水宮の牢獄 4
ラファエルが私を連れて来たのは、奥の特別室――といっても、もちろん牢獄だ。今は誰も収容していないらしく、水も出ていない。けれどこの場所は天窓から光が射しこんでおり、他とは随分趣が違っている。
中にはソファやクッション、ふかふかのベッドが置いてあり、なかなか広い。ここなら長くいても、快適に過ごせそうだ。
「水が出ていないから、まるで普通のお部屋みたいだわ」
「そうだね。ここが牢獄内で一番いい場所だ。ニカは公爵令嬢だから、入るとしたらここだったかな」
「やっぱり覚えていたのね。ねえ、中に入ってもいい?」
「どうぞ。何なら水も出そうか」
「そんなことができるの? 魔法石のある部屋は別の場所でしょう?」
「私にとっては造作もないことだ。ほら」
ラファエルが両手をかざすと、みるみるうちに上から水が零れ落ち部屋を囲む。水の勢いが強くて、当然ながら外は見えない。けれど、天窓から入る光を水の壁が弾くため、思った以上にキラキラしていた。
「綺麗だわ。牢獄じゃないみたい。ここならずっといられるかも」
私はうっとりと辺りを見回した。今いる状況を、せっかくなのでしばらく楽しんでみようと思う。もちろん危ないので、水壁には触れない。
『ブラノワ』を思い出して、いろいろ想像してみた。孤高のヴェロニカは、何を思ってここで過ごしていたのかしら? 自分のした酷い行いを、彼女はちゃんと反省したの?
私は私。牢獄に入ったヴェロニカではないから、彼女の気持ちはわからない。以前は彼女に憧れていたけれど、今となってはそうでもない――むしろ悪事を働けば、後々自分が苦しむことになると、忠告してあげたいくらいだ。
この部屋は綺麗だけれど、向こう側が全く見えない。水の音で外界の音も遮断されているため、心細く息が詰まる。いくら豪華で広くても、この場所は寂しかった。犯した罪を反省するだけの日々、好きな人の顔もほとんど見ることができない状況なんて、私にはきっと耐えられなかっただろう。
前言撤回――水宮の牢獄にはいられない。本物の悪役にならなくて、本当に良かった。
「ラファエル、もういいわ。気が済んだから、ここから出して」
彼の返事はなかった。
もしかして、私の声が聞こえていないの?
「ラファエル、ラファエルったら! お願い、水を止めて」
大きな声で叫んでみた。
だけど、相変わらず何も聞こえない。
おかしいわ。まさか私を置いて、どこかに行ったんじゃあ……
水の勢いが強いので、壁をくぐる勇気はない。身体の一部を失うなんて、絶対にお断りだ。もしや再び魔法石に異常が見つかり、直しに行ったの?
不安に駆られた頃、ようやく彼の声が聞こえて来た。
「ねえ、ニカ。牢獄なんてあまりいいものではないだろう?」
「ええ。入らなくて良かったわ。わかったから早く出して」
「さて、どうしようか? 誰にも会わせないように、このまま君を閉じ込めたいけど」
「もう! 冗談なんて言ってないで早く!」
昔の私なら、ラノベ通りの展開になったと怯えていたことだろう。けれど今の私は、この世界がラノベではないと知っている。ずっと一緒に過ごして来たラファエル、彼が私を酷い目に遭わせる気がないことも、ちゃんと理解していた。
「冗談……か。そうだね、これだと君と触れ合えない。だから、水の勢いを弱めてみるよ。どう?」
水の流れがかなりゆっくりとなったため、向こう側にいるラファエルの顔がぼんやり見えるようになった。例えて言うなら、雨が叩きつける窓の両側でガラスを挟んで向かい合っているような感じだ。
「ラファエル……」
「ニカが昔語ったのは、このことだろう?」
「ええ」
彼は覚えていてくれた。私の憧れをバカにせず、丸ごと受け入れてくれている。
途端に愛しい気持ちが溢れ出し、私は彼の顔に向かって手を伸ばした。冷たい水が指に触れ、手首を伝って落ちる。ラファエルは、そんな私の様子を見てクスリと笑うと、同じように手を伸ばす。
――水壁越しに重なる手と手。触れそうでそれ以上触れられない距離。好きな人の顔をはっきりと見たいのに、それすら叶わない。
だってこれ以上近づけば、確実にびしょ濡れになってしまう。
水壁越しでも、ラファエルは綺麗だった。金色の髪と紫色の瞳、私に触れるあの頃よりも大きな手。けれど、ぼんやりとしか見えないから、なんだか切ない。
憧れていた場面でも、こんな場所は嫌!
