トリック・オア・トリート
二人のいちゃラブ。
ハロウィンバージョンです。
「みんなが楽しめる方法はないかしら……」
私、ヴェロニカは天宮の一室にある豪奢な長椅子に腰かけて、頭を悩ませていた。
ラファエルが好きだという『赤』が基調のこの部屋は、壁の一部とカーテン、猫足の長椅子と椅子の背もたれと座面が赤い。茶色と焦げ茶の幾何学模様の木の床は、ピカピカに磨かれ、シャンデリアの灯りを受けて輝いている。
クッションを抱き締めた私が、さっきから何を悩んでいるのかというと……
「ハロウィンってやっぱり、この世界にはないのよね? どうすれば取り入れられるの?」
ここは、前世で読んだライトノベル『ブランノワール~王子は可憐な薔薇に酔う~』の世界に似ている。作者が日本人であるせいか、四季もちゃんとあって、今は秋も深まる頃。
地方や郊外では豊穣を祝う収穫祭が開催され、地域の人々が集まって、食事やダンスをしながら秋の夜長を楽しむ。
『地宮』と呼ばれる王都には、残念ながらそれと替わるものはない。
社交界デビューや舞踏会のシーズンだから、貴族はまあまあ愉快に過ごせる。でも、街の人達は何を楽しみに、長い冬を迎えるのだろう?
「せめて何か、催しがあると良いのだけれど……」
このノヴァルフ国には、庶民の娯楽となるイベントが少ない。最近ようやく教会に通う人が増え、歌や絵画、バザーなどに精を出しているそうだ。いずれ全ての教会が、人々の交流や発表の場になれば良いと思う。
「天使を敬うことも大事だけれど、まずは自分達が楽しまなくてはね」
民が笑顔になれるよう、せっかくなのでハロウィンを提案してみたい。
頼りになるラファエルは、今日も執務で忙しいようだ。彼の手を煩わせるわけにはいかないから、自分で考えなくっちゃ。
とはいえ法律や規約は難しいし、違反して誰かに迷惑をかけるようではいけない。一から調べて準備もするとなると、膨大な時間がかかるし……
「そうか! 専門家の知恵を借りればいいのよね?」
前回の『絵画コンクール』の時にお世話になった秘書官は優秀で、相談にも乗ってくれるだろう。
「完璧な要望書を提出したら、ラファエルが驚くかもしれないわ」
紫色の瞳を丸くした彼の様子を想像し、私の口元が自然と緩む。目を細め、詳細を検討している姿でもいい。彼はいつでもカッコ良く……
「と、ときめいている場合じゃなかった。今こそ前世を思い出し、役に立てましょう」
最期の記憶は中学生。
当時かなり貧しかった私は、ハロウィンなど経験したことがなかった。その日のための特別な衣装やカボチャ料理、大人も子供も楽しそうにはしゃぐ姿は、テレビの中だけのもの。
もちろん図書館でのハロウィンの飾り付けや、街角でお菓子をもらう子供達を見かけたことならある。けれど、いざ目の前に差し出された飴を受け取るのは、なんとなく子供っぽい気がして、断ってしまったのだ。
「今なら素直に『ありがとう』って、言えるのに」
私を変えてくれたのは、ラファエルだ。
誰にも愛されないと拗ね、転生前は本の中に喜びを見いだしていた私。今世でも、悪役令嬢にならなければ幸せにはなれないと勘違いし、周囲を振り回した。
でも、幼なじみのラファエルが、私を好きでいてくれた。大人になっても彼に愛され、私は本当の愛を知る。
今の私が幸せなのは、ラファエルのおかげ。だからこそ妃として、彼と民のため力になりたい!
私は机の上の羽ペンを手に取って、必要事項を書き出していくことにした。
*****
「最近、ニカが冷たい……」
「ラファエル様、先ほどからため息ばかりですが」
私、ラファエルは執務室の机に肘をつき、もう何度目かもわからないため息をついた。
護衛のクレマンに窘められるでもなく、自分のことはよくわかっている。
最近忙しく、自室にもほとんど戻っていない。そのせいで寂しがっているかと思いきや、ニカは今日も美しく、生き生き輝いている。
数刻前、彼女と廊下ですれ違った。
「ニカ、何しているの?」
「何ってちょっとね。急ぐから、また後で」
ニカの持つ書類を覗き込もうと身体を寄せれば、慌てて避けられる。しかも彼女は本当に時間がないようで、薄紫のドレスを翻し、小走りに去って行く。
向こうで待つのは、秘書官の一人だ。ニカの役に立つようにと、以前、私が紹介した優秀な男だった。
――そうか。君はまた、何か面白いことを考えているんだね?
「秘書官には、女性の採用を検討しないといけないな」
呟く私の声を聞き、近くにいたクレマンが、無言で肩をすくめる。呆れているのだとしても、彼は表に出さない。
男性の秘書官でも、今まで特に不便はなかった。しかし、彼が私より長くニカと過ごすのは、どうにもいただけない。
ただでさえこのところ、ニカが不足している。赤い瞳の私の薔薇は、多忙な私を気遣っているのか、ここに訪ねても来ない。
「相談してくれればいいのに。ニカが冷たい……」
執務室に戻った私は、今日こそ彼女との時間を取ると決め、大量の書類を先ほどまでの倍以上の速さで捌いていった。
深夜になって、ようやく自室に入る。さすがにこの時間まで、ニカは起きていないだろう。
そう思っていたところ、桃色の寝間着を着たまま、長椅子の上に膝を曲げて座る彼女を発見した。紙を広げ、何やら熱心に書き込んでいるようだ。昼間見た書類と関連するのかな?
