結婚しました
ベールが上げられ新郎の顔を見つめれば彼は端正な顔にいつもの無表情を貼り付けたままだった。
結婚式だというのにニコリともしないその顔に少し寂しさを覚えて花嫁が目を伏せれば額にそっと口づけされる。
親族や友人たち招待客が見守る中、2人の結婚式は滞りなく無事に終了した。
セスティン侯爵令息アルベルトとマーシャル伯爵令嬢リリアージュの結婚は親同士が決めた所謂政略結婚である。
政略ではあるが両家の父親同士が昵懇の間柄で2人も幼い頃から仲が良く3年前にアルベルトが寄宿学校へ通う前までは頻繁に行き来していた。
この国では一般的な貴族令息は15歳から3年間、令嬢は16歳から2年間男女別々の寄宿学校へ通うことが義務付けられその後然るべき相手と婚姻を結ぶ。普通は学校を卒業して2年間位社交を経て相手を見つけるのだが、政略結婚の場合は卒業と同時に婚姻を結ぶという例も珍しくなかった。
それゆえ同じ年齢だった2人は18歳で学校を卒業した翌月にこうして結婚したのである。
政略結婚だったがリリアージュは昔からアルベルトのことが大好きだった。
結婚式の間はベールを被せられていたので中々彼を見ることはできなかったが披露宴で何度か彼をチラチラと盗み見ては嬉しくて頬が緩みそうになるのを堪えていた。
アルベルトは鮮やかな真っ赤な髪と燃えるような紅蓮の瞳、スッとした鼻梁の整った顔立ちと均整のとれた体躯を持つ美青年だったが、滅多に笑うことがなかったため『紅蓮の静謐』と秘かに令嬢たちに噂され、王太子と人気を二分するほど見目麗しかった。
リリアージュは彼が学校へ通い始めた最初の1年は寂しくて仕方がなかった。それでも長期休暇の時には会いにきてくれたし手紙も(筆まめではない彼にしては)頻繁に送ってくれていた。
しかしリリアージュが学校へ通いだし共に寮生活が始まると、2人の距離は少しずつ離れていった。学校へ通うのも2年目となったアルベルトは同期の王太子たちと交流する頻度が多くなり、自然とリリアージュと接する時間は減っていった。リリアージュも自分の学校の友人たちと過ごす時間が増えていき卒業までの半年はアルベルトと顔を合わせることもなかった。
在学中アルベルトには何度か他の貴族から結婚の申し込みが出ていたらしいことをリリアージュは聞いていた。
次期侯爵で王太子の覚えもよく卒業後もエリートの証である王宮騎士団へ入団が決まっていた彼を得ようとした貴族は少なくない人数がいたが、結局先に婚約していたリリアージュとの結婚が白紙になることはなかった。
リリアージュはその時ほどホッとしたことはなかった。しかし安堵はしたものの、ハイスペックな婚約者にリリアージュはすっかり自信を失ってしまい、会うことも手紙を出すことも躊躇している間に半年の月日が流れてしまったのである。
それでもアルベルトを大好きな気持ちは変わらなかったので、こうして無事に結婚式を迎えられて純粋に嬉しかった。
◇◇◇
「うぅ~緊張します」
そう言ってベッドに座り両手で頬を押さえたリリアージュの顔は真っ赤に染まっていた。
それもそのはず今夜は嬉し恥ずかしの初夜である。
アルベルトは侯爵家の嫡男だが本邸とは別に同じ敷地内にある別館を居館にしている。
当然、披露宴を終えたリリアージュは別館に案内された。
侍女たちに湯浴みをさせられ薄手の夜着を着させられ寝室へ連れてこられたリリアージュは緊張でカチコチに固まっていた。
身に纏った夜着は生地が薄い上に面積が少なくて何だか心許ない。久しぶりにアルベルトと2人きりになるのにこの格好はかなり恥ずかしい。
でも今日から夫婦となったのだからと自分に言い聞かせて恥ずかしさで布団へ潜り込みたくなる衝動を抑えてベッドの端に腰をかけてアルベルトを待っていた。
どのくらいの時間そうしていただろう。
アルベルトを待ってかなりの時間が過ぎていた。
カチコチと時計の音ばかりが気になってドアを見つめるが、一向に彼が来る気配はない。
慣れない結婚式や披露宴の疲れもあってリリアージュはこてんとベッドへ横向きに倒れた。
「このままアルベルト様が来なかったらどうしよう……」
ポツリと零した自分の言葉に瞳が潤んでくる。
アルベルトと結婚できたことに浮かれていたが、もしかしたら彼はこの結婚を望んでいなかったのかもしれない。
結婚式でベールを上げた彼の無表情の顔を思い出すと胸に刺すような痛みがこみ上げる。
幼い頃からあまり表情を出すアルベルトではなかったが、大好きな食べ物を食べている時やお気に入りの本を読んで居るときには少し目元が優しくなるのをリリアージュは知っていた。
思い出してみると今日のアルベルトはそんな表情を見せてはくれなかった。
貴族が政略結婚をするのは当たり前だ。でも自分たちは違うと心のどこかで信じていた。自分と同じようにアルベルトも自分のことを好いていてくれていると思っていた。
でもそれならどうして彼は微笑んでくれず、初夜だというのにこの部屋を訪れないのだろう。
「やっぱりあの噂は本当だったんだ……」
リリアージュは学校でクラスメイトにされたアルベルトのある噂を思い出してゆっくりと瞼を下ろした。
その目尻からは堪え切れなかった涙が溢れリリアージュは小さく肩を震わせた。