天使の正体
書籍発売記念(祈念?)に書きました(〃'▽'〃)。
ラファエル視点です。
ある日の昼下がり。
白いテーブルの上には香り高い紅茶と、さくらんぼの入ったタルト。果汁たっぷりのジュレやハート型のサブレが並ぶ。それらには目もくれず、両手で持ったカップを見つめて思案しているのは、我が愛しの妻、ヴェロニカだ。
珍しく時間が空いた私――ラファエルは、ニカとともにお茶を楽しんでいる。
先ほど彼女は、「この前行った孤児院に、遊び道具を寄付したい」と口にした。そこで私は、「王家として特定の団体には寄付できず、購入するにしても手続きが必要となる」と告げた。
彼女の立場で店から玩具を調達すれば、その店は『王家御用達』とみなされてしまう。以降は価格が上昇し、ますます入手困難になるだろう。業者同士、競争の激化も予想される。
頭から反対するつもりはないし、私も寄付には賛成だ。王家の名を出さずに『匿名』という方法もある。教えようと口を開きかけたところで、ニカが別の提案をした。
「それなら、絵のコンクールはどうかしら?」
「コンクール?」
顔を上げたニカの言葉に、私は眉根を寄せる。
彼女は絵がそれほど……いや、全く得意ではなかったはずだ。寄付から一転、そんな話を持ち出すとはどういうことだろう?
「王家の名前で、特定の孤児院に寄付をするのはダメなのよね。じゃあ、イベントならどう?」
「イベント?」
「ええっと……行事のことよ。コンクールは……」
「意味は知っている。だけど、話がどんどん大きくなっているね?」
ニカによると、我がノヴァルフ国には娯楽が少ないそうだ。特に平民の子供は親の手伝いが主で、これといった楽しみがないのでは、と案じている。
ちなみに以前、「読み書きは教会や領主の館で教えている」と話した時に、「運動会はないの? あれなら楽しめるのに」と言っていた。運動会ってなんだろう?
「そうね。でも、絵のコンクールという名目なら、絵の道具を堂々と寄付できるわ。それに年齢や性別、身分を超えて参加できるって素敵じゃない?」
黙って耳を傾ける私に、ニカは続けた。
「余った画材は置いておけばいい。その後も使えるし、子供達の将来に繋がるかもしれないわ」
「子供達?」
「そうよ。コンクールといっても真面目なものでなく、お祭りみたいにしましょう。肩の力を抜いて、小さな子でも楽しめるような」
「お祭り……ねえ。それで将来、とは?」
「一生懸命何かに取り組めば、自信に繋がると思うの。頑張る子供を大人が応援する。あわよくば絵本の挿絵に……とか、考えてないから。まあ力作があれば、お願いしてもいいわね。描かれた絵を集めて、王子の貴方が審査する。子供部門と大人部門に分けて、賞品を出してもいいし。で、この案どう思う?」
結婚後、ニカは常に『この国のため、自分にできることはないか』と、模索している。
彼女にはそれなりの裁量を与えているし、手に余るなら臣下に命じればいい。優秀な彼らが、最善の方法を考え出してくれるはずだ。
けれどニカは、今回も私の意見を聞きたがる。そんなところが可愛くて、つい目を細めた。
目の前の紅茶より、私の顔色が気になるニカ。上目遣いのその表情が、すごく愛らしい。
自覚していない分余計に可愛く思えるので、気を抜くと私の頬が緩んでしまう。そのため、わざと厳しく尋ねた。
「詳しく説明してくれるかな。場所や規模はどの程度? こちらで準備するものは? それによって返答も異なってくる」
「あ、そうね。私ったら……」
得意げな表情が、一瞬にしてしゅんとなる。いや、だから君は、どうしてそんなに可愛いんだ?
ニカの説明を要約すると、こうだ。
――『絵画コンクール』なるものを王都で開催。誰でも参加可能にし、好きな絵を自由に描いてもらう。紙や絵筆は貴重だし、顔料も入手しにくい。そこで教会や孤児院を会場として、王家の名前で道具を寄付。コンクールに参加する者は、その場で必要な絵の道具を借りれば良い。
それなら一度きりのことだし、コンクール終了後はそのまま置いておける。純粋な遊び道具ではないけれど、絵なら屋内外で描けるから、今後大人も子供も楽しめるのではないか? と、そう考えたらしい――
成功すれば、地方に展開していくつもりだと言う。彼女はやはり頭がいい。これも前世の知識だろうか?
