愛称と宝石
出張から帰ってきたアルベルトは出迎えたリリアージュを見て一瞬眉を顰めた。
リリアージュはその一瞬の彼の表情を見逃さず心の中で溜息を零した。
『紅蓮の静謐』と呼ばれる程無表情の彼が不機嫌を顔に出すくらい、自分に会うのは嫌だったのかと泣きたくなる。
けれどもリリアージュは微笑みを浮かべたまま、そのことに気が付かない振りをした。
「おかえりなさいませ」
「あぁ……。……リリアージュ、何か困ったことでもあったのか?」
アルベルトが何故こんなことを聞いてくるのかリリアージュも使用人達もわからず首をかしげる。
「いいえ? 皆さん良くしてくださっていますので何もありませんが」
「……そうか。……ならいい……。ところで土産を買ってきたから後で部屋を訪ねてもいいか?」
「え?」
「あまり時間がなかったので大した物ではないが」
「あの……私に? ですか?」
「他の誰に買ってくるというのだ?」
「あ……いえ……嬉しい……です」
「では着替えてから持って行くので待っていてほしい」
「わかりました……」
リリアージュが躊躇いながらも返事をするとアルベルトは長い足でスタスタと自室へ下がっていった。
リリアージュはついにアルベルトから王女との話をされるのだと覚悟を決めたが、嫌っているはずの自分にお土産を買ってきた彼に疑問を感じつつ自室でお茶の準備を始めた。
リリアージュが待つ部屋は寝室のとなりで元々夫婦2人の部屋だと紹介されていたが今は実質リリアージュだけが使用している。
アルベルトは仕事柄帰りが深夜になることもあるのでこの部屋とは別に書斎と浴室付きの寝室を持っていて、おそらく結婚してからはそちらの部屋を使用しているのだろう。
夫婦の部屋なのに入室の許可を取る程冷え切った関係にリリアージュはまた泣きたくなった。
ペチペチと頬を軽く叩きリリアージュが涙を引っ込めたところで、コンコンと規則正しいノック音が聞こえ返事をする。扉が開かれ旅装を解いたアルベルトが小さな箱を持って入室してきた。
「遅くに済まない。これを君に渡したくて」
「お土産ですね。ありがとうございます。開けてみても?」
「ああ、もちろん」
ソファに腰かけアルベルトから手渡された細長い箱の蓋を開けてみると赤紫色の宝石がついたネックレスが入っていた。
「きれい」
素直にそう言ってリリアージュがネックレスを取り出しペンダントトップの宝石を眺めるとアルベルトが少しだけ口元に笑みを浮かべた。
「ロードライトガーネットというのだそうだ」
「紫と赤が混じっていてとても綺麗な色ですね」
リリアージュがそう答えるとアルベルトは何故かとても嬉しそうに目元を緩めながら赤紫の宝石越しにリリアージュを見つめた。リリアージュはその様子に胸が高鳴ってしまうのを抑えようと視線を逸らす。するとアルベルトは先程の柔和な顔を一変させて暗い声で呟いた。
「……あまり気に入ってはもらえなかったようだな。それよりも2週間後に王宮の夜会があるから出席してくれ」
「え?」
前半部分は小声だったためよく聞こえなかったリリアージュがアルベルトを見ると彼は既にソファから立ち上がっていた。アルベルトの機嫌が突然悪くなった意味がわからなかったリリアージュだったが先程視線を逸らしたことが失礼だったのかもしれないと思い返す。謝罪をするため慌てて立ち上がった拍子に、リリアージュはサイドテーブルへ置いてあった紅茶のカップを倒してしまった。
「あっ!」
咄嗟に手を引っ込めたがカップの紅茶が少し手にかかってしまい熱さで眉を顰める。刹那アルベルトに腕を掴まれた。
「‼︎ リジー! 大丈夫か⁉︎」
「えっ?」
驚いて固まったリリアージュだったがアルベルトは慌てているのか自分が何と呼びかけたのか気がついていないようだった。
「すぐに冷やさないと! 火傷をしたら大変だ」
「……」
アルベルトは黙り込むリリアージュの手を布巾で冷やす。侍女を呼び手当を代わるとリリアージュの手にあったネックレスを受け取りかかってしまった水分を丁寧に拭き取った。
その様子がリリアージュの心に暗い影を落とす。
包帯を巻いてもらい手当が済んだリリアージュは心配そうに部屋を退出するアルベルトを見送った。
扉を閉めて1人部屋に残されたリリアージュはノロノロとテーブルまで歩いていく。
テーブルの上には先程もらったネックレスが置いてあった。
リリアージュはペンダントトップについた赤紫の宝石を眺める。
「リジー……か……」
リジーがエリザベスの愛称の1つだというのは3歳の子供でも知っている。
王女故に誰も愛称では呼ばないが親しければ普段からそう呼んでいても不思議はない。きっとアルベルトは宝石に紅茶がかかってしまって咄嗟に呼んでしまったということだろう。
「だって赤と紫が混じったこの宝石はアルベルト様とエリザベス王女の瞳の色が混じりあった色をしているものね」
そう呟いたリリアージュは自嘲的に笑うとヒリヒリと痛む手の甲を押さえて俯いた。