「ニカ」
「あ、ラファエル!」
彼女は私を見るなり、嬉しそうに目を輝かせた。その表情が可愛くて、私は大股で近づき隣に腰かける。
「何を書いていたのかな?」
「それは、その……」
私が問うと、今度は素直に見せてくれた…………が、わからない。
「ええっと、ニカ。これは何?」
「何って? 失礼ね、黒猫とカボチャじゃない。イメージ画と言った方が良いかしら」
黒く塗りつぶされたものは、絵だったのか……
彼女の絵はお世辞にも上手いとは言えず、猫はトゲの生えた真っ黒な塊、カボチャは大きな埃にしか見えない。けれど正直に告げれば、機嫌を損ねてしまうだろう。
「相変わらず独創的で、誰にも真似できないね。でも、どうして絵を描こうと思ったの? 本の挿絵にでもするのかな?」
そう聞くと、ニカは待ってましたとばかりに満面の笑みを浮かべる。
「あのね。貴方さえ良ければ、見てほしいものがあるの」
彼女は立ち上がると、小さな棚の前に移動し、引き出しの中から紙の束を取りだした。本人は真面目な顔をしているつもりだろうが、得意げな様子が隠しきれていない。
ニカは私の横に座ると、書類を両手で差し出す。
一連の動作が可愛くて、私は目を細めた。期待に満ちて輝く瞳、上気した薔薇色の頬、君はなぜこんなにも、私の心を惹きつける?
もちろん、表情には欠片も出さず、私は書類に目を走らせた。『はろうぃん』という聞き慣れない単語があるが、要するに庶民向けの仮装パーティーらしい。使う土地の権利や参加条件、費用に加え、予想される人出や警備の数など調査も全て済んでいるようだ。
「なるほど、ニカがこの数日こそこそしていたのは、この計画を形にするためだね?」
「こそこそって、そんな! でもラファエル、貴方の印象はどう?」
キラキラした目で嬉しそうに見つめられたら、たとえ穴だらけの企画でも通してしまいそうだ。それに今回は、初めから秘書官の手を借りている。そのため、特に問題となりそうなものはなかった。
ある文言を見つけた私は、わざとニカに問いかける。
「非常によくできているね。だけどごめん。ここの部分がよくわからない」
「……え?」
驚く表情さえ愛しくて、つい頬が緩む。意味の注釈もつけ、完璧にできたはずなのにと、不思議に思っているのだろう。
しかし私は、何食わぬ顔である一点を指さす。
「この文句。トリック・オア・トリートって?」
「え? ええっと、すぐ側に意味を書いたと思うんだけど……」
ニカは私にぴったりくっつくと、書類に目を落とした。彼女の艶やかな黒髪から、薔薇の良い香りが漂う。柔らかな肌は白く瑞々しい。手を伸ばして抱きしめたいのを我慢して、私は彼女の次の言葉を待った。
「ほら、この下にちゃんと書いてあるじゃない。『お菓子をくれなきゃいたずらするぞ』って」
白く細い指が、その一点を指し示す。すでに目を通していることは、黙っておこう。
「いたずらって?」
「それは……怖がらせるとか大声を上げるとか、いろいろと。もちろん、近所迷惑にならないように注意するわ。だけど、大抵は何かお菓子をくれるはずよ。そのための支出があるけれど、予算はかなり抑えたし」
「君はなんの仮装をするつもり?」
「まだよ。これから考えようと思って」
「そう。で、この文句はどんなふうに口にするのかな?」
ニカが身を引き眉根を寄せる。
私の意図を図りかねているのだろう。
「そのままよ。『トリック・オア・トリート』」
「それだと意味がわからず、子供達には難しいかもしれないね」
「あら。だったら、『お菓子をくれなきゃいたずらするぞ』の方がいい?」
「いたずらで」
「……はい?」
ニカがキョトンとする。
鈍い彼女は、本当に愛らしい。
「ええっと、そんな言葉は返さないの。トリック・オア・トリートと言われたら、お菓子をあげたり、ハッピーハロウィンと言ったり」
「ニカ、もう忘れたの? その文句は、我が国では知られていないだろう?」
「あ、そっか。じゃあ、お菓子をくれなきゃいたずらするぞ」
「いたずらで」
「……へ? 違うわ。これは……」
「いたずらがいい」
「いえ、これは決まり文句だから、実際に選んでとかそういうわけではないの」
「でも私は、君にならいたずらされたいな」
長椅子の肘掛けに肘をつき、ニカを見つめてけだるく微笑む。
目をまん丸にして息を呑んだ彼女の顔が、みるみる赤くなる。
「なっ……バ……」
ようやく意味がわかったのか、動揺して開いた口を慌てて閉じるニカの様子が、可愛い。そんな彼女を、私はたまらず長椅子の上に押し倒す。
「待って、ラファエル! 説明がまだ……」
「大丈夫、理解したよ。なかなか面白そうな試みだね。当日が楽しみだ。私は当然、いたずらを選ぶよ」
「いや、だから違うって。選ぶとかそういうことじゃなくって……」
書類に不備はなく、もちろん理解しているよ? ニカが愛しくて、からかいたくなったのだ。
私は彼女の唇をキスで塞ぎ、全ての言葉を封じ込めた。
ニカ自爆(^◇^;)。
ラファエルは大満足♪




