運命の舞踏会 3
社交界にデビューした時からずっと、私の相手を務めたのはラファエルだけ。他の誰かと踊ろうとしても、その度にラファエルが邪魔をする。彼のリードに慣れてしまった今は、考えなくても自然に身体が動き、滑らかにワルツを踊れた。
笑みを浮かべる王子と真顔の私。私達を見て、ソフィアは何を思っているのだろう?
「ニカ、もう少し嬉しそうな顔をしてくれるとありがたい。もちろん、そのままでも十分魅力的だけど」
ラファエルが私の耳元に唇を寄せて囁く。
甘い声に反応し、つい顔が火照ってしまう。
気をしっかり持たなければ。聞きたいことは山ほどあるのに、まだ何もわかっていないのだ。婚約破棄で私が牢獄に行く話は? ソフィアに約束しておきながら、どうして貴方は義妹を愛していないと言えるの?
曲が終わり礼をすると同時に、私は大広間を見回しソフィアを探す。けれど、踊ろうと出て来た人でごった返しているために、ソフィアの姿がなかなか見つからない。もしかして、ショックのあまり帰ってしまったの? 私はドレスのスカートをつまみ、急いで会場を抜け出した。そんな私を、ラファエルが追って来る。
「待って、ニカ。どうして逃げるの?」
「逃げる? 違うわ。ソフィアが……」
言いかけて途中でやめた。こうなったら、本人に直接話を聞いた方が良さそうね? 私はラファエルの腕を引くと、近くの部屋に押し込んだ。
「ニカがそんなに早く、二人きりになりたがるとは」
「違うでしょう! 全部説明してくれる?」
「もちろん話すけど、落ち着くためにお茶が必要だ。頼んで来るからここで待っていて」
大広間を途中で抜け出したけど、考えてみれば大丈夫だろうか? 王子がいなくて舞踏会が成り立つのかと、私はふと心配になる。だけど、こっちも進退問題がかかっているのだ。のん気に踊り続けている場合ではない。だいたい、二か月後に結婚するだなんて、それも私とって、ラファエルったらどういうつもり?
扉の開く音で、彼が戻って来たことがわかった。振り向き「早く」と口を開きかけた私は、そこにいたのが侍従と知り、慌てて口を閉じる。
でも、変だわ。侍従が一人でこの部屋に? 呼んだわけでも紅茶を運んで来たわけでもない。それなのに、王子付きの侍従が入ってくるなんて。大抵は女官と一緒だし、長めの前髪と口髭の侍従は、今まで見たことがない。
所属を聞こうと思った私に、男はあっという間に近づいた。叫び声を上げるより早く、私の口を手で塞ぐ。前髪から覗く目元には覚えがある。これは――フィルベールだ!
「ふぉうひて……」
手で覆われているため、満足に声が出せない。男性の力には到底敵わず、もがけばもがくほど、掴まれた腕をギリギリと締め付けられる。
「どうしてって? 全て貴女のせいでしょう。貴女と関わらなければ、僕がここまで追い込まれることはなかった」
背後に回った彼が私を羽交い絞めにし、耳元でねっとり囁く。恐ろしいし、気持ちが悪くて吐きそうだ。私は必死に首を振る。確かに人攫いを依頼したのは私だけど、それは元々いけないこと。本物の誘拐なんて頼んでない。人身売買にも手を染めていたなんて、もっての外だ!
「助けを呼ぼうとしても無駄だ。会場から偶然火が出てね。王子はそっちで忙しい。こんなことなら、さっさと僕のものにしておけば良かった。楽しい方法でね?」
言うなりフィルベールは、片手で私をあちこち触る。誰にも触られたことが……いえ、ちょっぴりしかないのに。これはもしや、白薔薇が悪党に襲われるシーン? なんで私に代わったの?
「思った通り良い香りだ。貴女はやはり母に似ている。僕を棄てた母に」
え? 私まだ、十八歳だけど。
彼の方が私より年上だ。
フィルベールったら、まさかのマザコン!?
