思い出がいっぱい
ヴェロニカの結婚前々日。
本編を少し遡ります(o^-^)。
「いよいよね」
私は呟く。
……といっても、もちろん婚約破棄などではなく、むしろ逆。明日から私は、準備のために天宮へ行く。住み慣れた公爵家で過ごすのが、いよいよ最後という意味だ。
私はマリッジブルーとは無縁の性格らしく、妃となる重責よりも新生活への期待にワクワクしている。「脳天気」と言ってしまえばそれまでだけど、彼とは幼なじみで気心の知れた仲。二日後の挙式は待ち遠しくもある。反面、十八年間育ってきた我が家を離れることを思うと、一抹の寂しさを感じるのも事実だ。
「せっかくだから、お別れをしておこうかな」
私は生まれ育った家を、順番に見て回ることにした。
まずは外――。
吐く息が白くなるほど寒い朝、私は赤いコートを羽織って庭に出た。薔薇が自慢の我が家だが、この季節には冬薔薇がまばらに咲く程度。代わりにクレマチスやアネモネが、目を楽しませてくれる。
そんな花壇の向こう側――庭を臨む緑の葉の陰で、私はあの子と出会った。
『ねえ、何してるの?』
『何って……ちょっとね。忙しいから、邪魔しないでくれる?』
当時を思い出し、初対面であれはないなと苦笑する。ラノベ通りの悪役令嬢になろうと、日々偉そうな口調を心がけていた私。一方、小さなエルはどこから見ても可憐な美少女だった。私はラノベにない展開に、少女をモブだと決めつけて威張ってしまったのだ。
目を細め、花壇の奥まで歩いた私は緑の葉に手を触れる。
――ここから眺めた庭を、エルと二人で穴だらけにしたっけ。ソフィアとエルと私の三人できゃあきゃあ走り回ったこともあった。『血のり爆弾』の上に転んだエルの巻き添えをくらって、私も真っ赤になったわね。
「ふふ」
口元には自然と笑みが浮かぶ。
小さな私達にこの庭は広く、走り回るには十分だった。逃げるソフィアはなかなか掴まらない。
しかし今、改めて見る庭は狭く感じられる。あの日隠れた植栽は低く、地面に開けた穴は痕跡すら残っていない。いたずらばかりのあの頃ならまだしも、大きくなった私が走れば、侍女のサラが驚いてすぐさま飛んでくるだろう。
「大人になるって、そういうことなのね」
ふと、言いようのない感情がこみ上げる。どんなに懐かしく思っても、子どもの日々はもう戻らない。みんなそれぞれ成長し、大人になったのだ。
記憶の中を彷徨えば、あの日のサラが勝手口の扉を開ける。
『まあ、お嬢様ったら! ……よその子に変な遊びを教えないでくださいね』
その日私は、一緒にどうかとエルを湯浴みに誘った。きっぱり断られて、がっかりした覚えがある。
「理由は、今なら納得できるけど」
誘った私より誘われたエルの方が驚いただろう。決まりがあるため、「性別が違う」と口にするわけにもいかない。汚れは光の魔法を使って、浄化すれば済むことだ。
「知らなかったこととはいえ、私ったら恥ずかしいわね。まあ、今のエルなら誘えば喜びそうだけど?」
皮肉っぽい考えに驚き、私は頬に両手を当てた。
――未婚なのに、こんなことを考えるなんてはしたないわ! でもそれも、明日で終わるのね。
大人になるのは、何も悪いことばかりではない。愛する人と一緒に暮らす喜びを、手に入れることもできるのだ。
庭を振り返れば、元気な少女の姿が目に浮かぶ。幼い頃の私達は、確かに笑っていた。
冷たい風が吹きつけたため、私はコートの前をしっかり握り、屋内に戻る。
家の中にも思い出がいっぱい。
食卓で目の前に置かれたのは、マスタードをたっぷり塗ったパンケーキ。勧められるまま、唐辛子入りの水を飲んだこともあった。思えばひどいいたずらだけど、自業自得なので仕方がない。
隠れた続き部屋では、うっかり寝てしまう。そんな私を見ておきながら、隣のエルは知らんぷり。二人でワルツを練習した広間も、今はひっそり静まり返っている。
階段を上りドアを開けた。
私は自分の部屋の書き物机に、視線を向ける。
その横の壁には、彼が描いた私の似顔絵。飾っているのはナルシストだからではなく、絵の印象に少しでも近づくため。実物より何倍も美化された絵に、いつかはこんなふうになりたいと、当時私は考えた。
絵の中の私は、今日も幸せそうに笑っている。
「彼の描いたヴェロニカに、私は近づけた?」
成長し、スタイルはよくなったと思う。子供の頃に比べたら、顔も悪役令嬢っぽく美しく……って、悪役は関係なかった。ただうっかり口走っても、彼なら肩をすくめて笑ってくれそうだ。
私がラノベの世界を語ったのは、後にも先にもエルにだけ。あの日の自分に将来の相手を教えたら、きっと嘘だと笑い飛ばすだろう。
私は絵の表面をそっと撫でた。
想いはいつでも彼の元へ飛ぶ。
――婚礼衣装を着た私を見て、彼は笑ってくれるかしら。いつものように「綺麗だ」と、褒めてくれる?
思い出の中、私の隣にはいつも彼がいた。
紫の瞳は私を映すと嬉しそうに煌めき、形の良い唇は面白そうに弧を描く。もちろん私も。彼の姿を見れば胸が高鳴り、彼のことを考えると心が温かくなる。
ふいにある考えが頭を占め、ひとり笑みを浮かべる。
――私達はこの先も、一緒にいられるのね。
その日の夜。家族に挨拶を終えた私は、部屋のベッドに横になって、またもや彼のことを考えていた。
「まあ、結婚するといっても遠慮の要らない仲だし? 王族だからって気を遣わなくていい……」
――いや、ダメでしょう。
頭の奥でツッコむ自分の声を聞く。
眠れない夜を過ごすかと思いきや、私はいつの間にか夢の世界へ誘われていたようだ。
ウェディングドレスを見て喜ぶラファエルが、本番で私を困らせることになるとは、それこそ夢にも思わずに。




