水宮の牢獄 3
ときめきよりも驚きのあまり、くらくらしてしまう。だって番外編でもないのに、このタイミングで彼に会うとは! しかも、ラファエルはジルドを前から知っているような口ぶりだった。そして、ジルドは……
なんだかちょっと、丸くない?
「初めまして。ジルド=バルザックです。貴女がローゼス公爵閣下のご長女、ヴェロニカ様ですか」
「え? ええ、まあ。初めまして」
会ったこともないのに、彼はどうして父や私の名前を? いえ、それよりもこれっていったいどういうこと? 挿絵ではスマートで渋いはずのジルドが、なぜか丸っこくて人のいいおじさんになっているのだ。
鳶色の髪と黒い瞳はラノベの描写と一緒。頬に傷があることもイケメンなのもそっくりそのまま。だけど、陰のあるはずの表情は明るくて、がっしりした細身はふっくらぽちゃっとしている。体形に偏見はないけれど、これではあまりにも違うような。
固まったままの私を見て、ジルドが口を開いた。
「お父上には大変お世話になりました」
「ち、父に?」
動揺のあまり声が裏返ってしまう。
いけない、ラノベと異なるからってこんな態度は良くないわ。初対面なのに失礼があってはいけない。気をつけなくちゃ。
「立ち話も何ですので、お待ちの間あちらの部屋をお使い下さい。ジルド、くれぐれも失礼のないようにな。すみません、私はこれで」
看守長はそう言うと、先ほどラファエルが向かった方向に慌てて走って行った。後に残されたのは私とクレマン、そして看守のジルド。
ジルドは私とクレマンを別室に案内してくれた。座るなり、彼が感謝の言葉を述べる。
「お父上とラファエル王子には、大変お世話になりました。いくらお礼を言っても言い足りません。本日はお二人に縁の深い貴女様をお迎え出来て、大変光栄です」
「ええっと、どういうことなのかしら?」
私の憧れていた人が二人と知り合いだったなんて、今までに聞いた覚えがない。けれど目の前にいるジルドは本物で、その彼が父にもラファエルにも感謝しているのだとか。全くわけがわからない。
私は早速、ジルドの過去を聞いてみることにした。
「差し支えなければ教えて下さい。貴方はいつからこちらへ?」
「各地を転々としていた俺……いえ、私がこの国に入ったのは、戦いに嫌気がさして生きる希望を失っている時でした」
「それっていつ……」
「三年ほど前でしょうか? その時、私に仕事を紹介して下さるという方から、推薦状をいただいたのです」
確かにジルドは傭兵上がりだ。
お金のために戦いに明け暮れ、幾度も死線をくぐり抜けてきた。彼の陰のある表情や頬の傷、渋さはそこから来ている……はずなのに。にこにこしながら話す彼に、陰は微塵も感じられない。それに、推薦状とはどういうことだろう?
「始めは半信半疑でした。入国して間もない私が、天宮で職にありつけるなんて。しかもローゼス公爵の下で働けるとは、思ってもみませんでしたから」
「父の?」
「はい。国外での経験と傭兵の腕を買われて。主な仕事は情報を集めることです。最近は国外で、ある令嬢の救出作戦に参加しました」
「もしかして、攫われていた令嬢ですか?」
「ご存知でしたか。もう国には戻れないと泣く彼女を、連れて帰る役目です」
あ、なんか展開が読めてきた気がする。ジルドは弱った者を見過ごすことができない性格で、そのため牢に入ったヴェロニカに心から同情するのだ。一見とっつきにくい風貌だけど、根は優しい。
「もしかして、その方と……」
「はい、結婚しました。公爵から何か聞かれましたか?」
「いえ、何となく……」
まさか、貴方のことを以前から知っていたなどとは言えない。それにしても、ジルドが既に結婚していたなんて! 奥さんのいる人に、ときめきもへったくれもあったもんじゃあない。
「今の私が幸せなのは、貴女様のお父上のおかげなんです」
「父の? あの、でしたらどうしてここに?」
ジルドのこの体格は、幸せ太りだったのね。でも、父が情報大臣を退くと同時に彼も辞めてしまったのだろうか? 看守よりも元の仕事の方が、確実に給金は良いはずだ。
「それについては、お父上が希望を叶えて下さいました。リリア……いえ、妻の側にいたくて安全な職務を希望したところ、つてがあると。つい最近、こちらに異動してきたんです」
「最近?」
「はい。正確にいえば、ラファエル王子が勧めて下さったそうです」
「ラファエルが?」
段々わかってきたような気がする。
一番最初にジルドに仕事を紹介したのも、もしやラファエルなのでは?
「ええ、一度ならず二度までも。後から聞いた話によると、最初に推薦状を下さったのも王子だったようです。なぜ傭兵だとわかったのかは謎ですが、本当に国民想いの優しい王子様ですね」
頭を抱えたくなってしまう。
ラファエルったら、私が話したジルドの経歴をしっかり覚えていたみたい。ラファエルは秘密主義だ。ジルドのことを知っていたなら、私に教えてくれても良かったのに。
「この国の民となることができて、幸せです。妻のお腹には子供もいますが、生まれて来る子もきっと誇りに思うことでしょう」
「そう……よね。この国で暮らす方が幸せになれる、か」
考えれば少しだけ切ないような。
『ブラノワ』では、ヴェロニカとジルドは手に手を取って国外へ逃亡する。そこで平民として幸せに暮らしました、で終わっていた。でも本当はジルドも、この国を出たくなかったに違いない。彼はヴェロニカのために、安定したここでの生活を棄てたのだ。
ラノベのヴェロニカと私は違う。けれど、当初の計画通りだとしたら、私はジルドに苦労をかけていたことになる。自分のことしか考えず、彼の世話になりっぱなしで。
現実のジルドはふっくらしていて明るくて。私の夢見た彼とは違っていたけれど、幸せそうで良かったと思う。
「ご結婚おめでとうございます。それと、お子様も。誕生が待ち遠しいですわね」
私は心から祝福した。
もうジルドに、憧れの気持ちはない。
「ええ、そりゃあもう。貴女様も王子とのご結婚がもうすぐだそうで。本当におめでとうございます」
「ありがとうございます」
胸を張って答えた。
私だって幸福だから。
大好きなラファエル――私は彼と一緒にもっと幸せになるために、これからは現実を見て生きていこうと思う。
生まれて来る子供の名前の候補をジルドから聞かされていたところ、ラファエルが戻って来た。彼の後からやって来た看守長は、ありがたがっているのかかなり腰が低い。
「可愛いニカ。話は済んだ?」
ラファエルは、座っていた私の背後に立つと肩に腕を回して後ろから抱き締めてきた。私とジルドをわざと引き合わせたくせに、ここでベタベタしなくても。私がどう思うかなんて、とっくにわかっていたでしょう?
「ええ。おかげさまで、有意義な時間が過ごせましたわ」
「それは良かった。ニカ、せっかくだから君にも見せてあげようか。看守長、さっきの場所を借りるよ?」
「はい、もちろんです」
「クレマン、書類へのサインは君が。私はニカとの用事があるからね。さあ、おいで?」
私を立たせて手を引くラファエル。
どこに連れて行くつもりなの?
残りあと三話です。
よろしくお願いしますo(^o^)o