エルとの出会い 8
「ニカ、まだ諦めてないの?」
エルには『ブラノワ』の内容を全て話しているから、彼女は私が王子とソフィアをくっつけようとしていることを知っている。それなのに、会うたびに諦めないのかと私に聞いてくるのだ。もしや、手伝うのが面倒くさくなったんじゃあ……
「諦めるわけないじゃない。十年間じっくり頑張るわ」
小説かなんかだと、ここでズバンと『十年後――』と飛ばせるのだろう。けれど、現実ではそうもいかない。それにヒロインのソフィアは、まだ王子と出会ってさえいないのだ。
モブで弟子のくせに、エルは協力する気がないみたい。こうなったら私が直接、ソフィアを引きずって連れてこよう。彼女に背を向け歩きかけたその時、エルが提案する。
「ねえ、これを投げつけるんだったらもっと広い所の方がいいんじゃない? あっちまで運ぼうよ」
あら、エルったら。
ようやく協力してくれる気になったのね?
彼女の言う通りかな。屋敷に近いここだと、大きく外した時に建物に当たってしまうかもしれない。白い壁に赤い染みが付いたら、さすがに父や義母が黙ってはいないだろう。
「そうね。移動した方が良さそう」
私は『血のり爆弾』が入った桶を抱えようと屈む。けれど、エルの方が素早かった。
「これを運べばいいんでしょう?」
「ええ、お願い」
こう見えて彼女は私より力がある。
桶を軽々持ち上げると、ガーデンパーティー用の広い芝の方へ足を踏み出した。
ところが――
「あっ!」
「……えっ!?」
あっと思う間もなく、桶が宙を舞う。
しかもエルがそのまま転倒してしまった。
「大丈夫なの? ――そんな! どうして……」
あろうことか、エルは『血のり爆弾』を自分の身体で全部押し潰していた。
試行錯誤の結果が全てパア。
ショックのあまり私は固まる。
「ごめんなさい。失敗しちゃった」
ソフィアではなく、エルが真っ赤。
私の目には、彼女が自分からスライディングして飛び込んだようにも見えた。でも、高価なドレスを自分でわざわざ汚そうとするわけがない。それならやっぱり、気のせいだろう。
ここ何日かの苦労が全て水の泡。私は半泣きになりながら、助け起こすためにエルの手を引く。すると逆に、強い力でぐいっと引っ張られてしまう。
「わわっ」
丁度エルの真上に倒れ込み、私も『血のり爆弾』のえじきに。小さな彼女の身体の上に、ちょうど重なる形だ。おかげで付着していたザクロの果汁や爆弾の残骸が私の服にもベッタリ。
エルは自分だけが汚れたから、悔しかったのだろうか? 慌てて身体を起こしながら睨みつけると、罪のない笑顔を浮かべた彼女が謝ってきた。
「ごめんね。びっくりしたから、力を入れ過ぎちゃったみたい」
そうなの? でも、本人がそう言うのなら悪気はなかったのだろう。
それにしても、肝心のソフィアが無傷で私達が汚れてるっていったい……
「どうしよう。こんなんじゃあ、いつまで経っても王子が来ないーー」
情けなくも泣き出した私を前にして、なぜかエルは無言だった。
生まれ変わったせいなのか、どうやら思考も子供に戻っているようだ。悪役令嬢たるもの、あれしきのことで泣いてはいけない。恥ずかしくなった私は手の甲で涙を拭うと、さっさと屋敷に戻ることにした。私の後をエルがちょこちょこついてくる。戻るといっても玄関ホールは汚せないから、気を遣って調理場の勝手口に。
「まあ! お嬢様ったら、またまた激しい遊びを。あまり他所の子に変なことを教えないで下さいね」
調理場にいた女性に窘められてしまう。
彼女は料理人の見習いで、本編にも番外編にも関係ない。だけど、物怖じせずに私を叱り、協力もしてくれるから好き。ちなみに、『血のり爆弾』用の動物の腸を用意してくれたのも彼女だ。もっとも、解剖学の研究に使うのだと、意味もわからず大嘘をついたんだけど。
「私だけが注意されるって納得がいかないわ! エルは? 一緒に来た人にどうして怒られないの?」
自分のことは棚に上げ、つい八つ当たりをする。どこかの国のお姫様かもしれないけれど、エルだってまだ子どもだ。汚れたのはエルが原因だし、怒られないのはおかしいと思うの。
「ここにいる間は、自由にしていいんだって。子供らしく遊びなさいって言われている」
「子供らしくって……まだ子供じゃない」
言われてみればエルは時々、妙に大人びた表情をする。でも以前、年を聞いたら八歳だと言っていたから、正真正銘子供のはずだ。
「そうだけど……まあ、大人じゃこんな真似はできないよね?」
自分の服を見下ろしながら彼女が言う。
服だけでなく、顔も茶色の髪もびちゃびちゃだ。
それなのに、赤い果汁のついた顔がすごく綺麗に見えるのはどうしてだろう? 血のりにしては薄くて、ピンク色をしているから? だけど放っておいたら、この後確実に茶色に変色する。
「やっぱり失敗だわ。もう少し濃い赤の方が良かったみたい」
「ぼ……私も赤は好き」
エルが賛同してくれた。
それならさっきのはわざとではなく、ついうっかり転んでしまっただけだろう。何もない所で転ぶなんて、エルったら案外ドジっ娘なのね?
誰かが連絡を入れたらしく、侍女が慌てて飛んで来た。湯あみを勧められたから、一緒に入ろうとエルを誘う。果汁でベタベタして気持ちが悪いし、冬なのですぐに着替えないと風邪を引きそうだ。それなのに、エルは真っ赤な顔で拒否をした。
「平気だから。ニカは自分のことだけ考えなよ」
「女の子同士で恥ずかしがるなんて変なの。嫌なら、エルが先に入れば?」
そりゃあね。果汁を用意したのは私だし、エルは一応お客様。少しは責任も感じているのだ。
「いや、いい。ほら、早くしないとお湯が冷めるよ」
頑なに拒絶され、悲しくなる。
私はまだ子供だから、人に見せられるようなスタイルではない。けれどソフィアとお風呂ではしゃげない分、エルと一緒だと楽しいかな、と思ったのだ。
ほんの少しがっかりしてしまう。
着替えを終えてさっぱりした姿で戻ると、そこにエルの姿はなかった。汚れたので失礼すると、あっさり帰ってしまったらしい。
「あのままの恰好で馬車に乗ったの? エルの方が汚れていたし、我慢するくらいなら、先にお湯を浴びれば良かったのに……」
ドレスだってだくさんあるから、着替えなら貸してあげられた。
子供だし、遠慮しなくていいのに。別に、エルの裸が見たかったわけではない。
それとも、誘い方が悪かったのだろうか?
もしかして私、彼女に変態だと思われているとか!?