「わかった。私の秘書官を一人付けよう。詳細はその者と詰めてくれ。良い考えだと思うよ」
「本当?」
ニカは胸の前でパチンと手を合わせると、嬉しそうに頬を染めた。赤い瞳が、極上のルビーのように輝く。その愛くるしい表情を見て、私はこの後執務があることを心から恨んだ。
絵画コンクール当日――。
からりと晴れて、春先の爽やかな風がそよぐ。
ニカが「行きたい」と言うので了承し、私も同行することにした。彼女は肩までの茶色のかつらを被り、白いブラウスに緑色のスカートとベスト、茶色のブーツに白い帽子という町娘のような恰好をしている。本人は変装しているつもりらしいが、スタイルが良いのですごく目立つ。今日も彼女は美しい。
私も同じように、町人の一般的な服装にしてみた。生成りのシャツに焦げ茶のパンツと上着、前髪は下ろして眼鏡をかけ、帽子を目深に被る。仕度を終えて迎えに行くと、なぜか彼女が赤くなる。
「め、眼鏡男子……。いえ、帽子も似合いすぎだわ。どんな姿でも素敵って、ずるい」
よくわからないが、褒められているのかな?
「ニカも、すごく綺麗だ」
「ラファエルったら、そればっかり」
信じていないようだが、私はニカを見るたびそう思う。外面はもちろんだが、内面から滲み出る彼女の優しさや美しさに、いつも目を奪われる。
用意された小さな馬車に乗った私達は、会場の一つである王都の教会に向かった。
絵画コンクールを開くと事前に告知していたため、教会内部は混雑していた。大人と子供が交じり合い、初めて使う画材や道具に四苦八苦している。そうかと思えば絵師顔負けの腕前の者もいて、キャンバスの上に手慣れた様子で女性を描く。その人は、息を呑むほど美しい。だが、この顔は……
絵に集中する者がいれば、仲間とはしゃぐ者もいる。総じて賑やかだが、報告によるとどの会場でもこんな感じらしい。
「上手ね。素晴らしいわ!」
「あら、可愛い」
「ここまで描けるなんて、すごいですね」
ニカは人々の間を回り、気さくに話しかけていた。もちろん身分は隠しているし、側には町人の恰好をさせた護衛が控えているから、あまり心配はしていない。
ニカに褒められた者は、初めは怪訝な顔をするが、彼女の笑みを見てその言葉に嘘がないことを悟ると、照れたように笑う。構図や画法について延々と説明する者もいたけれど、彼女は嫌がらずに最後まで聞いていた。
――やれやれ。どんな恰好をしていても、君は人の心を掴むのが上手いな。
彼女の正体に感づく者もいたようだが、「こんなところに来るのはおかしい」と考え直したらしく、首を振って絵を描く作業に戻っていた。確かに王子とその妃が来ていると知られれば、コンクールどころではなくなる。教会や関係者に固く口止めしておいて良かった。
次に向かった孤児院でも、絵に取り組む人の様子はほぼ同じ。違うのは、近所の住人と仲良くする子供達の姿だ。彼らのはち切れそうな笑顔を見て、ニカは喜ぶ。
木炭で顔を真っ黒にした男の子が近づいた時も、ニカは全く気にせず、その子の頭を撫でていた。男の子は木炭を使い、飾ってある天使を描いたらしい。黒い手で時々顔を拭うため、握った紙も顔も汚れている。
「こんなに素敵な絵を描けるなんて、羨ましいわ」
「そうかな。よく描けてる?」
「ええ、私より上手よ!」
私は苦笑した。ニカの言葉は本当で、小さな彼の絵の方が、対象物がはっきりわかる。ニカの画力は……まあ、言及は避けておこうか。
他の子も褒めてもらいたいのか、気づけばニカの回りは完成した絵を持った子供達で溢れかえっていた。どの子も得意げに、描き上げたものを彼女に披露しているようだ。
「これ、天使様を描いたの」
「私も。見て!」
「本当ね。すごく丁寧に描かれているわ」
一人一人に笑いかける彼女の姿は神々しく、私の胸は愛しさと誇らしさでいっぱいになった。今のニカがここにいる私を忘れ、子供達との語らいに夢中になっていたとしても。
帰りの馬車の中で、彼女はある疑問を口にした。
「題材は自由……だったはずよね?」
「ああ、もちろん。君が提案した通り、制限は設けていないよ。人物でも風景でも空想上のものでも、描きたいものを描けばいい。みな、思い思いに取り組んでいたようだけど?」
「そう? それにしては『天使』の絵が多かったような……」
「まあね。我が国で一番尊敬されているのは、天使だから」
「ええ、それはわかるの。でも、黒髪の天使なんていたかしら? 代々の王にも、黒髪の方はいらっしゃらないわよね?」
「ああ。でもそれは……」
私は微笑み、隣に座るニカの肩を抱き寄せた。
――我が国の民は、審査委員長である私の喜ばせ方を知っている。当の本人だけが、気づいてないとはね?
私が愛妻家であることは、広く知れ渡っている。隠すつもりはないから、別に構わない。
そのため妃となったニカの人気はうなぎ登りで、一部地域では『始まりの王』をも凌ぐ。描かれた彼女に羽があるのは、そのせいだろう。
首を捻るニカを見つめながら、私は再び笑みを浮かべた。
「ねえ、ニカ。子供が好きなら自分の子供を持つのはどう?」
「なっ、ラファエル。それって……」
天宮に戻ったら、この可愛い天使にじっくり教えてあげよう。誰よりも愛していると、言葉よりも態度で示して。