「知っていましたか? 貴女方を閉じ込めていたあの場所で、美しい母は一番人気だったそうです。その後、行方がわからなくなりましたが」
ボロボロの館は、元娼館だったはず。
それなら、彼のお母様って……
「おや? こんな所にキスマークが。上書きしておきましょう」
首筋に息がかかる。本気で嫌なのでやめてほしい。彼の手から逃れるため、私は必死に暴れた。
「抵抗しても無……うわっ」
突然、フィルベールが後ろの壁まで弾き飛ばされた。何で?
間を置かず、部屋の扉がすごい勢いで吹っ飛ぶ。まるで強風に煽られたかのよう。続いてラファエルと彼の護衛が、足音高く入って来る。
「ニカ!」
彼は私に走り寄ると、強く抱き締めた。
怖い思いをした私は、彼にしがみつく。
「ラファエル!」
「ニカ、もう大丈夫だ」
掠れた声のラファエルが、いつかのように私の髪にキスを落とす。あの……いいんだけど、かなり人目があるような。けれど二人の護衛はあっさりしたもので、黙々とフィルベールを捕えていた。
「痛てて……いったい何だったんだ。くそっ」
フィルベール一人と優秀な護衛達とでは話にならない。彼は手を縛られ、床に両膝をつく形で王子の前に引き出される。
「自らここに飛び込んで来るとはね? でも、惚れた相手が悪い。彼女は私のものだ」
ラファエルはすごく怒っているみたい。綺麗な顔は冷たく、見たこともない表情だ。思わず震えた私は、さらに引き寄せられてしまう。しかしフィルベールも、負けてはいない。
「僕の持っている物を見ても、まだそんなことが? 僕ではありません。全てはこの女に指示されたことです!」
目の前が真っ暗になる。
やはり、ストーリーは変わらない。
彼が持っているのは、恐らく私が出した手紙だ。ラファエル一人ならいざ知らず、護衛もいるからさすがに言い訳できないだろう。私は彼にソフィアの誘拐を指示し、実行させた。手紙にはそのことがちゃんと書いてある。
「クレマン」
ラファエルの指示で、ベテランの護衛が探す。
果たしてフィルベールの衣服の下から、紙の束が見つかった。証拠として見やすいように、きちんとまとめてあるようだ。護衛はそっくりそのままラファエルに手渡す。見覚えがある便箋に書かれているのは、紛れもなく私の字だ!
「そう。これで全部?」
「ええ。婚約者がこんな女だと知り、王子もさぞやショックを……なっ、燃えている! すぐに消さないと証拠が!」
フィルベールが大声で喚いている。私は逆に言葉が出ない。ラファエルの手の中で便箋だけが燃え上がり、みるみる灰になっていく。嵌めていた手袋は無事なのに、紙だけが見事に全燃している。呪文も唱えず魔法陣もない。これはきっと、ラファエルの火の魔法だ!
「どういうことだ、まさかわざと!」
「わざと? 何のことだろう。私の婚約者に手を出そうとし、振り向いてくれない彼女に腹を立てた君が、文書を捏造した。しかも紙に怪しい仕掛けを施して、私まで害そうとする。そう見えたが?」
「バカなっ」
「誘拐と売買だけに関わらず、私の大事な人を汚そうとしたことについて、十分な取り調べが必要だ。むしろ私の中では、それだけで極刑に価する」
口元は弧を描いているが、目は笑っていない。そんなラファエルは、妙に迫力がある。同じことを思ったのか、フィルベールが黙り込む。合図された護衛達が、フィルベールを立ち上がらせて連れて行く。悪事を繰り返した彼の行き先は……間違いなく火宮の刑場だ。
「さて、ニカ。邪魔者はいなくなったね。ようやく君の番だ」
私も同罪?
この時ほど私は、ラファエルの綺麗な顔を恐ろしいと思ったことはない。




