97.魔王リブラルカ
右肩から左脇にかけて、斬撃によって出来た傷から血が流れ出る。
悪魔の血も人間同様に赤い。
生き物である以上、当然痛みも感じる。
セルスを睨むベルゼドの表情からは、苦痛に耐えている様子が伺える。
傷口を手で抑えるベルゼドに、セルスは見透かしたように言う。
「どうしましたか? その程度の傷なら、何の問題もなく治癒できるでしょう?」
「……ふっ」
ベルデドは小さく笑い、傷口から手を離す。
すでに傷口は塞がっていて、流れ出る血も止まっていた。
悪魔は人間よりも頑丈に出来ている。
人間なら即死の攻撃も、悪魔にとっては致命傷にはならない。
さらに魔力量に比例して、自己治癒能力も高くなる。
ベルゼドほどの悪魔なら、一撃で即死するか、魔力が尽きない限り死ぬことはない。
「やはり騙せませんか。油断してもらおうと思ったのに残念です」
「油断などするつもりはありません。貴方の命が消えるまで、私は剣を振るい続ける」
「……先生は変わらない。本当に容赦がない」
「他人なら……あるいは、手加減出来たかもしれませんね」
セルスは剣を握る地力を強める。
彼の脳裏に過っているのは、弟子と過ごした日々。
一日一日で確かな成長を見せる彼に、私は期待していた。
それと同じくらい、負けたくないとも思っていた。
「ベルゼド、貴方は強い。それを誰より知っている私が、どうして手を抜けるというのですか」
かつての弟子だからこそ、力を認めているからこそ。
セルスは一歩引くことはない。
「ふっ、ふふ……本当に先生は変わらない。目の前のことしか見えていないんですよ。先生こそ、私と戦わずに王の元へ行くべきだったのに」
「……私がいなくとも、あの三人なら心配はいりませんよ」
「まだそんな甘いことを言いますか。貴方は知っているはずだ。我が王の力を」
「ええ。だからこそ私がここに残ったのです」
エイトたちの戦いに、邪魔な雑音を立てさせない。
彼らの勝利を信じているからこそ、妨げになる要因は排除する。
それこそが自分の役目だと確信し、セルスは切っ先をベルゼドに改めて向ける。
「構えなさい、ベルゼド。貴方は私から一時も目を離すべきではありません」
「……本当に……相変わらずだよ先生」
◇◇◇
雑兵とベルゼドをみんなに任せた俺たちは、魔王城の中をひた走る。
人間には大きすぎる廊下に矢への扉は重厚で、まさに悪魔の城に相応しい佇まい。
しかし意外なことに、俺たち以外の姿が見えない。
「おかしいね。何で誰もいないのかな?」
「確かに不自然じゃが、罠の類も感じ取れん」
「本当にただ誰もいないってだけみたいだね」
俺たちは警戒しながら走る。
悪魔たちの巣窟である魔王城。
その中が空っぽなんてことはありえないだろう。
何らかの仕掛けがあるのかと予想して突入した身としては、拍子抜けと言ってしまえる。
ただ、無人と言うわけではもちろんない。
俺たちが目指している最上階に、おそらく魔王リブラルカはいる。
そのことだけは、漏れ流れる重たい魔力が物語っていた。
そして遂に、俺たちは対峙する。
「ようこそ。愚かな人間と、過去の遺物」
現魔王リブラルカ。
かつての魔王サタグレアの側近。
思慮深く、計算高く、意地汚い。
その容姿はサタグレアとは対照的に、ゴツゴツとした歪な角と、黒い肌に紫色の瞳。
一目で悪魔だとハッキリわかる容姿は、逆に俺たちを冷静にさせる。
彼は玉座に座り待ち構えていた。
下では部下たちが死力を尽くして戦っているのに、王である彼は何もせず、ただ俺たちを待っていた。
その態度に、少なからず怒りを感じてしまう。
ルリアナは特に……
「お前がリブラルカ……父上を裏切った」
「その通りだ」
彼は何の言い訳もなく、あっさりと肯定した。
表情や声色からも、一切悪いと思っていないことが伝わる。
ルリアナは激怒する。
「なぜじゃ! なぜ父上を裏切った!」
「今更その説明がいるのか? そんなものとっくに理解しているはずだろう? それとも子供故の癇癪か。先代と同じで哀れ極まる」
「父上を侮辱するな! お前なんて父上の足元にも及ばん! 今から妾がそれを証明して――」
「落ち着いて!」
俺はなるべく大きな声で、広い部屋中に響き渡るように叫んだ。
リブラルカの挑発に乗せられ、頭に血が昇ってしまっては相手の思うつぼだ。
感情を抑えるようにと、俺はルリアナの肩を叩く。
「気持ちは一緒だ。俺たちはあいつを倒すためにここまで来たんだから」
「エイト……」
言霊なんて必要ない。
思いを込めて伝えれば、気持ちは届くだろう。
それに、俺たちには頼もしい味方もいる。
「ボクたちで! だよルリアナちゃん! 魔王を倒すのは勇者の役目なんだからね!」
「アレクシアの言う通りだ。怒りたい気持ちは一先ず置いておこう。言いたいことは全部、剣に、拳に、力に載せよう」
「……そうじゃな。そうじゃった!」
怒りを吹っ切ったルリアナが、清々しい笑顔を見せる。
そんな彼女を見たリブラルカは、つまらなそうにため息をこぼす。
「下らない感情論だ。まったく嫌になるほど似ているな……この親子は」






