいは、とも思ったが、今の彼女には難しそうだ。
感覚を鈍化させたとは言え、直前までのダメージは残っている。
「どうする?」
「……エイト」
「アレクシア! 良かった気が付いたのか」
「……うん。もう、おろしていいよ」
言われた通りに彼女をおろす。
まだフラフラしているが、歩く程度は出来るようだ。
「あいつは?」
「追いつかれてはいないみたいだね。それも時間の問題だと思うけど」
「そう……助けてくれてありがとう。あとはボクに任せて」
「何を言ってるんだ? 今の君は万全じゃない。あいつとは俺が戦う」
「大丈夫だよ。もう、剣も振るえるから」
そう言いながら、身体をふらつかせている。
誰がどう見たって無理をしているのがわかるだろう。
その理由を聞く前に、彼女自らが口にする。
「情けないところみせてごめんね? ボクは勇者なのに」
「そんなこと気にしなくて良い。あれは相手が悪い」
「ううん、駄目だよ。ボクは勇者なんだ。勇者は誰よりも強くないといけない。情けない姿なんて見せちゃいけないんだ。みんなは……ボクが守る」
「アレクシア……」
勇者としての責任と重圧。
いかに選ばれた人間でも、一人で背負うには重すぎる。
彼女はそれを、たった一人で背負い込もうとしているのだと理解した。
「アレクシア」
「ようやく追いついたよ。こんな所まで逃げるなんてね」
アスタルが姿を見せる。
くそっ、まだ話は終わっていないのに。
アレクシアが聖剣を抜き、アスタルに向け構える。
何とか姿勢は保っているけど、まだ手足とも震えている。
「おや? もうそこまで回復したのかい? いやはや恐ろしいね~ でも、まだ俺のターンだよ」
「もうお前の好きには……させない」
「強がりだね。回復したと言っても、それは身体だけで不完全だ。心はまったく落ち着いていない。だからもっと、揺さぶってあげるよ」
アスタルの瞳が激しく光る。
ピンク色ではなく、濃い紫色の光だ。
魅了ではない。
違う何かをアレクシアに使った。
「アレクシア!」
「ぅ……うあああああああああああああああああああああああ」
アレクシアは聖剣を離し、両ひざから崩れ落ちた。
両手で頭を抱え、首を振りながら洪水のように涙を流す。
「嫌、嫌嫌いやああああああああああああああ」
「アレクシア! しっかりするんだ!」
「くっはははははは! いいね最高だ! 女が泣き叫ぶ姿っていうのは、どうしてこうもそそるのかな?」
「お前……何をした? 今のは魅了じゃないだろ!」
「ああ、魅了は耐性をつけられてしまったからね? 今度は趣向を変えてみた。彼女に大量の悪夢を見せてあげたよ」
「悪夢だと?」
「そう! たった一人残されて、仲間からも見捨てられ、男たちに犯され壊される夢さ! それを何十何百通りも見たらどうなると思う? 答えはそこにあるよ」
壊れたように泣きわめくアレクシア。
迂闊だったことを後悔する。
インキュバスは悪夢も見せられると知らなかった。
精神汚染に対する耐性も上げておけば……今からじゃもう遅い。
それでも何とか目を覚まさせようと、俺は彼女の両肩を掴み、何度も名前を呼ぶ。
「アレクシア! アレクシア!」
「無駄だよ。今ので完全に壊れてしまった。もう手遅れだ。あとは君を殺してから、ゆっくり愛してあげるよ」
「ふざけるなよ」
お前の思い通りになんてさせるか。
だが俺の付与に、傷ついた心を癒すものなんてない。
そんな都合の良い力は持っていない。
言えるのは一言。
ちゃんと聞いてくれ。
聞こえるように頬を強く鷲掴みながら、顔を向けさせる。
精一杯の心を込めて、胸の奥底から絞り出すように、心に響くように叫ぶ。
「俺はここにいる! 君は一人になんてならない!」
付与をかける時と同じ意識で、俺は叫んだ。
心に届けと願いながら。
彼女に訴えかけた。
「エイ……ト君?」
「何だと?」
アレクシアが俺の名前を呼んだ。
潤んでいるけど、確かに俺を見つめている。
「ああ、俺はここにいる。一緒にいるから」
「エイト君……ボク……」
「良いんだよ。勇者だからって、一人で頑張らなくても良い。弱い部分も見せて良い。全部まとめて君なんだから」
怖いと感じることも、身に染みるような劣等感も。
俺は君より、少しだけ多く知っている。
「君は一人じゃない。一緒に戦う仲間もいる。俺だって、そのためにここへ来たんだ」
そう言って彼女の涙を拭い、決意を胸に立ち上がる。
「見ていてよ。君の仲間は頼りがいがあるってところを、ちゃんと見せるから」
「……うん」
「ふ、ふふ、格好良いねぇ~ 女だったら惚れちゃいそうだよ」
「気持ち悪いからやめてくれ」
「つれないこと言うなよ。というか、君が戦うのかい? 一人で?」
「一人じゃないさ」
「ふぅーん、ひょっとして君、勘違いしてるんじゃないかな? インキュバスの俺には、女を魅了することしか出来ないとか、思ってるんじゃないかな?」
アスタルが不敵に笑う。
「なめるなよ人間。ただの悪魔が、魔王軍の幹部になれるはずないだろ?」
「何だ?」
アスタルの身体から赤いオーラが……
「今夜は丁度満月だ。丸い月を見ると、身体がうずいて仕方がないよ」
アスタルの肉体が膨れ上がる。
ぼこっと筋肉が膨らみ、次々と巨大化していく。
灰色の毛が生え、鋭い爪と牙を立てる。
「知っているかい? 男はみんな、狼なんだよ」
「ワーウルフ?」
アスタルは満月を隠すほど巨大な狼男に変身した。






