水宮の牢獄 1
舞踏会の二日後。私はソフィアとの約束を果たそうと、ラファエルを家に招いた。護衛のクレマンも当然一緒だ。十六歳になったばかりのソフィアに好きな人がいると聞き、父は始めショックを受けていた。
縁談は普通親が用意するもので、恋愛結婚というのは非常に珍しい。社交界デビューの前に相手を見つけるというのも。驚く父に対して、ラファエルと私はクレマンのいい所を力説することにした。
「彼ほど腕の立つ者はいない。私が最も信頼しているうちの一人だ」
「護衛としての態度はもちろん、落ち着いて優しくて、ソフィアのことを想ってくれている。素敵なことだわ」
その甲斐あってか、両親はソフィアとクレマンの交際をすんなり認めてくれた。クレマンの誠実な態度も物を言ったのだろう。ソフィアは相変わらず、彼にべったりだったけど。
意外にも十二歳という歳の差は問題にならなかったみたい。ある程度しっかりしている方が、公爵家を任せられるというのがその理由だ。
この世界では、血筋よりも家長の意見を尊ぶ。能力のない者に爵位を継がせて没落させるより、家名を守ることを第一とするからだ。遠縁がいない場合、一族の長が後継者を自由に指名することもできる。
『ブラノワ』でヴェロニカと別れた王子が、ソフィアとすんなり一緒になれたのはそのためだ。公爵は実の娘のヴェロニカではなく、ソフィアを後継に指名した。貴族の身分を剥奪された義姉に代わり、ソフィアが公爵家の後継ぎとして王家に嫁ぐ。ちなみにその後ローゼス公爵家は王家の預かりとなり、ヒロインとヒーローの二番目の息子が継ぐことになる。
今回もそうすることにしたらしい。父とソフィアに血の繋がりはないけれど、義妹が後継ぎになってクレマンを婿として迎える予定だ。これで公爵家は安泰だし、すごくいいことだと思う。義母は大喜びで賛成していたし、実直で見栄えのいいクレマンにも結構満足しているみたい。
それからというもの、ソフィアと私はすごく仲良くなった。まるで本物の姉妹のように。
義母も最近はギスギスした感じがなくなり、少しずつ優しくなってきている。ソフィアによると、夫婦関係が上手くいっているせいではないか、とのこと。国王の相談役の一人となった父は、近頃家にいることが多い。語らう時間が増えたから、わだかまりも解けたのだろう。
私の実母に対抗心を燃やしていた義母。父が家にいないのは、前妻を愛して自分のことを全く愛していないからだと考えていた。でも実際は仕事の都合で、家族を傷つけたくないとわざと距離を置いていたのだ。
ラファエルを愛した今なら、何となくわかるような気がする。彼女が私につらく当たったのは、父に構ってほしかったから。私が父に言いつけるのを、期待していたのではないだろうか?
だけどいくら父に会いたいからって、継子を傷つけるのは良くない。自分の欲を優先し、人をいじめてはいけないのだ。散々ソフィアに意地悪してきた私が言うのは、おかしいかもしれないけれど。
そんな義母と私に囲まれながら素直に育ったソフィアは、はっきり言ってすごいと思う。
挙式を約二週間後に控えたある日、天宮での衣装合わせと練習を終えて家に帰ろうとしていた私は、ラファエルに呼び止められた。
「ねえ、ニカ。今から水宮の牢獄に行こうか」
「……え?」
ラファエルったら今さら何を?
そりゃあいつかは見学してみたいと考えていたけど、何もこんな時に行かなくても。
「ちょうど用事があるんだ。嫌なら無理に、とは言わない。どうする?」
選択肢を与えられると、余計に困ってしまう。興味がないと言えば嘘になる。でも結婚前に牢獄に行ってジルドに会ったらどうしよう? ラファエル以外の人にときめくはずはないけれど、万が一ってこともある……かも?
迷う私を見て、ラファエルが笑う。
彼は気にしていないみたい。
まあ、ジルドは私の元カレでも何でもないから、気にする方が変よね。それなら行ってみようかな。
「ご一緒するわ。このまま向かうの?」
「ああ。帰りはそんなに遅くならないと思うよ」
「わかったわ」
帰り、と言われたことでホッとする。『ブラノワ』の番外編を熟読し過ぎたせいか、牢獄と聞くと捕まることを連想してしまうなんて、おかしいわね。悪いことも全然……最近はしていないのに。
無理して意地悪をしなくていい。ありのままの自分でいられることが、こんなにも楽だなんて。真面目に勉強していたせいで、お妃教育は苦にならない。挙式の準備や練習で忙しいけれど、それだって好きな人と夫婦になるためだと思えば頑張れる。ラファエルが私を励まし「早く一緒になりたい」と言ってくれるから、私は今の自分に自信が持てるのだ。
天宮から水宮への移動中も、私は馬車の中でラファエルの言葉を思い出して微笑んでいた。
「ニカ、私といるのに考えごと? 余裕だね」
「貴方のことを考えていたの」
「可愛いことを言ってくれる。ほら、おいで」
「ねえ、そこまでくっつかなくても大丈夫よ。寒くないもの」
「寒さは関係ないよ? 私がこうしたいだけだから」
ラファエルは私の腰に腕を回し、自分の膝の上に座らせようとする。慌てて断るけれど、それでも密着し過ぎのような気が。結婚前にこれでは、結婚したらどうなるのだろう?
「仕事で行くのにこんなにベタベタしていていいの?」
「ベタベタ? これではまだ足りない。いい匂いだ。ニカからは今日も薔薇の香りがする」
ラファエルが、私の首筋に鼻を近づける。
高い鼻と唇が肌に触れ、ムズムズしてしまう。
「ねえ、くすぐったいからやめて。薔薇の香りが好きなら、香油をあげるから」
「要らない。ニカ本人なら欲しいけど」
「なっ……」
外には護衛がいるけれど、馬車の中は二人きり。ラファエルのセクハラ発言、本日も絶好調だ。
「ああ、着いたようだね。どうしたの? 顔が赤いけど」
「赤くさせた張本人のくせに」
「それは申し訳ないことをした。でもそろそろ、慣れてもらわないとね」
全く悪びれず、綺麗な顔で彼が言う。現地より移動中の馬車の方が疲れるって、いったいどういうことだろう? まさかとは思うけど、結婚したら公務の度にずっとこれなの?
げんなりしている私を見て、ラファエルが楽しそうに笑う。その表情は子供の頃と変わりはなく、そんな彼を見て私の顔にも笑みが浮かぶ。彼と腕を組んだ私は、水宮の牢獄に向かうことにした。
『水宮』と言うだけあって、敷地内には水に関連したものが多い。裁判所は水色の屋根で柱は白、入り口手前の正面には左右対称の大きな噴水がある。常に大量の水が噴き出しているし、夜になると光るらしい。裁判所というより美術館みたいだと思ってしまった。
そのずっと奥、湖の上にあるのが水宮の牢獄だ。灰色の石造りで趣がある古城といった感じで、牢獄というより別荘のように見える。豪華ではないけれど、外から見る限り過ごしやすそうな。これで牢獄だなんて、贅沢なのではないかしら?
あと少し、いちゃつきます(^_-)-☆




