27.インキュバス
「なっ……ぇ」
聖剣を抜こうとしたアレクシアは、直後に両ひざをつく。
突如全身を襲った電流のような衝撃にやられ、力が抜けてしまった。
「急に動こうとするからだよ」
「はぁ、はぁ、ぅっ……」
身体が熱い。
全身が熱くて、呼吸が荒くなる。
それに何で?
服がこすれる度に何だか――
「っ!」
「熱いだろう? 辛いだろう? そして気持ちいいだろう?」
「……何を、したの?」
「よく見てごらん? そろそろ見える濃さになってきた頃だよ」
そう言ったアスタルの周囲が、ピンク色に染まっていく。
気付けば辺り一面が、ピンク色の霧に覆われていた。
「この……霧……」
アレクシアは考える。
異様な色をした霧は初めて見る。
これが毒なのかもしれない。
ただ、自分には毒が効かないはずだし、他の状態異常もかからない。
それなのにどうして、と。
「これは毒じゃない。勇者ちゃんに毒が効かないことは知っている。俺の魅了も、その聖剣の忌々しい耐性で通じないのだろう?」
「……なら、どうして」
「答えは簡単だよ。毒じゃなくて薬だ。人間の女性にしか効果はない特別製のね」
「薬?」
「そう。とっても強力な薬だよ。特別な興奮作用があってね? 全身の感覚が過敏になる」
アスタルはニヤリと、いやらしい目で彼女を見る。
対してアレクシアはピンと来ていない様子だ。
「なに……その薬」
「あれ? もしかして知らない? うーん、今ので伝わらないなら何て説明すればいいのかな~ 気持ちよくなれる薬かな? 現に今、君はそう感じているだろう?」
「っ……そんなこと」
「あるさ。表情を見ればわかるよ。服がこすれる度に電流が走ったみたいになるだろう? いろんなところが熱くなる。さっきよりも霧を多く取り込んでいるはずだが、どんどん刺激は強くなる」
アスタルが一歩前に出る。
咄嗟的にアレクシアは、再び聖剣を抜こうと構えた。
その瞬間、最初の数倍に及ぶ衝撃が、彼女の全身を襲う。
「んんぅ――」
「駄目だって言ったよね?」
彼女はすでに、周囲の霧を大量に取り込んでしまっていた。
会話をしていたわずかな時間に、薬の効果が出ている。
瞬間的に動こうとしてしまったことも相まって、彼女は刺激に負け倒れ込む。
よだれを垂らし、筋肉が痙攣する。
視界の先にはアスタルと、その奥には女の子が、自分と同じように悶えながら笑顔を見せていた。
「どれだけ強くても、君も所詮は女だね? 快楽には抗えない」
「がっ、ぅ……」
「もう話すことすら辛いだろう。それだけ弱った君なら、俺の魅了も効くよね?」
アスタルの読みは正しかった。
彼女の持つ耐性の多くは聖剣に与えられたものであり、彼女自身の精神状態に大きく依存する。
弱まった今であれば、毒にも冒されるし、魅了に惑う。
「君を虜にしたら、今度は仲間たちだよ。男はいらないから殺して、女は同じように魅了してあげる。その後は一生、俺のおもちゃとして愛してあげるからね」
アスタルは近寄り、優しく微笑みながら頬に触れる。
その表情を見て、アレクシアは――
怖い。
恐怖を感じた。
心が弱まり、内に隠していた感情が溢れ出る。
勇者であっても、彼女はまだ若く、一人の女の子だ。
たった一人で助けもなく、窮地に追い込まれれば絶望するし、涙も流れる。
「怖がらなくて良いよ。君も、お仲間も、快楽に溺れてしまえば幸せだ」
「たす……けて」
「ああ。俺が助けてあげる」
アスタルの瞳が光る。
インキュバスの持つ魅了スキルは、女性特化の洗脳効果を持つ。
一度かかれば最後、彼の虜となって付き従う。
「……嫌」
魅了――発動。
「『魅了耐性』」
「なっ、弾かれた?」
「アレクシアから離れろ!」
無数の矢が天から降り注ぎ、アスタルを攻撃する。
「っ……」
矢を回転して躱し、そのまま後ろへ下がっていく。
そして、退いたアスタルの前に立ちはだかる。
倒れた彼女を守るように。
「何者だい?」
「エイト。付与術師だよ」
「付与術師? おかしいなぁ~ 勇者ちゃんの仲間にそんなのいたっけ?」
睨み合う俺とアスタル。
角と羽を見て、あいつが悪魔なのはわかる。
桃色の霧と、倒れている彼女と、奥にもう一人女の子。
あの子に誘われて森へ入ったとき、念のためについてきて正解だった。
ただ、惜しいのはもう少し早く来ていれば……
「アレクシア」
「無駄だよ。彼女は今、快楽の虜になっているから」
「快楽だと?」
「残念だね~ 男には通じない薬なんだ。君は感じることすら出来ないよ」
薬だと?
まさかこの霧がそうなのか?
アレクシアに状態異常は通じないと聞いていた。
それなのに……霧はこの一帯を覆っている。
まずこの場を何とかしないと。
倒れているのはアレクシアだけではない。
女の子もおそらく魅了の餌食になっているだろう。
助けたいと思いながら、選択しなくてはならない苦悩。
「ごめんね。あとで必ず助けるから」
「おや? 逃げる気かい? でも彼女に触れたら、今度こそ刺激で気絶してしまうかもしれないよ?」
「御心配には及ばないさ。俺は付与術師だからな」
「ん?」
「『感覚鈍化』」
これで全身の感覚が鈍くなる。
感覚が鈍くなれば、刺激も何も感じない。
アレクシアの表情が少しだけ穏やかになったことを確認して、彼女を抱きかかえる。
「『透明化』」
自身と触れている物を透明にして、ブーツに施した『空中歩法』で空を蹴る。
「へぇ、面白いね」






