エルとの出会い 5
好意を抱くヴェロニカとジルド。けれど彼らの関係は、囚人と看守だ。近くにいるのに触れてはいけない。恋に落ちてもどうにもできず、告白なんてもってのほか。立場と距離に二人は苦しむ。
ある夜、看守のジルドは同僚の目を盗み、魔法石でコントロールされている水の量を調節する。彼の大事な人が、『水宮の牢獄』から逃げ出せるように。けれど、ヴェロニカは首を横に振る。自分を逃がしたせいで愛する人が犯罪者になってはいけない、と。彼の想いを知るからこそ、自分は牢から出られない――
「水壁越しの恋。そして、弱まった水を通して初めて重なる手と手。触れそうで触れられない距離に、切なく苦しむ二人。ああ、胸が躍るわ!」
エルはポカンとしている。
まあね、こんな子供にじれじれラブを説いても理解できないでしょうね。
だけど私は憧れる。きっとそれが大人の恋だ。互いを思いやるからこそ、好きだと言えない二人。じれラブ最っ高、じれラブは正義!
「でもね、最後は白薔薇ソフィアの頼みを聞き入れた王子が、二人をこっそり国外に逃がしてあげるの。ヴェロニカとジルドは、そこで仲良く暮らしてめでたしめでたし。どう、いい話でしょ?」
私はふんぞり返った。伊達に何度も『ブラノワ』を読み返してはいない。所々破れたページや汚れて読めない箇所があったけど、番外編は無事だった。本編を終わらせれば、この通りになるだろう。
私は贅沢な生活なんて望んでいない。ソフィアのことを好きになる王子に、最初から興味はないのだ。私は私のことを愛してくれる人と、普通の生活を送りたいだけ。
「何というか、すごい話」
神妙な面持ちのエルが、私にそんな感想を漏らす。
「話って言わないで。これから現実にしていくのよ!」
そのために誕生日の今日、ソフィアに水をかけたのだ。そのせいで誕生会がなくなったけれど、ストーリーを進めるためなら仕方がない。なのに、肝心の王子がまだ来ていないなんて!
「それなら、今すぐ牢獄に行けばいいよね?」
「バカね、今行ったとしてもジルドはいないわ。それに、こんな子供の姿でどうしろと? 最短でも、あと十年は待たなければ無理なのよ」
「長すぎない? そんなに待つなら、諦めた方が……」
エルに向かって私は肩を竦める。
「せっかく夢見た世界に憧れの姿で転生できたのに、どうして諦めなくてはいけないの? 大人の私はすこぶる美人になるのよ。ジルドとの恋も全うできるくらい、スタイルも良くてすごいんだから!」
可憐なヒロインと対照的にするためなのか、悪役令嬢ヴェロニカは美しく艶やかに描かれていた。
「へえ、美人になるんだ。それは楽しみ」
エルったら、女の子同士だし関係ないのに変なの。
それに私が美人になるのなら、彼女の方がよっぽど綺麗になると思う。可愛いだけでなく、よく見れば整った顔立ちだ。でも、そんなに美しいモブってやっぱり思い浮かばないんだけど……
別にいいか。彼女はモブだから、急に出番がなくなるのかもしれない。
だって、ここは私の読んだ『ブラノワ』そのものの世界だ。国の名前や登場人物の名前、世界観もちゃんと合っている。それなら、番外編も絶対にあるはず。
ヴェロニカは、悪役令嬢だけど死刑にはならない。だから無理にいい人になる必要はなく、性格を変えなくてもいい。本編ストーリーを回避しない方が、確実に番外編に進める。そりゃあ今は子供だから、十年がかりの長期計画にはなるけれど。
――番外編の主役は私。
私が自分の人生の、ヒロインになれるのだ。誰も私を無視しない。バカにされ笑われたとしても、待てば幸せな未来が約束されている。
孤高のヴェロニカも、ジルドにだけは心を許す。十歳年上の包容力のある大人の方が、自分には合っていると思う。たとえ時間がかかっても、本編をまともに終了させて番外編を目指したい。
「絶対に諦めないわ。悪役をしなくちゃいけないから、弟子の貴女もちゃんと協力するのよ?」
私の言葉にモブの少女エルが、首を可愛らしく傾げる。
「具体的には、何をすればいいの?」
「そうねぇ……義妹のための準備を手伝って」
「準備?」
「そう。今日ソフィアは王子と出会うの。無事につまずいて転べるように、地面に穴を掘るわよ!」
初めての出会いの後、優しく話し相手になってくれたお礼を言うため、ソフィアが王子に走り寄るのだ。その時誤って転んでしまう。だけど、幼いながらも王子が無事にソフィアをキャッチ。互いに顔を赤くする微笑ましい二人。
王子が現れる気配はない。
だったらまだ間に合う。
確実にソフィアを転ばせないと!
私は念には念を入れ、庭に小さな穴を掘っておこうと考えた。
「どの辺? というより、穴なんて掘ったことがないんだけど……」
「私もよ。でも、目的のためなら手段を選んでなんていられないの」
悪役っぽくカッコよく言ってみた。庭師のスコップを見つけて地面に穴を掘るだけなのに、何だか重要な使命を帯びているみたい。
自分が一つ持ち、エルにもスコップを渡す。彼女は珍しそうに、キョトンとした表情でそれを眺めている。スコップを触ったことがないとは、彼女もやはり貴族のようだ。
ヒロインが、どこで転んだという描写はなかった。だから私達は、手当たり次第庭に浅い穴をあける。途中から楽しくなってきて、競うように掘った。こっちの方が丸くて綺麗だとか、深さがちょうどいいとか自慢したり笑い合ったりして。二人で調子に乗ってしまった結果、気づけば互いにドレスはドロドロ、庭中がボコボコの穴だらけに……
「さすがに十分だと思うわ。こ、ここまで掘ろうとは思っていなかったのだけれど」
立ち上がりながら額に滲んだ汗を拭う。悪役令嬢ともあろうものが、モブ相手についムキになってしまったみたい。多くの穴があき過ぎて、モグラたたきのモグラもびっくりな状況だ。
「ニカのおかげで楽しかった。また遊ぼうね」
迎えが来たらしく、エルも立ち上がった。渡したスコップを返してもらおうと、私は慌てて彼女に走り寄る。けれど……
「ああっ」
「危ない!」
とっさに腕を出し、エルが私を支えてくれた。ギリギリセーフ。地面への激突は避けられたようだ。私より背が低くて小さいのに、エルは意外に力がある。
「ごめんなさい」
自分で掘った穴に自分でつまずくなんて恥ずかしい。私の顔は、たぶん赤くなっているだろう。照れる私を見ながら、エルが笑みを浮かべた。
「いいよ。ニカに怪我がなくて良かった」