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旦那様の噂

 窓から差し込む光と小鳥の囀りで目を覚ます。

 瞳に映ったのは見慣れない天井でリリアージュは一瞬自分がどこにいるのか理解できなかった。

 ぼうっとする頭が現実に追いつきハッとして掛布をめくる。

 どうやらリリアージュはあのまま寝てしまったようだった。

 慌てて夜着を確認するがどこにも乱れた所はない。

 それはつまりアルベルトがこの部屋へ来なかったことを示していた。


「私には触れたくないということね……」


 暗い気持ちのままベッドから這い出すが、政略とはいえ結婚したからには次期侯爵夫人として無様な顔は見せられないと思い、リリアージュは泣きたくなる衝動を堪え支度のために訪れた侍女達へ必死に笑顔を作った。


 侍女たちに手伝われて身支度を整え食堂へ向かうとアルベルトの執事に出迎えられた。


「おはようございます奥様。旦那様は既に王城へ出勤されましたので、申し訳ありませんが今朝は奥様だけで朝食をお召し上がりくださいとのことです。晩餐も先に済ませるようにと仰っておりました」

「そうですか……わかりました」


 リリアージュはアルベルトと顔を合わせずに済んだことに少しだけ安堵するとともに、避けられていることに落胆した。

 広い食堂に1人きりで話す相手もなく食べる朝食は豪華なメニューのはずなのに味はよくわからなかった。


 朝食を終え自室へ戻り読書をする。昼食を食べ庭を散歩して刺繍をしたらまた夕食を食べる。その間リリアージュが話したのは数人の使用人との便宜上のやり取りだけであった。

 別館のためアルベルトがいなければ基本1人きりの生活だから仕方ないとはいえ、実家で両親や兄ととりとめのない会話をしていたのが思い出される。

 母と刺す刺繍は侍女達も含めたおしゃべりが中心でちっとも刺繍が進まなかったがとても楽しかった。

 いずれお茶会などに参加する必要はあるだろうが、これからずっと夫に愛されないままこんな生活をしていくのかと考えたリリアージュが暗い気持ちになった頃、侍女がアルベルトの帰宅を伝えに来たので玄関まで迎えに行こうと部屋を出た。

 時刻は既に深夜に差し掛かろうとしている。仮令お飾りの妻でも主の出迎えくらいはしなければならない。そう考えたリリアージュは昼間のうちに侍女へアルベルトが帰宅したら伝えてくれるように頼んでいたのだ。

 だが避けられている位嫌われているのなら余計なことなのかもしれない。そう考えながら歩く玄関までの道のりはやけに長いように感じた。


 帰宅したアルベルトを視界の端に捉えるとリリアージュは1日ぶりの夫の姿に愛しさと切なさが同時にこみ上げてくるがギュッと表情筋に力を入れて笑顔を貼りつける。

 アルベルトはリリアージュへ背を向けており彼女が来ていることに気が付いていないようで執事と玄関ホールで話し込んでいた。


「明日から1週間、王女の護衛で視察へ行くことになった」

「王女様の護衛ですか? しかし旦那様は王太子様付きでは?」

「同行予定だった王女の護衛の1人の体調が悪くなったらしい」

「しかし何も旦那様が行かずとも」

「王女たっての希望だそうだ。だから……」


 アルベルトと話していた執事がリリアージュに気が付いて目を伏せる。それを見たアルベルトは言葉を途切らせ後ろを振り返った。


「リリアージュ、まだ起きていたのか⁉︎」


 責めるようなアルベルトの口調に涙が出そうになるのを拳を握ってやり過ごす。やはり出迎えない方が良かったと後悔しても後の祭りだ。それでもリリアージュは何とか笑顔の仮面を貼り付けて挨拶をした。


「おかえりなさいませ」


 リリアージュの言葉にアルベルトは一瞬呆けたような表情を見せたが、またすぐに無表情な顔に戻った。


「ああ、今戻った。リリアージュ、結婚早々済まないが私は明日から1週間程出張で留守にする。何か困ったことがあれば、ここにいる執事や侍女達に遠慮なく言ってくれ。本邸には私の両親もいるから大丈夫だとは思うが」