私は、水の向こうの貴方に触れたいの。
ラファエルを想い胸が苦しい。でも彼は気づかずに、手を引っ込めてしまう。行き場のなくなった私の手が、温もりを求めて流水をくぐる……はずなのに!?
「これ以上伸ばせないわ。見えない壁があるみたい。どういうことかしら?」
「そりゃあ一応、牢獄だからね? 魔法障壁があるから、すぐに出られるわけがない」
「そうなの。それじゃあ、看守が魔法石で水の勢いを弱めても……」
「君の夢を打ち砕くようで悪いけど、脱獄はまず無理だろう」
「知らなかったわ」
危ないところだった。
たとえ悪事を重ねてここに入ったとしても、事情を知るジルドは脱獄の準備すらしてくれなかっただろう。それなら彼とのじれじれラブは、最初から幻だったのね?
水宮の牢獄に来たことは後悔していない。
だって私はもう……
「ありがとう、ラファエル。私の夢を再現してくれて」
「どういたしまして。それで? ニカ、君はもういいの?」
「いいって何が?」
「ジルドのことは、諦められた?」
ラファエルの表情が読み取れない。
彼は今、どんな顔をしているのかしら。怒った顔、冷静な様子、それとも、からかうように笑みを浮かべている?
「ラファエルお願い。ここから出して」
「可愛くお願いされたら仕方がないな。ほら、おいで」
一瞬で水の壁は消え去る。
気がつけば私は、ラファエルに引っ張られて彼の腕の中に閉じ込められていた。見上げた彼の表情は、いつもより真剣で。彼はまさか……
「ねえ、ラファエル。もしかして貴方、ジルドに嫉妬しているの?」
頬がサッと赤くなる瞬間を、私は見逃さなかった。ラファエルにしては珍しい。それなら彼は、いつでも自信たっぷりってわけではないのね?
「そうだと言ったら? ジルドは既婚者だが、ニカの憧れでもある。君が想い続けた年月に、私は勝てない」
彼の言葉に、私は胸が熱くなるのを感じた。ムッとするラファエルは、拗ねているようでなんだか可愛い。
ラファエルがジルドに職を与えたのは、たぶん私から遠ざけるため。彼が結婚したと聞き、安心して看守の職を与えたのだろう。だけど私の反応が気になるので、敢えて今日ここに連れて来た。現実を見せるために。
本当に彼は、私のことがすごく好きなのね。
でも想いなら、私も負けてはいない。大好きな人の頭を引き寄せた私は、つま先立ちをして耳元にそっと囁く。
「ねえ、ラファエル。ここに来てわかったけれど、私はジルドというよりこの場面に憧れていただけ。牢獄もジルドのことももういいの。私が好きなのは貴方よ。これからも、貴方の一番近くにいたい」
「ニカ!」
ラファエルに、痛い程強く抱き締められてしまう。苦しいけれど心地良く、好きな人の鼓動が私のそれに重なる。
「ニカ、愛してるよ」
「私も、愛しているわ」
水宮の牢獄を訪れたことは後悔していない。看守に惹かれるはずなどなかったのだ。
だって私はもう……とっくにラファエルに囚われていたのだから。
放っておくと、すぐにいちゃいちゃ。
(=´∀`)人(´∀`=)。