「はい。お気にかけて頂いてありがとうございます。アルベルト様こそどうぞお気をつけて行ってらっしゃいませ」

「わかった。……リリアージュ、少し話があるのだが……」

「今ですか? でも明日の準備でお忙しいのでは?」

「それはそうなのだが……。いや、そうだな。今晩はやめておこう。帰ってきたら話すことにする」


 アルベルトはいつも通りの無表情だったがどこかホッとしたような様子を見せると自室へ下がっていった。そんなアルベルトの様子でリリアージュは彼の話が何であるのか何となく察しがついてしまっていた。



 主の急な出張のため別邸は俄かに慌ただしくなったが、リリアージュは自室で1人ソファに腰かけて呆然と窓の外に広がる夜空を眺めていた。

 先程アルベルトが『王女の希望』で出張へ行くと執事に語っていたのをリリアージュは聞いてしまっていた。

 昨晩思い出したクラスメイトに言われたアルベルトの噂はまさにその王女エリザベスに関することだった。


『アルベルト様って王女様と恋仲なんですってよ!』

『ええ⁉︎ でも王女様は隣国の王子様と婚約するんじゃ?』

『そんなの政略結婚に決まってるじゃない! 本当はアルベルト様と結婚したかったらしくて王太子様も乗り気だったそうなんだけど国王様が許さなかったらしいわ』

『王女様、お可哀想ね』

『本当にね』

『あら? でも確かアルベルト様って婚約者がいらっしゃったのではなくて?』

『そうなのよ! ほらマーシャル伯爵家の』

『あぁ~、あの方』

『紅蓮の静謐と呼ばれるアルベルト様や、王国の至宝と呼ばれる王女様と比べると随分見劣りするわね』

『それは仕方ないわよ~。あんな素敵な方達と比べたら気の毒だわ~』


 クスクスと嘲笑を浮かべてリリアージュにわざと聞こえるように囁かれる悪意のこもった噂話に足元が崩れていくような感覚がした。顔面蒼白になったリリアージュに気が付いた親友達の何人かが「根も葉もない噂だ」と言い返してくれたが、その後も何度かその手の噂を耳にした。それ以来ずっと心の奥がモヤモヤとしたままだった。


「アルベルト様と王女様は今でも愛し合っているのね……」


 最初にその噂を聞いたのは1年前のことだった。学校へ入学する前のリリアージュだったらこんな噂は信じなかったかもしれない。

 アルベルトとの仲はそれ位良好だったし彼と結婚するのが当たり前だと思っていたからだ。

 でも入学して同年代の女子達からアルベルトの人気を知り自信がなくなっていった。

意地悪な子からはリリアージュが婚約者ではアルベルトが可哀想だと蔑んだ目で見られたし嫌がらせも受けた。お互い学校が忙しくてアルベルトと会う回数が減ったことも自信を失くす要因だった。

 すっかり自信をなくしたリリアージュは王女との噂の真相をアルベルトに直接聞く勇気を持てなかったのである。


 リリアージュは自分より2つ年下の美しい王女の姿を思い出して自嘲の溜息を吐く。

 エリザベス王女は流れるストレートの黒髪に少しきつめの紫水晶のアーモンドアイをした背の高い凛とした女性で、体型も豊満な胸にくびれたウエストの16歳とは思えない程妖艶な美貌を持ったこの国の王女だ。

 対してリリアージュは蜂蜜色のクセ毛と宵闇色の瞳の平凡な顔立ちで体型も小柄だ。そのため年齢よりも幼く見られることが多かった。18歳になった今でも色気がないと兄によく揶揄われていた。王女と自分の余りの違いにアルベルトはさぞがっかりしたことだろう。

 きっとアルベルトの話とは自分のことを愛せないと告げることなんだと考えて、リリアージュはギュッとスカートを握りしめ瞳を瞬かせて溢れそうになる涙を散らそうと見てもいない夜空をずっと見やっていた。



 翌朝、アルベルトを見送るリリアージュに彼は何かを言いたそうに口を開いたが結局そのまま黙って邸を出発した。

 アルベルトが帰宅するまでの1週間、リリアージュはただ無為に同じ毎日を過ごした。

 使用人達は少し元気がない彼女をアルベルトがいないせいだろうと楽観視していた。

 それにリリアージュはいつも穏やかな微笑を湛えていたので彼女の心の憔悴に気が付く者は誰もいなかったのである。


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